生き様162. 窓際族とFIREの話
Q.3年間毎週コラムを書くとどうなるか?
A. 古株コラムニストになる(文章力は上がらない)
ということで(どういうことで?)本コラム「コレざま」もまるっと4年目に突入です。
物事、3年も続けていれば変化があるものです。
特に世間一般で言われるのが「継続はチカラなり」です。
意図せず、何からのチカラを得ているものと思われます。
本コラムにとっての一番の変化は「古株になってた」ことでしょう。
「文章力の向上」?「書く習慣」?
他のコラムニストさんは分かりませんが、白柳に限ってはナイですねー。
なんの制約もなく好き放題書いているだけなので、向上するものがありません。
元々文章を書くのが好きで、ある程度の能力があったので習慣の変化もありません。
フォーマットも、初期に決めたものを継続しているだけです。
ですので「趣味でコードを書いてる」のとこのコラムは大きく変わりません。
もちろん、白柳限定のお話ですし、本コラムに限った話となります。
ほぼ手癖だけで書かれているコレざま。
毎回、冒頭の小ネタだけでコラム一本分ありそうなコレざま。
今週も始めていきましょう!
「窓際族」は「勝ち組」か?
「じつは窓際社員こそが、資本主義の勝ち組なのでは?」
こちら、ニコさんのコラムの一文です。
かなり前(22年1月!半年以上前!!)のコラムになります。
正直、白柳も「窓際族」には憧れます。
日柄ボーっとして過ごすことが許され、そしてお給料がでる!
言うならば「不労所得」。なんという天国でしょうかっっ!!
というのは、何も知らない外側からの意見です。
「窓際族」がどうして出来上がるか?を考えてみましょう。
そう簡単に片付けられる話ではないことが解るでしょう。
まず、最初から希望して「窓際族」に配属される、ということはありません。
希望部署に「窓際族」もしくは「閑職」なんて聞いたことがありません!
人員配置や社内政治の結果、配置されてしまっている、ということになります。
つまり、大半の人が「仕事に対してやる気・責任感のある状態」です。
それがある日、一切合切を取り上げられてしまうわけです。
その際の絶望、やるせなさ等は当事者でなければ理解できないでしょう。
「仕事をしたくてもできない・取り上げられた」「やりたい仕事ができない」
これらは、十分にメンタル不調のきっかけになり得る要因です。
それを安易に「羨ましい」や「勝ち組」とは言えないでしょう。
「FIRE」は本当に「勝ち組」か?
昨今、若い世代に広がっている「FIRE」。
早期に「一生分の収入ないし収入基盤を得て、労働から解放される」ことと目指します。
現代的な「勝ち組」像のトップランナーと言えるでしょう。
歴史的な言い方をすれば「隠居」だとか「禅譲」とも言えるでしょう。
しかし、それは次の世代が育っているからできたことであります。
それ以上に、これらの行動は、その後に世間との関わりが無くなるわけではありません。
むしろ、周囲への影響力を増す為の行動と言えるでしょう。
仕事を失うということは、社会との関わりを1つ失うということです。
定年で仕事を辞めた男性が、孤独を強く感じているという話も多く聞きます。
幾つかの社会との関わり方を持っていないと、FIREも幸せとは言えないでしょう。
また、不動産等の不労所得を所持して、収入源を確保できたとしましょう。
しかし、不動産のメンテナンスや、資産の運用等、手放しになるわけではありません。
特に、FIREの原典的な意味には、節約も含まれていることを忘れてはいけません。
「勝ち組」の幻想
「勝ち組」という言葉の響きに惑わされてるのでしょう。
世の中、勝者が生まれれば敗者が生まれます。
勝ち続けなければ、いつかは歯医者になるでしょう。
また同様に、負け続けるということもありません。
それ以前に、「勝ち/負け」の定義すら人により違うでしょう。
価値観が多様化し、それぞれの幸せの形を求めることが許された社会。
自分にとっての価値のあることを見つめ直して、本当の「勝ち組」になることは、実はとても難しいことなのではないか、と考えています。
以上!
コメント
ニコ
先輩の引用嬉しいです(;;)
仕事を失うということは、社会との関わりを1つ失うということです。
→これグサっと来ました。
コロナもあり人間は人間とのかかわりに幸せを感じるようにできてるなぁと最近感じます。
user-key.
無理に「勝つ」必要はなく、負けなければ良いと思って生きてます。
ま、「いつかは歯医者になる」ならいいかなぁ!?
(コンビニより歯医者が多い現状では歯医者は敗者だろうけど。)
周りに嫌な思いをさせずに、最終的には死ぬときに悔いのない人生で有れば(「ま、こんなものかな?」と思えれば)良いのでは?
エンジニアカウンセラー白栁隆司
To;ニコ さん
今回引用させて頂いた記事を読んだときから、このネタで書こうと考えて、半年以上過ぎてしまいました。
現場で実際にお会いした「窓際族」な人のエピソード等、入れたいネタはまだあったのですが、いざ文章にまとめると難しいものです。
いずれ、その話も書く機会を作りたいな、と考えています。
やはり、人は人と関わらないと生きていくことができないんだと、様々なアクシデントの度に強く感じます。
システム開発はコンピュータを相手にする仕事のように考えられがちですが、その先にある人の営みに目を向けないと、良いシステムを作ることができないということも、日々考えていることの1つです。
エンジニアカウンセラー白栁隆司
To:user-key さん
コメントありがとうございます。
コメントを拝見して、徒然草の「双六の名人」の話を思い出しました。
> 勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。
ですが、結局その「負け」も双六のようにルールが決まっているわけではありません。
user-keyさんにとっては、死ぬ時に悔いが残ることが「人生のにおける負け」なのかもしれません。
つまり、自分の定義次第なのだと考えています。
実は、私の父もuser-keyさんと同じことを言っていました。
白柳も、それぐらい肩の力を抜いた生き方の方が、良いんじゃないかと考えています。
ですが、未だに白柳自身の「勝ち」も「負け」も分からないでいます。
その定義を見つけることは簡単ではない様です。