プロマネ至上主義の終焉
先日、SESを中心にやられている会社の営業さんと話をしていたとき、こんなことをぼやかれていた。
社内若手のエンジニアがプロマネになりたいと言い出した。だからPMやPMOとして入れる案件を希望と言われてるのだが、当社にそんな案件は出てこない。仕方しかたないので、もっと開発の経験を積んでからの方がよいのではないかと言っている。どうしたものやら。
専門のPMやPMOを探しているとなると、それなりの規模の案件だろうから依頼元もコンサル会社など相応の会社を探すであろう。中小のSES会社でそれを求めるのは厳しいだろうなと思いはしつつも、営業さんの次のぼやきに耳を傾ける。
じゃあ、何故PMやPMOになりたいのかと聞いても、本人には特にこれといった動機があるわけではなさそうだし、困ったものだ。
まあ、若い技術者ならそのようなものだろう。かかわった案件にPMがいて、威張っている上に単価が高い位の動機が関の山ではないだろうか。だから、その営業さんに言っておいた。
今後はPM専門職の仕事は減ってゆくので、PM専門職など目指さない方がよいとその技術者を諭したら?
営業さんとの他愛のない雑談だが、PM専門職の需要が今後減ってゆくという見通しはあながち間違っていないと思っている。というより、これまでこの業界に蔓延していたPM至上主義みたいな風潮は終焉を迎えるのではないだろうか。
自身が仕事を始めたころ、業界のキャリアパスはPG→SE→PM→SAといたってシンプルなものだった。しかし2002年に公開されたITスキル標準(ITSS)では11職種38専門分野、各分野7レベルに定義された。重要な点は、専門性とレベルが明確に分けられたことだ。昔はPGの上位職がSEで、SEの上位職がPMで、と経験による年数もしくはスキルレベルに応じて役名が変わっているのに対し(これを出世魚モデルと勝手に言う)、ITSSではソフトウェアデベロップメントのLv1~Lv6。プロジェクトマネジメントのLv3~Lv7などと、上下関係ではなく役割の水平関係として定義されている。したがってPG、SE、PMは役割の違いであって、レベルの違いではない。PGのLv6とPMのLv3では圧倒的にPGの方がレベルが高いのだ(ITSSにPGやSEという職種があるわけではないが)。当然キャリアパスも一直線ではなく多様なパスが考えられる。
感覚的にはITSSは良く整理されており、出世魚モデルに比べて実用的であるように感じはするが、実際のビジネスの世界ではITSSはあまり普及しておらず、いまだに出世魚モデルが幅を利かせている。
何故か。純粋にITSSはスキルにスポットを当てておりビジネスで使うにはオーバースペックである、というのが個人的な見立てである。どういうことかというと、ITを専門としないユーザ企業が発注者となった場合、ITSSの専門やレベルの必要性が分からないのでこのレベルで見積が出されても評価できない。PG、SE、PMレベルで単価を決めて必要な人数分で評価するのが関の山だ。加えてITSSのキャリアパスは線ではなく面なので、今はソフトウェアデベロップメントのLv4だが、他にITスペシャリストかカスタマ―サービスを経験しているかでできることが相当変わってくる。どうやって単価の妥当性を決めればよいのかわからない。
もとい。正確には発注者は単価と工数ですら評価できているわけではない。妥当な単価や妥当な工数などもわからないので総額で判断するしかない。一式幾らで発注するには、あまりに粗すぎるから一応単価を決めて、工数を出させているに過ぎないのだ。だから、PG、SE、PMレベルで充分で11職種38専門分7レベルで単価と工数を出されても、ただ手続きのムダという事になりうる。
これはこれで仕方のないことだ。しかし一方で問題だと思うのは、IT企業側が客とのビジネスが出世魚モデルの人月商売だからと言って、自社技術者の人材育成やキャリアパス形成にもいまだ旧態全とした出世魚モデルをつかっていることだ。IT企業が従業員の給与を年齢と共にあげてゆくためには、客先からの単価も上げてもらう必要がある。そのため経験年数だけでPGやSE、PMなどと呼称を変え、単価をあげてもらっているのは実態だ。しかし技術者育成の観点からすると客観的にスキルを評価できる指標を持ってビジネスとは別物として育成した方が良い。
本来ならばプログラマとプロマネは異なる役割で必要とされるスキルが異なる。にも拘わらずPGで経験を積んでSEとなり、SEで経験を積んだからというだけの名ばかりPMでは専門のノウハウや知識、経験があるわけではないので、きちんとその役割を果たせるとは思えない。体系だった知識を持たずに見様見真似だけでできる役割を専門職とは言わない。
言い換えるならば、これまでは専門性のないプロマネでもプロジェクトが回った、ということでもある。だから動かないコンピュータ問題が多発した、とも言えるかもしれないが、規模もさほど大きくなく、複雑でもなく、潤沢な予算と余裕のある納期のプロジェクトではプロマネのスキルが低くてもプロジェクトが困るとはない。しかしシステム開発は大規模複雑化、低予算短納期の道を進んでいる。だから、高度なスキルを持った専門のプロマネが必要になるかというと、問題はそんなに単純な話ではない。
