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正論で相手を完膚なきまでに叩きのめす

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最近、アホとは喧嘩してはいけない、とか、正論で相手をひっぱたいてはいけない、
というような論調をよく見かける。

世の中には自分と全く違う考え方をして、話をしても通じない人がいる。その人を強引
に自分の考え方に合わせさせようとしても無駄で、議論の中で正論をつかってやり込め
たとしても、実質相手の考え方に変化があるわけではないので、ひと時の快感をえられ
たとしても議論した内容は無駄である。逆に、恨みを買ってしまいろくなことがない。

考え方はよくわかる。正論を振り回したことも、正論を振り回された経験もあるので、
ほぼ同意だ。自分と考え方が違う方とはなるべく距離をとって、自分の考え方を押し付
けない様に心掛けている。

しかし、である。距離をとってすまない状況もある。相手が物理的に近い場合、自分の
行動に影響がある場合、例えば自分の上司など。距離をとりたくても取れない状況が必
ず存在する。議論せず、黙って従うのが良いのか?そんな不本意な行動は、必ず精神と
身体に不調をきたしてしまう。

だとしたらどうするか。
やはり正論で相手と喧嘩する必要があるのではないか。議論の際には正論は一つの武器
だ。その武器をもって相手に打ち勝つ必要がある。ただ勝つだけだったら逆恨みされ、
しっぺ返しを食らう可能性があるので、相手が二度と立ち上がれないぐらい、叩きのめ
すのが良い。しかも公の場で、観衆のいるなかで。

もし相手が各上で叩きのめす自信がなければ、その時は早まって喧嘩するのではなくひ
たすら鍛錬せよ。いつの日か叩きのめすことを夢見て、精進し続けよ。そうすれば、病
気になることはないだろうから。

Comment(10)

コメント

匿名

コラムの趣旨に反する意見ですが
自分の短い経験のなかで話しても無駄と思った例をご紹介いたします。
基本的には話合いで解決するべきと思っております。

・鬱からの休職から復帰した客
 →薬も飲んでて言論がめちゃくちゃ
  1週間後ぐらいに再入院していました。
・退職間近の部長
 →過去に功績があるおじいちゃんですが
  最近のシステム開発に口を出して炎上させます。
  (悪い人ではないのがさらに・・・)
・翌日に痴漢で逮捕された人
 →どうやるのかわかりませんが
  だれかに原因をなすりつけるのに必死でした。
・障がい者枠の勤務者
 →よくミスをするし、返却物のごまかしをします。
  注意すると差別といいます。
  その人個人の問題かもしれません。

そもそも正論なんて聞きやしない上に
いわゆる無敵の人達です。
昔は平等に接するべきとか話したら分かり合えるとか甘いこと思っていました。
三十六計逃げるに如かずと思います。

匿名

難癖馬鹿に正論かませば論破して叩き潰せるのは当たり前だが不貞腐れて会社に出てこなくなるパターンがあります後何時までも根に持って仕返しの機会を窺うとが本当に底辺脳はどっちにしても煩わしいです

ななし

正論を正論とするためには
いかに事前に相手への武器(録音など相手の不備となるような情報)を
収集できるかが大事。

何も物的証拠をもたず口論だけで勝てるような人物なら
そもそも、そこまで追い込まれないはず。

匿名

正論で喧嘩という表現はとても正しいと感じた。コミュニケーションではないように見える。
正論と正論が対立することはよくあるので、コミュニケーションの部分も持ったうえで、「喧嘩」できるようにありたいと思う。

匿名

仕事に限定してしまえば、正論がぶつからない組織に未来は無いと思いますけどね。
私の正論と相手の正論がぶつかって初めて、高次の解が得られると思います。

相手方の正論が仕事(組織)の成果や目的に繋がらないような自分勝手な論ならば、データ(事実)や精度の高い分析をもって押し切りますが。
あとは、政治力ですね。
だいたい、真に衝突するに値しない論をぶつけてくるタイプは周囲の信頼も薄い傾向にあると思います。日々正論を唱え、それに従い結果を出していれば周囲を巻き込んだり仲間に組み入れて押し切ることも出来るはずです。
まあ、完膚なきまで叩きのめす必要があるケースはこのようなパターンですから、押し切れない場合はあるいみ自分の実力不足とも言えるかもしれませんね。
それでも相手方に力があるならば、その程度の組織と見限るのも一つの手です。
アホとは喧嘩してはいけないのは、このケースのみだと私は思います。

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