上の世代が頑張らなくてはいけないこと
今年も残すところあと1か月。やはりというかなんというか、あっという間に時間は過ぎていき、雪が降ったり積もったりと冬の気配を感じさせています。毎年同じことを感じている気がしないでもありませんが、今年の1年も非常にあっという間だったように思えます。
このようにいたずらに年を重ねてきたわけですが、それでもある程度の経験と知識は身についてきたので、今でも IT 業界に身を置くことができています。ここまでで培った経験や知識があるおかげで、今の仕事ができているという面は間違いなくあるのですが、それをどのように次の世代に引き継いでもらうかというのは、どこの会社でも悩みの種ではないでしょうか。
自分たちより後の世代にここまでに得た経験や知識を継いでもらうことで、より良い仕事ができるように、より良いものを作り出すことができるようになってもらいたいわけですが、なかなか簡単にできることではありません。単純に今までで得た知識や経験を教えていけばよいということでもなく、今の時代に沿った形で伝えていく必要があります。昔は必要だった知識でも今では不要となったものも数多く、伝えることでおかしな方向へ進んでしまうこともあります。
例えば昔のコーディングでは、余分な処理を行うことで速度低下やメモリ不足を起こすことを可能な限り避ける必要がありました。それはプログラムを実行するハードウェアの能力の問題であったり、利用可能なリソース量が今とは比較にならないほど少なかったためです。同じことを今の時代に行っても悪いとまでは言いませんが、そこに多くの時間をかける必要はかなり薄れています。多少の問題は力業で回避できているのです。富豪的プログラミングといった言葉もありましたが、今の時代では極度にリソースを利用するのでなければそこまで目くじらを立てて対応する必要はありません。
このような今となっては不要となるものを省いたうえで、後の世代へと必要なことを伝えていくのですが、相手によって伝え方を変える必要もあり非常に難易度の高いことです。私の実家では塾に近いことをやっていたのもあり、一つの教え方で全員に伝えることはほぼ無理なことだという実感があります。この経験があるため、誰かに何かを伝える・教えるといったことの難易度の高さは理解しているつもりです。多くの人が利用している学習コンテンツであっても、著名な人が話しているものであっても、自分にあうかどうかは別なのです。
だからと言って最初からあきらめてしまい、ある程度で妥協してしまうというのも相手に失礼な話です。すべてのケースがそうだとは言いませんが、相手が自分の話を理解できなかった場合、それは多くの場面でこちら側の伝え方が相手に合わなかったためです。相手に合わせて方法を試行錯誤することは、教える側にとって必要なことなのだと思います。
ただこの話を面倒にしてしまうのが、これを業務上で行っているケースです。業務上ではどちらかというと、教える側主体に考えてしまうことが多いです。受け手が理解できなかったとき、時間の都合もあり受け手側の問題としてしまうこともあるのではないでしょうか。業務上の話だからと言ってしまえば仕方のないところではありますが、できる限りは全員に理解されるように教える側も試行錯誤していきたいものです。それが経験と知識を重ねてきた側の責任なのではないでしょうか。
私が新人研修担当として色々やっていたのは4年ほど前の話になりますが、幸いにもその時のメンバーはまだ誰一人退職せずに残ってくれています。たまたまそういう良い人材だったからという理由が大きいとは思いますが、何かしらの役に立ってくれていればいいな、と思わずにはいられません。