元底辺エンジニアが語る、エンジニアとしての生き様、そしてこれからの生き方

生き様167. 他人と価値観を共有することなんてできない

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最近の夢見

最近、よく見る夢には、ある共通点が多くあります。
それは、『引っ越し』に関連するものです。
新しい家に引っ越して、レイアウトや荷物整理でワタワタする、という夢です。

いつも物件は違うので、夢から覚めた後に、どんな物件だったか思い出して楽しんでいます。
まだまだ、僕の深層心理では引っ越しが終わっていない様です。
確かに、荷物片付いてないしなぁ……。


価値観の多様性の話

現代の欧米型社会は「価値観の多様性を認める」という傾向にあります。
交通・通信技術の発展で、人や情報の交流が容易になり、多くの価値観がそれぞれの違いで衝突します。
その衝突を和らげる為に、多様な価値観を認めていこう、という社会の進化でしょう。

ですが、その一方で根底となっている普遍的な価値観もあります。
それは、科学・学術的なものであったり、キリスト教的な価値観であったりします。
もちろん、資本主義経済もその内の1つでしょう。

多様性と言えども無条件に際限なく認められるわけではないのだ、と考えます。
つまり、現段階における「社会で許される多様な価値観」とは、ある程度の範囲があるわけです。
そして、基盤とも言える普遍的な価値観も。


物事の価値と「怒り」

小難しい話は一旦、棚に放り込んでおきましょう。

アナタの持つ価値観は、とても大切なものです。尊重されるべきものです。
これは、価値観の多様性を認める為の、根本的かつ普遍的な価値観です。
現代社会では、この「ワタシの価値観が尊重されるべき!」が強すぎる感じがします。

もちろん、価値観は尊重されるべきです。
しかし、相手にも同様に大切で尊重されるべき価値観を持ちます。

価値観は人それぞれ。
つまり、物事の価値の判断基準は人それぞれ。
物事の価値が相手と異なる場合は当たり前に発生します。

その中では、アナタがとても価値を感じるものが、相手に無価値なこともあるでしょう。
価値が相反するより、無価値と感じられる事に強く怒りを起こす傾向を感じます。


価値の補強

価値観に伴う怒りを感じた場合、取られる行動はなんでしょうか。

その1つとして、無価値と袖にされない為に、価値の補強を行おうとします。
これには幾つかのパターンがありますが、

  • 誇大広告でとても金銭的・社会的価値の大きい様に見せる
  • 特定の行動を行っている為、価値があると主張する
  • それが根本的かつ普遍的な価値であると刷り込む
  • 歴史的な重みや権威により価値を補う

よく見られるのはこれらの手法でしょう。

また、怒りを感じた場合の行動で、最悪なのは「暴力」です。
力で相手を屈服させ、価値観を無理やり書き換える。
実際に古来から幾度となく繰り返されてきた実績のある方法です。
しかし、現代社会では歓迎されない方法です。


移り変わる価値

特に、骨を折って行動したものについては、価値を感じがちです。
「300分並んで食べた地域限定ファミレスのハンバーグ」「学生時代に3ヶ月バイトして買ったギター」など、この事例に当てはまるでしょう。
ITエンジニアに身近な例だと「10年間保守されたシステム」でしょうか。

世の中、絶対的に不変な価値はありません。
民主主義は250年ほど前に。
資本主義は200年ほど前に。
コンピューターも70年ほど前に生まれたものです。

ITシステムだって、会社が/社会が目指すものが変われば最適なものが変わります。
これらのサイクルは、上に挙げた物より短いでしょう。

物事の価値は、その時により変わるものです。
1年前にコードを書いた自分の価値観を、今の自分が理解できません。
もしくは、理解した上で否定しなければいけないこともあります。
後者は経験がありますが、結構苦しいものです。


価値観を「受け入れる」

自分にとって価値のあるものが、誰かにとって無価値であるように。
誰かにとって価値のあるものが、自分にとって無価値であるものです。
また、普遍的な価値はありますが、不変の価値はありません。

無価値だからと袖にするのではなく。
価値が在るはずだ!と怒るのでもなく。
その価値は古いのだと切り捨てるのでもなく。

その時、その場、その人においての価値観と、
この時、この場、自分自身にとっての価値観を区別しましょう。

「そうなんだ」と価値を受け入れることに負けはありません。
他人にとって無価値であることも、当然のことなのです。
「今」の価値観で見直せば間違ってるのは当たり前です。
価値観を押し付け変えさせる必要などないのです。

『それはそれ、これはこれ』

物事の価値を計るのに、これほど素敵な言葉はない、と考えています。

所詮、平和ボケした楽観主義者の戯言です。
ですが、外交でも政治でもない、身の回りで起こる程度のことは、コレで十分です。

以上!

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