残りの時間
齢も50半ばが近くなり、なんとなくではあるが残りの時間を意識しはじめた。個人としてはもう少し時間があるかもしれないが、組織人だとあと10年である。もしかしたら、どちらももっと早いかもしれないが。
16年前、エンジニアライフへの記念すべき最初の投稿に、こんなことを書いていた。
「奇跡のプロジェクトを成功させた「設計事務所」という仕事」より
- 過去の奇跡プロジェクトと、その分析を元に「動かないコンピュータ」問題にどう取り組むか。その考察を事例を交えながら、
- 事業化の道のりをライブ中継します。もしかすると悩み相談になるかもしれません。皆さんからのアイディアやご意見をコメントいただければ、と期待しております
- 以上のことを踏まえ、人材育成や設計論など、個別に議論できればと思っております
16年間の投稿を振り返ってみても、脱線は多々あるもの、おおむねテーマにそったコラムを投稿しているように思っている。ただ、「事業化の道のりをライブ中継」というのは身元割れしそうなので、あまり書いてはいないが、ちゃんと事業化は進んでおり、今は以下の投稿にて書いたフェーズにいる。
だからこそ、残りの時間を意識し始めているのだろう。自分がいる間に「死の壁」を乗り越える道筋をつけることができるかどうかが今のところの第一命題だ。
ただ一方で、残りの時間が限られてくるとムダなことはなるべくやりたくないのだが、何故か残り時間が短くなればなるほどムダな作業が増えてくる気がする。
ムダなこととは、果たさなければならないミッションに貢献しないこと、自分でなくてもできること、価値をうまないこと。こうしてムダを定義してみると、あらためて自分のやっている作業にムダが多いことに気づかされる。
いつまでにお願いします、と依頼されてやる作業は殆どムダな作業である。サラリーマンとしてやらないといけない作業も、定義に照らし合わせてみると、ほぼムダだ。実のところ、価値ある作業、ムダではない作業といのは、やらされるのではなく、やらないといけないと思ってやる作業である。
これは、サラリーマンとしては大きなジレンマだ。
孔子先生はこうおっしゃった。
「五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩」
50半ばなので、やらないといけないことは見えてきたけど、60にはなっていないので耳に従うことはできてない、ということなのであろうか。
でも、サラリーマン人生はそんなに待ってはくれないが。