ロバの寓話
5月に「GOODなリーダーは団結を生み、BADなリーダは分断を生む。
そして世界は分裂している」というタイトルで、トヨタ自動車の決算発
表会での豊田社長のスピーチを、マスコミが真逆の表現で報じたことを
事例に、リーダの在り方について考察してみました。
この事例について、6月のトヨタの定例株主総会で豊田社長が、ロバを
売りに行く親子の話を引合にメディアを批判した、という記事を見つけ
ました。
「マスコミはもういらない...トヨタ社長の「ロバの話」を考える」
ロバを売りにゆく親子の寓話は、夫婦だったりと多少のアレンジがある
もののマンガ付きでよくネットで見かけるのでご存じだと思いますが、
一応、簡単にストーリをご紹介しておきます。
ある親子がロバを引いて市場に出かけた。それを見た見た人がいう。
「せっかくロバを連れているのに、乗りもせずもったいないことだ」
なるほどと思った父親は息子をロバに乗せた。するとそれを見た人
が言う。
「元気な若者が楽をして親を歩かせるなんて、ひどいではないか」
なるほど。こんどは父親がロバに乗り息子を歩かせた。それを見た人
が言う。
「自分だけが楽をして子供を歩かせるなんて、ひどい親だ」
仕方なく親子でロバに乗った。それを見た人が言う。
「二人も乗るなんて、ロバがかわいそうだ」
困った親子はロバを某に括り付け、二人で担ぐことにした。不自然な態勢
に驚いたロバは橋の上で暴れ、川に落ちて死んでしまったそうな。
この話を持ち出した豊田社長ははたして、無責任な発言を行う市井の人々
に例えてマスコミを非難したかったのでしょうか。それとも、無責任な発
言に翻弄される自身を自制したかったのでしょうか。
もうひとつ似たような話が。これもネット上の話なので、ご存じの方も多
いかと思いますが、おおよそ以下のような感じ。
会社の前にコンビニがあったが、近隣住民から会社に、昼休みに大勢がコ
ンビニに押しかけて迷惑しているとクレームが入る。会社はそのコンビニ
に行くことを禁止したところ、コンビニがつぶれて近隣住民が困った、と。
このようなクレーマをノイジー・マイノリティというらしいです。豊田社
長はマスコミをノイジー・マイノリティになぞらえたので、マスコミはさ
ぞかし不本意だったでしょう。
ただ、ナシーム・ニコラス・タレブ 著『身銭を切れ――「リスクを生きる」
人だけが知っている人生の本質』にもあるように、マスコミには身銭を切ら
ず、報酬ばかりを享受してリスクを第三者に押し付けている一面もあること
を考えると、豊田社長の言い分にも一理あるかと。
要は、他人から受ける評価はノイジー・マイノリティなのか、身銭を切っ
て言ってくれてる評価なのか見極める必要があります。また、逆に自分が
誰かを評価する際は、「自分が相手を評価しているとこ、相手もまた自分
を評価しているのだ」ということを忘れてはいけません。
以上、勝ち逃げ先生さんの「他者評価依存の高い代償」へのカウンターコ
ラムでした。
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コメント
ちゃとらん
このお話、奥が深いですね。
昔は新聞、テレビしか広告メディアがありませんでしたが、今では情報発信の手段が色々あります。企業がマスコミを見限って、独自のメディア戦略を持つ時代では、マスコミも旧体質を改めないと、衰退の一途をたどることになるんでしょうね。
リンク記事に指摘があったように、企業のメディア戦略において、良い情報だけではなく悪い情報(不都合な情報)もきちんと発信する透明性がないと、結局信用を落としてしまい、それは製品の信頼性、企業の信頼性にまで影響する時代なんでしょう。
山無駄
どうも ちゃとらん さん
最近のまっとうな企業なら、悪いことは隠すよりも自ら公開する方向にあると思います。
隠しておいても、それをマスコミに暴かれるデメリットの方が大きいことを身に染みて
知っているからです。そのような風潮を作ったのはマスコミの功績なのでしょうね。
例えばトヨタの今年度営業利益5000億円という発表は、マスコミ的表現の前期比80%減
と表現をしたとしても虚偽の報道ではありません。そういった意味ではトヨタは悪い情報
を自ら発信した、ということになると思います。ただ、良いか悪いかは情報を発信する側
と受取る側の判断の問題なので、豊田社長がこのコロナ禍の中で5000円の利益が確保でき
るという良い情報として発信したかったのに、マスコミが悪い情報として伝えてしまった、
ということだと思います。
問題は、マスコミが自分たちの考えを報道する情報に加えてよいか、ということだと思い
ます。これはマスコミのプロパガンダになりかねません。隠していることを暴くことや虚
偽を正すこと、これらはマスコミの重要な役割だと思いますが、これら社会正義に紛れて
自らのプロパガンダを行うと、信頼性を損ないマスゴミなどと言われるのでしょうね。
おたみ
>誰かを評価する際は、...
「相手」だけでなく、「第三者」の目があることも意識する必要があるかもしれませんね。
評価の「過程」や「理由」を明確にしておかないと「第三者」の疑念を招きかねないかな?とも思います。
山無駄
どうも おたみ さん
そうですね 。第三者の目はとても大切だと思います。360度評価という方法もありますが、
評価者自身の評価というのもできていないと、正しい評価はできません。
社内の評価制度の設計に携わったことがありますが、(役職上)評価者となる者のなかには
勘違いしているものも多く、部下を評価することを特権と思っていたり、部下を評価するの
良いが自身は評価されたくないと思っていたり。
評価は目的ではなく人材育成の手段であること、評価の問題は評価者の問題であること。
提言したのに軽くスルーされた経験があります。
勝ち逃げ先生
ぼくがロバの寓話で得た教訓は2つ
1.ノイジーマイノリティは人生に選択肢を与えてくれる
2.その選択の責任は全て自分にある
良い悪いは別にして、ノイジーマイノリティのおかげで、この親子は見えなかった選択肢と出会うことが出来ました。しかし選択を誤り亡くなります。寓話なので滑稽に描かれてますが、現実にも起こりうる話ですね。しかし、よくこの親子がこの歳になるまで生存できたものだと感心しています。もっと早い段階で色々とあったろうに。。。
山無駄
どうも 勝逃げ先生 さん
確かに選択肢は広がりますね。ちなみにですが、川に落ちて死んだのは親子ではなくロバということになってます。言葉足らずで誤解させてしまいました。スミマセン。
売ろうとしたロバ(財産)を失ってしまった、というオチですね。それにしても、私はこの親子、きっと最後まで幸せに生きていけると思ってます。だって、愚直なまでに人の話を聞き入れる、ってのもひとつの才能ですから。
匿名
勝ち逃げ先生のコメントがシンプルで分かりやすいなぁ。