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この不寛容な世界の片隅で

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世界の不寛容さが進んでいる。

不寛容さというのは、感染して広がるのではないかと思っている。

例えば不寛容な環境に身をおいている上司や親は、自分の部下や子に対してもより不寛容になりがちだ。

ミスをした場合、しつこくその原因や対策、再発防止策を延々と求めてくる顧客や上司がいると、部下に対してもミスを起こさせないように細かく管理をしがちなる。

そうやって不寛容さは拡大してゆくが、きっとその行き着く先は虚無の世界かもしれない。不寛容さから逃れるすべは、拱手傍観しかないから。

だから、自分の代で少しでも拡大を食い止めたいと願う。それは自分は不寛容な環境に身を置きながらも、周囲には寛容でいること。とても精神的にシンドイと思う。でも、相手を信頼しようと思えば、人は寛容になれるはず。

問題は、不寛容に接してくる上司や親に対しても寛容になれるかというということ。どんなに自分が寛容的でありたいと思っていても、彼らは不寛容さを押し付けてくる。ここで対立構造になってしまうと、それは寛容さの敗北である。だからと言って、不寛容な人が寛容さに感化されて寛容的になるとも思えない。

そんなとき、相手を憐れみなさい、とお釈迦様は教えている。不寛容な相手でも憐れみをもって許すことが寛容であると(拡大解釈)。しかし、未だ覚に至らない凡夫の身。寛容でありたいと願いながらも、不寛容な人にさらに不寛容さをもって対立して過ごす日々。やられたらやり返す。倍返しだ!

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