第703回 人が書くコラムの意義について考える
こんにちは、キャリアコンサルタント高橋です。
以前のコラムで「人が書くコラムの意義って何だろう? 」という提起をさせてもらいました。このコラムにちゃとらんさんがアンサーコラムを書かれておられたので興味深く拝見させていただきました。
そこで、今回はちゃとらんさんのコラムを踏まえた上で、今の私の考えをお話ししたいと思います。
■そもそも話って...
この話はこちらのコラムに書かれた内容で、一部抜粋します。
さて、ここからが今回の本題なんですが、ここまで700回コラムを書き続けてきて強く感じていることなんですが、
人が書くコラムの意義って何だろう?
こんなことを思っています。
(中略)
昔と違い、今はコラムも生成AIが作れちゃうんですよね。試しにどの生成AIでも構いませんので、
「5分間キャリアコンサルティング」っぽい感じて、キャリアに関する面白ネタを入れたためになるコラムを書いて
なんてスクリプトを流すと、それっぽいモノが秒で出来上がるんです。何ならその出来は私が書くコラムなんかよりも数段よかったりします。
そういうのを目の当たりにすると、私がコラムを書き続ける意味って何なんだろうと思ってしまいます。
きっと、今後は生成AIが作るコラムの質も上がっていって、その内、生成AIが作るコラムに人間は勝てなくなっていくんでしょう。ひょっとしたら、コラムという存在は人が書いたものを見に行くモノから、必要なコラムを生成AI作ってもらう時代になってくるのかもしれません。
そうした時に、私がコラムを書き続ける意味って?
多分、この答えを出すためにこれからもコラムを書き続けるんだろうなぁって思っています。
ちょっと長くなってしまいましたが、こうしたことを提起させてもらいました。
■ちゃとらんさんのアンサーコラム
このコラムをご覧いただいたちゃとらんさんのアンサーコラムがこちらです。
内容はぜひご覧いただきたいので、あえて引用は割愛させていただきます。
ここからはちゃとらんさんのコラムをご覧いただいた前提でお話を続けますが、重要なポイントとして「思想信条」という言葉で表現されています。
これはめっちゃわかります。私たちはなぜコラムを読むのか、それはその人の思想信条を知りたい、感じたいからじゃないのかなって思いますし、少なくとも私は全面的に同意です。
■人が書くコラムの意義について考える
これらの話を踏まえた上で私の考えですが、実はこの問いについて既にある程度私の中に結論があったりします。それは、
人の書くコラムにこそ価値がある
です。
これを別の話で例えると、牛丼の吉野家さんに行かれる人って牛丼が食べたいというより吉野家さんの牛丼を食べたいから行かれると思うんです。それは「吉野家」さんであることに価値を見出しているからです。
コラムもこれと同じで、コラムを読まれる方というのはAIがその人っぽく書いたコラムが読みたいんじゃなくて、その人が書いたコラムが読みたいんです。それはコラムニストに価値を見出されているからにほかならないと私は考えます。
そこから翻って、私たちコラムニストが目指すべき方向というのは、
読者の方に読みたいと思っていただけるようなコラムを書き続けること
ここに尽きるんじゃないかなって思います。そして、この積み重ねがコラムニストの価値を高めていくことに繋がるんじゃないかなって思っています。
だから、私はこの件を提起したコラムの最後に
多分、この答えを出すためにこれからもコラムを書き続けるんだろうなぁって思っています。
と書かせてもらいました。
私自身、これからもコラムを読んでいただけるように、少しでもコラムニストとしての価値を高めていきたいと思っています。