本当に、1円を笑うものは1円に泣くことになるのか
とある社長が、今年は経営が厳しいからと節電を徹底させ、ン万円浮いたことを誇らしげに話していました。
ある炎上プロジェクトのリーダが、メンバーの勤務表と日報の提出管理だけをひたすら一所懸命やっている現場を見たこともあります。
どうも人は、自分のキャパを超えた状況に陥ると、本当に取り組まないといけないことから目を背け、誰でもできる重要ではない作業に逃げ込む傾向にあるのではないかと思います。
経営の厳しい社長は抜本的な立て直しをしないといけないでしょうし、炎上プロジェクトのリーダはまずは火消し作業をしないといけません。
経営が良かろうと厳しかろうとムダなコストは削減しないといけませんし、勤務表や日報の提出を普段から徹底させておけば、忙しい時にその管理作業にムダな労力を使わなくて済みます。
それができない社長やリーダから、経営が厳しくなるしプロジェクトが炎上するのかもしれませんが。
ことわざや格言に揚げ足を取るのはヤボですが、今時、1円で泣くほど困ることはないでしょう。逆に1円単位を細々管理するよりかは、その労力を数万円単位で得る方に使う方がよほどマシです。
ずいぶん昔の話ですが、100億円規模プロジェクトのお金の管理を手伝ったことがあります。各所から、入ってくるお金と出てゆくお金の資料が集められてそれの整理。数千円~数億円単位の資料が大量に集められます。各資料の数字が取り扱う金額単位で桁落ちされています。数字の桁は3桁だけど単位が円だったり千円だったり百万円だったり。
単位を読み間違うと、数千万円単位でおかしくなることには往生しましたが、それより面白かったのが、その時の責任者が数十万円単位だと細かくつべこべ言ってくるのに、数千万円単位だととたんに何も言わなくなること。
人間は器ってものがあるのだな、とそのときつくづく思ったものです。