智恵ある者に怒りなし
先日、親戚の葬式に参加し、葬儀のあとの坊さんの法話が心に引っかかった。
おおよその内容は以下の通り。
あるとき仏陀が、異教徒から罵詈雑言を浴びせられた。涼しい顔で最後まで聞
いていた仏陀は、その異教徒にこう問うた。
「誰かにモノを与えようとした際、その者が受け取らなかったとしたら、それ
は誰のモノか」
異教徒は応えた。
「それは、与えようとした者のモノである」
仏陀は静かに仰った。
「だとしたら、今、私に向けた罵詈雑言はお前のモノである」
坊さん曰く。
三流の人間は、何かを言われたら、言い返して喧嘩になってしまう。
二流の人間は、何かを言われたら、ぐっと我慢する。
一流の人間は、何かを言われても受け取らない。
では、超一流の人間はどうするか。それは言った者の幸せを願うのである。
なぜ心に引っかかったか?
最近、合わない上司がいて、何かを話すたびに、何かを言い返していた。
自分に理があり、なるべく穏やかに言っているつもりではあるが、だからと言っ
て上司が変わるわけでもなく、それはだんだんエスカレートしていった。
すると、上司と話すたびに自己嫌悪に陥り、いないところでの愚痴も多くなっ
た。これでは、精神衛生上よくない。だから、上司には上司の考え方があり、
自分とは全く異なるものなのだ、と多様性を認め、いさかいを避けるために上
司と距離を置くことにした。しかしいくら此方が距離をおいても、仕事上なの
か、上司は絡んでくる。多様性を認めたのだから、何かを言いたくなってもぐっ
と我慢するが、その鬱憤がどうしてもたまってしまう。
そんな中で聞いた法話であった。
なるほど、まだ自分は二流の人間であったのか。受取るまいとおもいつつも、
知らずに受け取っていたのだな、と。だから心の中に波がたつ。
そこで超一流を目指して、相手の幸せを願う事にした。
どうか、自分と関わらなくてすむ遠い世界で幸せになってください!
・・・まだまだ知恵ある者にはほど遠いなぁ(合掌)。
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コメント
Rue de Luxembourg
いいお話でした。実践します。
結びの合唱は、合掌かと。
山無駄
Rue de Luxembourg 様
本当だ。ご指摘ありがとうございます。
iso
いい話なんだけど・・・・
合わない上司の幸せを願っていたら、
上司が進めていた何か(プロジェクトとか)が
(予想通り)爆発して結局被害が倍になって降りかかる上に、
「お前は何をやっていたんだ!」という目で見られ、
被害回収しようにも中途半端に話は進んじゃってるから抜本的な解決を行うことも出来ず、
「中途入社と言っても大したこと出来ないんだね」って肩叩かれたというのが
2回もありましてねぇ・・・(遠い目
相手の幸せを願うだけじゃなく、黙って手を動かせと結局ハートマン軍曹の教えに戻るんですよねぇ・・
ぶっだ
例えを用いて罵詈雑言はお前のモノだ、と言い返した仏陀は3流の人間という事ですか。
言われるまま一方的だと舐められるから当然の対応だと思いますが。
山無駄
どうもiso様
そうなんです。仕事という関係でしがらんでいる限り、幸せを願うばかりでは何も解決しないんですよね。
現実は、遠くで幸せになって欲しいと願いつつ、上司とのやりとりは口頭ではなく文書で渡すようにしまし
た。口頭でのやり取りより、すこし冷静になれるし何かあったときの証拠として残せるので。
でも、その文書を作成するときの気分がまた後ろ向きで…。
超一流のみちは遠いですね。
山無駄
どうも、ぶっだ様
そうかもしれませんねぇ。でも、仏陀の言葉に異教徒の者は落涙平伏して仏道に帰依したとのことなので、やはり超一流なのではないかと。仏道に帰依したことが幸せだったら。
おにく
いい話でした。ありがとうございます。
「何かを言われても受け取らない」というのは、
きっと、確固たる自分の考えがあるから出来ることですよね。
そうなれるよう精進します。
山無駄
どうも おにく様
確固たる自分の考え。悟りを開く、という事は確固たる自分の考えをもつ、という事かもしれませんね。
確固たる自分の考えをもってるから、自分の行動に迷いがない。迷いがないから、心の中が波立たない。
上司との話も、上司の話を受取らず自分の考えを伝えるだけであるなら、心が中が波立たないのかもしれませんね。
しっだーるた
どうせこの世は色もの。結局は空っぽなのですよ。
色即是空。空即是色。とおそわりました。