元底辺エンジニアが語る、エンジニアとしての生き様、そしてこれからの生き方

生き様168. マスクをまだしてる話とかSESで求められる人材像の話とか

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床に直接布団を敷いていたら腰が限界だった話

引っ越してから1ヶ月半。
1週間ほど床で直接寝ている期間もありましたが、当初の予定だったロフトベッドを導入できるスペースの目処が立たず、床に布団を敷いて寝ています。
しかも、ベッドで使うことを前提として考えていたペラペラの布団で。

若い頃はこれでも良かったのでしょう。
ですが、流石に年齢には勝てず……なのか、昔床に布団を敷いていた頃はもっと布団が分厚かったのか。
腰、特に大腿骨が限界を迎えました。痛いです。

ですので、本来ベッドに合わせて購入予定だったマットレスを購入。
ベッドのサイズと合わない可能性もありますが、そこは捨てても惜しくない値段で。
腰の健康には変えられませんから。

マットレスのお陰で快適な睡眠環境が手に入りました。
導入して初めての夜の睡眠が快適過ぎました。
その結果、寝坊しました。
朝。ゴミが出せませんでした。


まだ常時マスクをする白柳

今週は、他のコラムニストさんが取り上げているネタをコスって行こうと思います。

まず、1つ目は、サーチマン佐藤さんのコラムたいきさんのコラムで取り上げられているマスクネタ。

お二人共マスクを外されているそうです。
そして、その理由についても、それぞれの価値観からコラム内に書かれています。

一方の白柳は、まだ常時マスクをしている人です。
お店に入るときはもちろん、家を出たらずーっとマスク。
荷物を受け取る時もマスク。
例外はゴミ出しぐらいでしょうか?でも、マスクしてないなら口を開かない、を徹底しています。

もちろん、マスクは義務ではないこと、屋外では人と接近して喋ることがなければマスクを外して良いこと、海外では既にマスクをしていないことetc…は十二分に承知しています。
一方で、正しく装着しているマスクが感染拡大の防止に役立つことは、諸々のデータで立証されています。
ただし、「自分が防ぐ」方ではなく、「相手に感染させない」という方向で。

今更ですけど、マスクは「自分が感染しない」為ではなくて、「相手に感染させない」為のものなのですよね。
「COVID-19ワクチンは、感染予防ではなく重症化リスク防止の為に接種してる」ぐらい、忘れている人が多い事柄という印象です。
ワクチンについては当初の目的から変わっているのを政府もメディアも宣伝してない、という理由もありそうですが。

ということで、外出すればコンビニで食べ物を買い、電車に乗る白柳としては、不特定多数と接する店員やインフラを担う駅員さんに感染を広げるリスクを下げる為、自分を病原体扱いしてマスクを着けているのです。

もちろん、移動の徒歩期間もマスクは着けたままです。
その一番の理由は「着け外しがめんどくさい」からです。
着け外ししてたらどこかに落としそうですし、忘れたまま店を利用したり電車に乗るでしょう。
あと、マスクを着けた瞬間ってメガネが曇りやすいのです。
そういう煩わしさを避ける為に、僕は外出時はマスクをつけっぱなしにしています。
お陰で食べ歩きが減りました。

合理的な他の理由もあります。
着け外ししたときのマスクの衛生管理ができないこと。
野外で喋る必要が生まれるかもしれないこと。
主にはこの2点です。

多く使われている不織布マスクは、使い捨てのものです。
使い捨てとは、着けて外したら捨てる、ということです。
普及している布マスクやウレタンマスクでも、1回使ったら洗浄することを前提とするものです。
つまり、着け外しを前提としていない道具なのです。

そんなに多くのマスクを持ち歩くことはしたくないですよね。 という僕も、食事時等、一時的にマスクを外して再装着します。
多くの人も同じだと思いますが、この時内外を気にしていますか?

