第688回 交通違反切符を切られて思ったこと
こんにちは、キャリアコンサルタント高橋です。
このコラムを書いているのは7/20(日)なんですが、約8年ぶりくらいに家の近くで交通違反切符を切られてしまいました。正直、仕方がないなぁと思う反面、ちょっと思うこともありました。そこで今回はこの交通違反切符を切られたことに対して思うことを書きます。
■切符を切られた状況
切符を切られたのは自宅から車で30秒ほど移動した所でした。今日は参議院選挙の投票日で子どもが初めての選挙だったので、投票所まで連れて行こうとしていた所でした。
車で家を出て少し進んだ所にT字路があります。そこは一時停止になっており、投票所はそこを右に曲がった所にあります。いつものように一時停止をしようと減速し、左右を見て車や歩行者がいないことを確認し右折しようとしました。すると、右側の歩道に警官が一人おられたので、慎重に減速して右折をしたところ、その先にいた二人の警官に阻まれてしまいました。
警官「何故止められたか分かりますか? 」
私「わかりません」
警官「先ほど曲がられた場所、一時停止があるのって知ってますか? 」
私「ええ、知ってますよ。停まりましたし、少し進んだ所に警官もいたので尚のこと慎重に曲がりました」
警官「その警官がいうには停まり方が緩かったみたいで、ちゃんと停まってなかったとのことなんです」
私「私はちゃんと停まったつもりでしたが、その警官が言われたのならそうなのかもしれませんね」
まぁ、こんな感じのやり取りでした。正直、こちらの主張が通らないことにイラっとはしたのですが、ここで反抗しても絶対に状況は覆らないので、こんなところで時間を費やすよりとっとと切符を切ってもらってさっさと投票所に行った方が賢いと思い、手続きを済ませてその場を立ち去りました。
■警官の思惑
その後、子どもが投票所で投票した後、家に帰ろうと同じ道を辿ったのですが、既に警官たちは撤収準備をしていました。もう10分遅れて行けばこんなことにはならなかったのかなと思うと同時に、なぜに警官はこんな取り締まりの仕方をするんだろうと思ってしまいました。
そもそも、違反者を捕まえたいのか、違反を防止したいのか、警官の思惑はどこにあるんでしょうね。
もし、違反を防止したいのなら停止線の所に警官を立たせておけば誰しもがそこで停まるはずですよね。それをせずにわざわざ死角に入ってこちらからは見えない場所にいて、違反した人を捕まえるような動きをするのは、そうしなければならない目的があるように感じてしまいます。
巷では警官にも取り締まりのノルマがあるとかという話を聴いたことがありますが、もし仮にそういう目的のために違反の取り締まりをしていたとしたら、それってどうなのかと思ってしまいますよね。。。
■交通違反切符を切られて思ったこと
今回の違反については特に反論したいとかそういう気持ちは全くありません。とっとと反則金を納めてこの件を終わらようと思っているくらいです。また、今後は絶対に一時停止で停まろうと思いましたし、これが良い教訓になったとも思っています。
ただ、どうせやるなら隠れて違反者を炙り出すようなことではなく、ちゃんとこちらから見える位置にいて交通ルールを守らないといけないことをその姿から気づかせてもらう方が精神衛生的にも良いような気がします。罰を与えて覚えさせるのではなく、違反をしないように振舞うことで覚えさせることもできるんじゃないかなって思います。
何よりそうした対応を取ってもらえると、こちらとしても警官に対するモノの見方が変わってくるような気がします。
お互いが嫌な思いをするような関わり方ではなく、相手をリスペクトしその行動からこちらの行動を見直させるような、そんな関わり方をしてもらえるといいのになぁと思いました。
コメント
ちゃとらん
いつも楽しく拝読させていただいています。
『災難』でしたね。
というと、語弊に聞こえるかもしれませんが、警察のやり方って、本当に汚いケースも多々あります。
# もちろん、まじめに一生懸命取り組んでおられる方も、当然おられるのですが。
実は、私の身内にも、完全に冤罪をかけられそうになった人がいます。証拠がないので何度も任意同行を求められ、何時間も拘束されたそうです。しかも、何度も何度も。
完全に無実なので否定していたそうですが、少しでも『言い間違え』でもしていたら、逮捕されていた可能性もあり、私もネットで、対応策を検索していたのですが、よく似た事例が、いっぱい出てきて、正直びっくりしたくらいです。
さらに、無実を否定することで、逆に反省が足りないと逮捕・起訴・実刑を受けた話も、昔ありました。(警察が組織ぐるみで偽の証拠を偽装した(と言われている)事件です。)
『高知白バイ衝突死事故』など、結構記憶に新しかったのですが、20年近く前の話なんですすが、『愛媛白バイ事件』というのも、あったそうで、気を付けていても冤罪に巻き込まれることがあるので、ほんとに怖い話です。
ぽーる
一時停止はパトカーも守ってないけどね
減速しとるだけ
匿名
文章を注意深く読んで超能力(?)を発揮してみた結果、一時停止しなかった→警察には止まったと言ってみたが駄目だった→(悪いと分かっているので)反論する気はない→しかし取り締まりの仕方は気に入らない。ということでしょうかね。違っていたらごめんなさい。
ということで気に入らなかった点について想像したことを。
安全のための抑止力なら見えるところに立って取り締まれよー。どうせ点数稼ぎのためにやってるんだろー。汚い、実に汚いぞー。
自分もそう思っていた時がありました。確かにありました。なんなら周囲に吹聴してました。でもある時ふと気がつきました。