求めるシステムの大規模複雑化のスピードが速ければ、そもそもスクラッチ開発自体を顧客が求めなくなると考えるのだ。DXの言葉がはやる通り、顧客のビジネスも変革の期待感が高まっている。そのなかで大規模なシステム開発に何年もかけるのはリスクでしかない。加えてセキュリティへの必要性がたかまっているなかで、その要件までクリアしたシステムを一から作るのは至難の業だ。
スクラッチ開発を回避するとなると、システムはパッケージやサービスの導入が主流となる。当然、大手企業や特殊な業態の企業など、ぴったりとあったパッケージやサービスがない場合は開発せざるを得ないが、まったく一から開発というよりかは複数のパッケージやサービスを組み合わせたうえで、必要最低限のスクラッチ開発という方法になるであろう。このような開発の場合は様々なシステムを統合するので多くのステークホルダーが関係し、プロマネの役割は重要になる。
しかし日本は企業数比で90%以上、従業員数比で70%が中小企業である。中小企業ではなかなかこのような贅沢なシステム導入はできないので、シンプルにパケージやサービスの活用が主流になってくるだろう。その様なシステム導入ではプロマネの重要性は低い。要は純粋なシステム開発プロジェクトが減るということは、より高度なプロマネの専門性が求められる大手企業向けプロジェクトと、既製品を導入するプロマネの専門性が必要としない中小企業向けプロジェクトの二極化が進むということだ。それは出世魚モデルで出来上がった専門性をもたないプロマネの需要は減る、ということにも他ならない。これが、今後はPM専門職が減ってゆくといった理由である。より正確にいうのであれば、SESを専門としている中小の会社ではPMの案件は少なくなるし専門性も高められないから、もし本当にPMやPMOになりたいのであれば、コンサル会社などそれなりの会社に転職するしかない。
この構造はインフラ技術者の需要とも似ている。一昔前では、システムを導入するためには社内にネットワークを構築し、サーバーを導入しなければならなかった。機器の調達から、設置、設定作業など物理的な作業のノウハウが必要だった。しかしクラウド技術が発達してくると社内に物理的な機器を設置する必要はなくなくなり、ネット上でポチポチとボタンを押せばインフラは構築できる。ではインフラ技術者は不要なのかというとそうではなく、クラウド事業者ではより高度な技術を持ったインフラ技術者が必要になる。技術が変革すると、技術者や必要スキルの再配置も進むのだ。
もう一つ、時代も変わってきている。それはVUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)などという言葉で表わされているが、その対応も必要だ。これは、システムが大規模複雑化していっていることとも大きく関係している。本編は情報システムを前提としているが、これを社会システムを読み替えると社会システムの大規模複雑化がVUCAへの対応要求を促進させているともいえる。
VUCAへの対応はこれまでの計画主義のマネジメントでは対応しきれない。PDCAやOODAなどのスパイラルな方法が求められる。そしてこのスパイラルを回すには、リーダーシップが何より重要だ。いくら中小企業が開発を行わず、パッケージやサービスなど既製品の導入を主体に進めたとしても問題が発生しないわけではない。逆に既製品を使わないといけないので、そこで発生する問題はやっかいである。そしてそれはマネジメントの問題ではないので、問題解決する力、リーダシップが必要になるのだ。
そうVUCAの時代はPMよりも、きちんとした専門技術をもって問題解決できるリーダの方が重要だ。アジャイル界隈では、よく「正しいものを正しく作る」というような言い方がなされる。「正しく作る」を担うのはPMの役割だが、VUCAの時代は「正しいもの」が何かが分からなくなってきている。「正しいもの」が何かは、PMではわからない。いくら優秀なPMがいても、「間違ったもの」を「正しくつくる」ということが起こりうるのだ。だから作るべく「正しいもの」は何かを常に問いただす必要がある。これはリーダーの役割。
以前はプロジェクトが始まるとPMを誰にするかというのが重要課題であった。PM次第でプロジェクトの成功可否が分かれるからだ。それは作るべく「正しいもの」が明確だったので「正しくつくる」点にみに焦点が当たっていたため。しかし大規模複雑化、VUCAの時代になるとそもそも作るべく「正しいもの」が曖昧になるので、リーダを誰にするかが重要課題になる。そして「正しいもの」を見つけながらつくることが「正しくつくる」ということになる。
そう。プロマネ至上主義の時代は終わったのである。そのことを是非、特に若い技術者に知っておいてもらいたい。