地方エンジニアが感じる地方・中小企業での悩み

賛同と盲信と

»

 著名な人の発言や姿勢、尊敬する人達のそれに影響を受けることは誰しもよくあることではないかと思います。SNS 上では、RT やシェアという形で他人にそれを伝えようとしている人も、大勢いることでしょう。もともと私達は、自分の好む意見を他人にも賛同してもらいたいと思ってしまう面があります。それを意識的にか、無意識で行うかの違いはありますが、大体は賛同してほしいために流しているのが殆どだと思います。

 これが、友人間や気心知れた間で話題にするだけならば、さほど問題でもないと思いますが、SNS に限らず不特定多数の場でそれをやり続けている人に対しては、どうしてもその人に対して偏見とも言える気持ちが芽生えてきてしまいます。

 それはある種の宗教的なものに近い、何も考えずにただあの人の意見だからと信仰してしまっているのではないか、という疑念です。

 自分もやはり、思想的に合う人の意見においてはその気があります。反対にあわない人の意見については、最初から反対する気持ちで向き合ってしまうことも多々あります。自分自身の性格もあり、できるだけ中立で他人の意見と向き合いたいと考えたこともあり、日頃触れる媒体では反対意見のほうをやや多めに見るようには心がけています。
 自分にとって都合のよい意見ばかり目にすることは、大体にして当人にとってマイナスにしかならないと考えているためです。皆さんもわかっているとは思いますが、世の中そうそう都合よくはできていません。むしろ不条理に満ち溢れています。
 片方だけを目にし続けることは、物事の本当の面に気づくことができなくなってしまうでしょう。光によって片側だけ照らされているのを見ても、反対側にある陰に隠れた部分もまた同じく存在しているのです、とそのような形で比喩されることもあります。

 政治や宗教など、もともと人の思想に強く影響されている話題であれば、ある種仕方のない面はありますが、私達 IT 業界に関わる人間としては、不都合かもしれませんが反対側の意見にも耳を傾ける必要が常にあると考えています。そうすることが、自分自身にプラスになることが多いと思っているためです。

 例えば私は Mac が嫌いです。Windows で育ってきているからというのもありますが、自分は Mac に何も魅力を感じません。ですが、それは Mac の出来が悪いということではなく、単純に自分に合わないというだけのことです。これを SNS や記事などで扱うと、Mac は Windows より素晴らしいとか、Windows は Mac よりも素晴らしいとか、いろいろ事情もあるのでしょうが目を引かせるタイトルで扱われることでしょう。
 実際には、Mac には Mac の良さがあり、Windows には Windows の良さがあります。自分が関わっていない部分も、それぞれに多々存在しています。主観的な考えが、事実には程遠いことを示しているのです。

 GUI と CUI の関係も似たようなものです。CUI で操作できないからダメ、という意見もよく目にしますが、私にしてみればそれはどうでもよく、GUI からでも CUI からでもどちらからでもいいので、バッチ的に操作ができればそれで良いと思っています。CUI が適している部分、GUI が適している部分、どちらも同じように存在していますし、利用する人にとってどちらが適しているかも変わってくるでしょう。どちらかでなければいけない、という物でもないと思います。

 自分の好む意見ばかり目にしていると、これらのことには気づきにくいです。特に SNS で危険なのが、世の中の意見はこうだ、と錯覚しやすくなるところだと思います。そういう狭い視野に陥らないよう、日頃から賛成反対問わずに多くの意見と接していくことが重要なのではないでしょうか。

 自分自身に都合のよいものばかり信じることは、本人にとって必ずしも良い事とは限りません。反対意見に触れることで、自分の信じる意見が本当に正しいのか、部分的に正しいのか、はたまた実はそうではなかったのかを知る機会が増えます。それは自分が成長するためにも、必要な事なのではないでしょうか。

Comment(0)

コメント

コメントを投稿する