これ見よがしに警官の姿を見せて無理やりルールを守らせても、警官の姿が見えなくなったらルールを守らないのでは?ならば365日警官を立たせるのか?あらゆる場所でそれをするのか?はいそうです。この方針には無理があります。
警官が姿を隠して取り締まることで、警官の姿が見えない時でも「今もどこかに隠れて監視して取り締まっているのではないか」という懸念を抱かせることができます。完全ではありませんが警官がいなくても抑止力を発揮し続ける賢い方法です。割けるリソースに限りがある以上は不完全でも効果が高い方法に頼るのは当然です。
実際に効果は抜群です。やられた人は「今後は絶対に一時停止で停まろうと思いましたし、これが良い教訓になったとも思っています。」と供述しています。大成功です。
だから隠れて取り締まっているのだろうなぁとある日ふと閃きました。完璧な抑止効果を発揮したい場面では姿を見せて取り締まればいいだけです。
(もちろん治安が良いからこそ通用している方法だと思います。今後日本の治安が悪くなっていったら通用しなくなるのでしょう)
真相は分かりません。個人の想像です。
点数稼ぎの方はどうなんでしょうね。うへへノルマ達成~と思ってるのかもしれないですね。
さて一時停止で取り締まられたくないなら一般的には3秒間は静止しろと言われています。しかし運転中の3秒は結構長いです。体感では実に長いです。でも3秒待ちます。丁字路や路地から出ていく時なら停止線で一時停止してから左右が見える位置まで前に出てもう一度自主的に止まることになります。3秒を急いでも意味がない。検挙のリスクを負ってまで冒険することではない。
急ぐのは信号のある交差点だけ。一台でも関所を多く通過できるように。みんなのために急ぎます。話が逸れました。
前に出てあらためて止まる必要がない場所、例えば踏切の一時停止などで3秒も待ちたくない時に私が完全停止のアピールのためにしている事があります。それは大げさなカックンブレーキです。車体が前のめりから後ろにカックンと落ちてワンテンポ待ってから発進しています。お尻が完全に落ち切るのがはっきり見える事がポイントです。実際に通用するかは分かりませんが、止まっていないとか徐行しかしていないと言われることはないのではないかなーと思ってやっています。
自分は割と古い車に乗っているのでぶつけたら部品が出るか分かりません。事故を起こさない起こされないために標識のある一時停止は必ず守っています。MT車なので減速徐行と一旦停止では面倒臭さが段違いですが守っています。明らかに危険な場所だからこそ金をかけてわざわざ一時停止の標識が設置されていると考えて、自分のために守ります。お互いきちんと守りましょう。
標識のない一時停止義務は・・・
キャリアコンサルタント高橋
匿名様、
非常に長いコメント、ありがとうございました。興味深く読ませていただきました。
おっしゃる通り、取り締まり時に隠れているのは抑止力を働かせるためだと思います。
「ここにいるかも」と思っていれば当然そこは気を付けると思います実際、ねずみ取りをやっている場所は決まっていることが多く、その場所を知っていればそこは気を付けようとしますよね。
しかし、一方で全ての場所において交通ルールを守る抑止には繋がっていないようにも感じるんです。
「この場所は警察がいるかもしれないから危ない」という抑止が働いているのが実際の所じゃないかなって思うんです。
その前提に立った場合、だったらわざわざ隠れてないで見えるような位置に立って抑止を働かせることもできるんじゃないかな思ったんです。
そして、それは私たちの警察の取り締まりに対する感情としても表れてくるような気がするんです。
ねずみ取りの場所に抑止を働かせてスピードを減速して侵入し「あーやっぱりいたー、あぶなかったー」と思うのか、
予めいる警察を見てスピードを減速して侵入し「ここはいつも交通ルールが違反しないように見張ってるんだなぁ」と思うのか、
警察が同じ場所にいるだけでも、そのスタンスによって私たちの警察の取り締まり対するモノの見方が変わってくるんじゃないかなってのがコラムでお伝えしたかったところです。
ただ、この視点は抑止力の面から見ると弱いかもですね。
警察が見える位置に立ち続けていると、その場所での交通ルールは守られるものの、「ここにいるかも」という抑止は働かないので警察のいる所だけちゃんとしたらいいやってなっちゃうかもしれませんね。
キャリアコンサルタント高橋
ぽーる様、
コメントありがとうございます。
そーなんですよねー、そういう不条理感、不公平感が根っこにあるので切符を切られた時に嫌な思いをするのかもしれませんね。。。
キャリアコンサルタント高橋
ちゃとらんさん、
いつもコメントありがとうございます。
ちゃとらんさんの身内の方が冤罪で捕まらなくてよかったです。。。
今回切符を切られた時、私も一瞬冤罪が頭をよぎりました。
実は取り締まった二人組の警官は一人は若手の警察官でもう一人の警察官がその若手の警察官を実地指導をしているような感じだったんです。
その中で私が違反したと主張している警察官の意見は採用するものの私の意見は採用されていないことにめちゃくちゃ違和感を感じました。
これが例えば物的証拠のようなモノを提示されるのであればまだしも、「その警官がいうには停まり方が緩かったみたいで、ちゃんと停まってなかったとのことなんです」は状況証拠にしかならないんじゃないかって思ったんです。
ただ、ゴネても覆ることはないでしょうし裁判沙汰にするほどのことでもないのでこっちが引いた感じになりましたが、いまだに納得はしていないです。
なので、取り締まるなら冤罪にならないような配慮も必要なんじゃないかってのは凄く思いました。