生き様149. 労働時間について改めて考える
「15分以下切り捨て」がトレンド?
前々回のコラムの中で、「1日8時間の上限まで働くことが前提であることが問題」という私の考えをお話しました。
その少し後にこの様な記事が話題になりました。
この記事では「労働時間は1分単位で計算するのが一般的」との旨が書かれています。
Yahoo!ニュースで配信されていた為、多くの人の目に触れた様です。
そして、Twitterのトレンド上位にも入っていました。
その為、多くの反応の声が上がっています。
その中にはこんなものがありました。
- それなら時間きっちりにタイムカードを押さなければいけないのか
- 8時間ずっと仕事に集中しきれない(小休憩はある)から、15分以下の端数はいい
- 残業が30分単位だったから当たり前では?
- 残業が付き始めるのが1時間後からだったからまだ良い方
今回は、この様な声に対する、白栁の考えをお話します。
いつもより短い記事になります。
労働時間に対する意識改革を!
この様な反応は、根本的に間違っています。
そもそも、前述の通り、1日の労働時間が8時間を越えなければ残業手当の支給は必要ありません。
そして、仕事に取り掛かる為の準備(着替えやPCの立ち上げ)も勤務時間です。
それに対して、賃金を支払う必要があります。
「1分単位での精算を認めるのだから、1分も脇目を振らず働け!」はもはや暴論です。
人間の集中力は8時間も続かないことは自明の理です。
そして、生理現象もあります。
適度な休息を取らせないことは、奴隷労働に他なりません。
使用者側に、重大な安全配慮義務違反があると言えるでしょう。
着替えて清掃・朝礼をしてから勤務時間に入る会社や、
定時時間の後に強制休憩30分がある会社も、未だにあります。
これらも、労働基準法違反の疑いが強くあります。
労働時間に関する取り締まりと意識の改革は、今後ますます広がる労働スタイルの多様化に向けて、真っ先に取り組むべき事柄でしょう。
とは言っても…?
ここまでの私の意見に、この様な声が上がるでしょう。
「そんなことをしたら、多くの企業が潰れてしまう!」
ええ、潰れれば良いんです。そんな会社。
誰かに奴隷労働を強いなければ成り立たない経済市場が健全な資本主義なわけありません。
国際競争力云々を言うなら、既にありません。
内需ですら維持できない程、国内の消費経済は疲弊しています。
スクラップ&ビルド。
潰れて経済が達行かなくなれば、その時は政治の出番です。
野次ったり、検討してるだけの「やってるパフォーマンス」は終わりです。
言葉の通り、汗をかいて、働いて貰おうじゃないですか!
今や時代はSDGsです。
誰かから搾取し使い潰す会社経営の、どこに持続可能性があるのでしょうか?
以上!