パソコンの終焉
■利用
WindowsXPのサポートが終わり、自宅パソコン買替えの必要性に迫られた。
VAIOユーザの自分としては迷わずSonyストアを開いたのだが、殆どのVAIOが販売終了となっており愕然とする。しかも使用中止の案内が出ているシリーズまであるではないか。SonyのVAIOブランド売却の情報は知っていたが、改めて実感するとショックが大きい。今の時期、VAIOを買うには勇気がいる。
さてどうしたものかと考えあぐね、ふと自宅でのパソコン利用状況に思いを巡らせた。
個人持ちとしては、パソコン1台の他にiPadとスマホがあるのだが、最近はパソコンを開く事が殆どない。はっきり言って年賀状作成時だけだ。かつてはパソコンがその役を担ってた、写真の整理、ネットの検索、ネット購入、映画予約、ゲームなどはすでにiPadとスマホに役割を譲っている。後は体調を壊してなお、仕事の必要性に迫られた時くらいであろうか。
そうか、自宅でのパソコン利用は年に一回程度だったのか…。
■欠陥
まがりなりにもIT業界に身を置いているため、仕事上パソコンは必要不可欠である。そして仕事柄、一般企業のパソコンの利用実態を目にする機会が多々ある。そこで分かることは、一般のユーザとってパソコンは厄介者以外の何物でもないという事。設定、操作、更新、故障、セキュリティ。どれもがユーザにストレスを与え続けている。今の世の中、パソコンを使った仕事は多くなったが、一部のオタクを除いて喜んでパソコンを使っているユーザは皆無に等しいのだ。企業だけではない。身内がパソコンを買った場合も、必ず何かにつけて呼びつけられる。迷惑な話だ。
パソコンの普及をいつからにするかは諸説あるだろうが、Windows95がそのタイミングだとすると、約20年間パソコンは我々の道具として君臨してきた事になる。人々はパソコンを20年間も使い続けてきてなお、その存在に不満を持ち続けているのだ。少し大袈裟かもしれないが。
これは道具として、何らか致命的な欠陥があるからに違いない…。
■終焉
そう考えると我が家の情報端末の世代交代やSonyのVAIO売却は、実はパソコンと言う道具がその役割を終えようとしている前兆に思えてくる。
スマホやタブレットがパソコンの進化した姿と言えないこともないが、やはり道具としてのパソコンは、その欠陥ゆえ終焉を迎えるしかないのだろう。パソコンがその役割を終え次の世代にその役割を譲り、漸く我々は情報に対して自由になれるのかもしれない。
そうかもしれないが、当面、自宅のパソコン問題は残ったままだ。いっそ、Macに乗り換えようか…。
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コメント
きしべ
確かに近年、スマホやタブレット端末の普及は著しいですがあくまでもパソコンの子機だと思います。iPadもそうじゃないですか?
今後どうなるかはわかりませんがまだパソコンは現役であり最前線だと思います。
きしべ 様
コメントありがとうございます。
そうですね。ウチはiPadは単独で使っていますが、iPodはパソコンが必要ですね。
そのうちダイソンの掃除機の様に、パソコンの再構築製品が出るのかもしれませんね。
かなた
典型的なコンテンツ消費型の使い方ですね
そういう使い方ならPC使う必要ないですね
ちょっと長い文章とか作ろうとするとPCじゃないとやってられません
かなた 様
コメントありがとうございます。
職場では、WordにExcel、PPTがバリバリなのでPCではないとどうしようもありませんが、家だとどうしてもコンテンツ消費型になってしまいますね。
私もiPadのお陰で自宅PCは滅多に使わなくなってしまった口なので記事内容に100%賛同です。自宅PCは電源ケーブルも抜いてたのですが、久しぶりに電源入れたらBIOSのバッテリーが干上がって設定が無くなってました。設定を直してる最中、パソコンに使われてる感は払拭できませんでした。僕たちはパソコンを使っているつもりになっているけど、実は使われているのは僕たちの方なんじゃないでしょうか!?
最近は会社のサーバーをリモートデスクトップで使えるようになって、益々自宅PCの無意味感に拍車がかかってますが、その会社のサーバーですら、Office365とWindows Azureがあれば不要なのではないかと思います。人類がハードウェアの支配から解放される日は近いのかもしれません。
Take4 様
コメントありがとうございます。
そうですよね。スマホやタブレットが究極の姿とは思いませんが、「設定」「操作」「更新」「故障」「セキュリティ」という道具としての本来の目的以外の、よりハードウェアに近いところのレベルがパソコンよりかはシンプルであるように思えます。
加えてサーバはこのハードルが更に高く、ユーザにとって高コストなものになっていますね。
サーバやパソコンがこの世から消えることはないのかもしれませんが、これらはより専門家の範疇になり、ユーザは解放される方向性は間違いない様に思えます。
vaidurya
パソコンへの不満の多くは、Microsoftが開発し、Appleの互換機能採用で普及してきた。その状況で、OSへの不満が、パソコンへの不満としてとりあげられることは、深刻な市場の異常性を示している。
iOSやAndroidは、その互換機能の一つ、重くなり続けるOS機能を備えているし、パソコンを駆逐して、タブレットで自由にたどり着くわけでも無い。
今時のタブレットよりも遅いパソコンでXubuntuでも動かしていればいいような気はするんだけどね…そうもいかない世界を作ったのはMicrosoftとその使徒たちだ。
vaidurya 様
コメントありがとうございます。
確かにMicrosoftにもその罪の一端はあるかと思いますが、ただMicrosoftに全責任を押し付けるのも酷なはなしで、他社も現在のパソコンに取って替わるイノベーションを起し切れていないのは事実だと思おいます。
スマホやタブレットの台頭をきっかけに、本当の意味での情報端末の誕生を期待してなりません。