奇跡のプロジェクトを成功させた「設計事務所」という仕事
はじめまして。山無駄といいます。
九州の小さなシステム会社で、SE兼営業兼企画、みたいなことをやっております。
今回は初めてですので、自己紹介も兼ねてこれまでやってきたことや今後やろうとしていること、本コラムで目指したいことを簡単に紹介したいと思います。
○これまで、どういうことをしてきたか?
自分というよりは会社が、という話になりますが、10年ほど前から某社会インフラ系企業のシステム開発IT化プロジェクトに「設計事務所」として参画してきました。ユーザーは数千人。予算規模はウン十億という超ビッグプロジェクトで、3年という短期間で基幹システムを開発し、運用まで持っていきました。
特筆すべきは、当時まだ事例の少なかったWeb系Javaの大規模システムで、当時偶然知り合ったサンマイクロシステムズの支社長から「九州でJavaを使った大規模システム開発が進んでいることは知っていたが、うまくいくとは思ってもいなかった」というコメントをいただきました。「動かないコンピュータ問題」が叫ばれる中、そもそもプロジェクトが完走したこと自体が奇跡的なのだそうです。
ちなみにシステム開発プロジェクトには聞きなれない「設計事務所」とはどういう役割か。一言でいうと「ユーザーと開発会社の仲立ち、翻訳」ということになります。
具体的には、システムの企画構想、開発プロジェクトの統括管理、開発費用の管理、ユーザーの他部門や経営層への調整支援、基本設計、データ整備・移行、システム移行、ユーザー教育、ヘルプデスク運営などが大きな役割です。
「コンサルやSIerの仕事をごちゃまぜでこなしてきた」といえば正確な表現かもしれません。コンサルやSIerとの違いは、「これはユーザーの仕事、あれは開発会社の仕事、それがSIerの仕事」という風に仕事を割り切らず(なにせユーザーの仕事も開発会社の仕事も経験ですので)、次々と出てくる課題に対して、あるときはユーザーの立場、あるときは開発会社の立場、ある時は中立的な立場で取り組むところです。それでも手に負えない課題については「外部の専門コンサルタントを探し出してプロジェクトに投入する」という役割も担いました。
もしも本プロジェクト成功が奇跡だというのであれば、「設計事務所」の役割自体が奇跡を起こした要因の1つかもしれません。
「MiracleをRepeatableに」。このキャッチフレーズのもと、次に我々は、この奇跡プロジェクトを事例として「システム開発における成功要因は何か」ということを工学的に分析しました。この辺りの話は本コラムのテーマとなりますので、詳しいことはまた別の機会で話したいと思います。
○今後、何をやろうとしているか?
奇跡プロジェクトが一段落したのち、次のテーマは「中小企業を対象としたシステム開発IT化」でした。社会インフラのメンテと工事を主体とした工事会社で、ユーザー数は100人、予算は5000万円程度です。超ビッグプロジェクトをこなした自負からかけっこう気楽に考えていたのですが、なんのなんの。中小企業は中小企業の特有の問題が多数存在し、システム開発IT化も簡単なものではありませんでした。この辺りの話も面白いので、随時紹介していきたいと思います。
3年間かけてようやくプロジェクトが一段落し、少しずつではありますが効果も見えてきたので、この事例を元に他社展開をしてゆくことになりました。これが、わたしの今後の大きなテーマになります。いわゆる事業化です。
当面の目標は3年後の単年度黒字。これはライブ中継として本コラムで紹介できたら、と思っております。
○まとめ。本コラムで何を話すか
- 過去の奇跡プロジェクトと、その分析を元に「動かないコンピュータ」問題にどう取り組むか。その考察を事例を交えながら、
- 事業化の道のりをライブ中継します。もしかすると悩み相談になるかもしれません。皆さんからのアイディアやご意見をコメントいただければ、と期待しております
- 以上のことを踏まえ、人材育成や設計論など、個別に議論できればと思っております
ソフトウェア受託開発から出発し、技術者派遣会社となり(一時期後退していた)、大規模プロジェクトの参画をきっかけに設計事務所と変革し、そして自社商品を持って事業展開を目指す(うまくゆくかはお楽しみ)。
そんな一代叙事詩? になるかもしれないので、お楽しみに。