そのタイミングで、マスクの内側外側が入れ替わっている人、多いのではないでしょうか。
また、内側をしっかりと意識している人でも、一時的に外したときの内側、どう清潔に保ってますか?
着け外しが多いほど、この管理は雑になる傾向がある、と感じています。

つまり、意識高い振りして着け外しを多くしている人程、実はなんも管理できてなかった。
衛生面で言えば、愚直に着けっぱなしにしている人が一番確実!
というのが、なんちゃってミリタリー&防災マニアの私見です。

最後に。白柳はいつマスクを外すのか、についてです。
白柳の基準は「COVID-19の治療薬ができてから」です。
弱毒性が進んで、重症化のリスクは減りました。
感染しても、それと判る症状を発症しない人も多く居ます。
元々、日本が所属するアジアの特定グループでは感染率・重症化率が低い傾向もあります。

しかし、依然突発的に重症化するリスクはあり、そして重症化した場合は対処療法と運を天に任せるしかありません。
そんな状況で「本当に季節性インフルエンザと同じでいいの?」と考えています。
医療機関では未だに感染爆発を懸念し、医療従事者は外出を控えている状況は、決して分類の話でなく、実態に即した行動である、ということも努々忘れないで頂きたいのです。
医療に従事する人々への感謝の心とともに。


SESで求められる人材

SESで求められるのは、スペシャリストでもゼネラリストでもありません。

次は、ニコさんのコラムちゃとらんさんのコラムを白柳視点からお話していきます。

とはいえ、結論はシンプルです。

「ある程度自由自在にコードが書けて、日本語が理解できて、指示通りに動ければ良い」

SESで求められる人材の要素は、基本的にこの3点です。
スペシャルもゼネラルも関係ありません。
ググる力も必要ありません。

「ある程度自由自在にコードが書ける」というのは、結構簡単です。
その現場で採用している開発言語やフレームワーク、SQL等を利用して、システムが安全に動作する程度のコーディングを自走できる程度のコーディング力があれば問題ありません。
職業訓練やプログラミングスクールで学んできた人では、ちょっと敷居が高いかもしれません。
でも安心してください。サンプルのコードはたくさんあります。
困ったら既存のコードを良く読んで勉強をすれば良いです。
インターネットで公開されているコードは、著作権の問題もありますから、気をつけましょう!

「日本語が読める」とは、記述してある日本語を変な解釈も、行間の読解もなく、そのまま理解する能力です。
義務教育を受けている一般的な日本人であれば問題なく習得している能力でしょう。
書いてあることを書いてあるままに読めない人は多く存在します。
それはTwitterを見れば明らかでしょう。140文字しかないのに読めない人が多く存在します。
noteとか長文になるとめんどくさいから読めないという人もいます。
項目として挙げられるということは、それなりの理由があるのです。

「指示道理に動く」ということも、学生生活を通して経験のあることです。
受けた指示を、自身の勝手な見解を交えることなく、素直に行動し目標を達成する。
まるで機械やAIであるかの様に、忠実に行動することが求められるわけです。
そもそも「道具」に余計な感情なんて要らないのですから。

と、サラッと「なんでもないこと風」に書きましたが、言ってること無茶苦茶ですよね。
「人は必要、でも教育も管理もしなくて、意のままに動く」ですから。
そしてたまに「自主的に考えて行動できる人」の追加されます。
そんな高度なことを依頼するなら、年収700万でも足りないと考えます。

偉い人は「こんな程度のこと」と言います。
人月単価で計算している内に、人を機械やAIみたいな道具として見えるのでしょう。

もちろん、全てのSESで求められる人材像がこれである、とは言いません。
ですが、依然として、そういう現場が多いのも、事実なのです。

以上!

Comment(2)

コメント

おたみ

変な解釈も、行間読解も必要ない日本語が書いてあれば、ある程度読める自信はあります。
指示に道理があればそのとおりに動きます。

人は
・自分の行うことは高度で尊い
・他人に任せることは容易で卑しい
と捉える傾向が少なからずあるようです。。。
(自戒の意味を込めて)

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