あれから15年
エンジニアライフにコラムを初投稿したのが2010年5月20日なので、丸15年になる。不定期ながらも投稿を続けているという意味では、最古参の部類に入るのではないだろうか。
15年投稿しているという事は、エンジニアライフの15年来の読者ということでもある。多くのコラムニストが登場し、いろんな意味で盛り上がったコラムを懐かしく思う。
個人的にはコラムは自身の頭の整理のために使っている。日々の中で思ったこと感じたことを文章にする作業を通して頭を整理し、感情を個人としての論理、セオリー化することが目的だ。なので、どんな意見であれコメントをもらえると、そのフィードバックになるのでありがたい。もしかしたら、こういう使い方だったから、15年続けられたのかもしれない。
他のコラムニストさんも様々なテーマでコラムを投稿している。やはりコラムという性質上、自分の思っていること、考えていることをネタにしているものが多いが、読書感想や調査研究の報告、連載小説を投稿されている方もいる。
最も難易度が高いのが連載小説であろう。過去15年の間に何名かのコラムニストが挑戦しているが、成功しているのはリーベルGさんだけである。他のすべての連載が完結を待たずにいつの間にか終わっている。
エンジニアライフだから仕方ないのかもしれないが、完結しなかった連載小説には共通して言えることがある。それは、いつまでたっても物語が見えてこないということ。連載小説としては、全体の物語があるだろうし、一話一話の中にも物語が必要だ。なのに、場面の描写だけを重ねて、一向に物語が見えてこないのだ。場面の描写だけなので、もしかしたらこれは小説ではなく、フィクションのフリをした日記なのかな、と思ってしまう。
これは自身への戒めでもあるが、コラムを投稿することは自分の考えであろうと作品であろうと、不特定多数の人に読んでもらっているのだから何かを世に問うている、という事だと考えている。だから、問うものがない投稿や、何を問うているかが分からないコラムは投稿しない。
では世に問うものがない投稿とはどんなものかというと、ただの描写や独断的な決めつけ、愚痴など。このような投稿は読んでいても面白くないし、ひどくなるとコメント欄が盛り上がる傾向にあるように思われる。加えて、本編でこの様な内容を投稿するコラムニストは、コメントでも同じスタンスで返事してしまい、炎上して収拾がつかなくなる。
世の中には、このように世に問うものがない内容でも芸術作品に仕上げる人がいることも確かで、そんな名作があることも承知しているが、それは文学の世界に譲ってしまい、エンジニアライフではそこを目指さない方が良いのではないかな。
じゃあ、本当にお前の投稿したコラムは全て何かしらを世に問うているのだな、と聞かれたならば、間違いなく胸を張って応えられる。そんなことはない。コラムを書く目的は頭の整理だから、整理する中でこれは独断的な考え、愚痴だなと気づくことも多々ある。ただ、書いたものがもったいないので、投稿する。自覚があるので、もしコメントにそのような指摘をもらったのならば直に謝ろうとおもってはいるが、今のところ気づかれていないみたいなのでヨシとする。
ということで編集部さま、15年の年功慰労期待しています。