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ダニング=クルーガ効果

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言葉との出会いでは大切だと思う。

世の中には情報があふれている。しかし知識となる情報は限定的だ。一人の人間がアクセスできる情報は極一部であるし、アクセスできた情報の多くも知識とはならずに過ぎ去ってゆく。だから何かのきっかけでアクセスできた情報で、もしそれが知識となったとしたら、その出会った奇跡に感謝すべきではないか、そんなことを思った次第。

まあ言うほど大げさな話ではないのだが、少し前に「ダニング=クルーガ効果」なる言葉に出会うことがあった。端的に言ってしまうと、能力が低い人ほど自分の能力を過大評価するという認知バイアスの研究のことだ。

もともと、上から目線で高圧的にいろいろと言ってくるやつが大嫌いで。なぜか上から目線や高圧的な物言いをする奴に限って頓珍漢なことや非合理的なことを言っている。だからイライラするのだと常々思っていた。

そのような中で、偶然に「ダニング=クルーガ効果」という言葉に出会い、そんな研究もあるという情報にアクセスすることができた。妙に納得したものである。そうか。上から目線や高圧的な物言いをできるのは、能が低く自身の能力を過大評価しているからなのかと。

「夜郎自大」や「無知の知」などの言葉は知っていたが、「ダニング=クルーガ効果」は認知バイアスの研究という情報であり、それが自身の経験と関連づき知識となって定着する。研究がなされているということは、世の中にはそういう事象がかなりの頻度で起こっているという事実でもあるし、これまでイライラという感情の揺らぎだけだったものが、こいつは能力が低いという事が分かれば、それを前提にどう対応すればよいかを理性的に考えることができる。いわゆる知恵を得るということ。ただ、無能なやつから高圧的にいろいろと言われた、という事実は残るのでイライラすることはなくならないと思われるが。

以前、当時の取締役が新しい案件の関係で金沢に出張したことがあった。その状況を取引先に話す場に出くわしたことがあるが、「いやー、何もないところだったよ」と馬鹿笑い。「えー、兼六園とか美術館とあるんじゃないですか」と気を遣う取引先。「オレ、そんなの興味ないもんね」とまた馬鹿笑い。
ウチの取締役ながらみっともない。

そうか。今思い起こせば、こいつも能力低かった。能力の低さに加えて、取締役という役職や取引先との立場などが更に自己を過大評価させるのかもしれない。

だからやっぱり、言葉との出会いは大切だと思う。

Comment(1)

コメント

山無駄

個人的には石川へ2度ほど訪れたことがあります。
一度目は2008年に富山で開催された学会の帰りにぶらっと。
もう一度は、一昨年、カミさんの兄貴がいたこともありがっちりと観光。
その際に足を延ばした輪島の朝市が、今年の正月に震災に。

震災にあわれた方へのお悔やみと、早期の復興を祈念しております。

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