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おしつけ

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自分がどれだけ相手のことを想っているか、おしつけてくる人たちがいる。得てしてこの手の人たちは、その対価を相手からもとめる傾向にある。そして、その対価が足りないと不満を持ち始める。

だから、相手に対して自分がどれだけの想いを持っているか、どんなことをしてきたかをアピールするタイプの人たちが苦手だ。

「私はあなたのことを、こんなに想っているのに」
「私はあなたに、いろんなことをしてあげたのに」

「でも、あなたは...」

ホラーもしくはストーカー加害的思考である。

そこまで極端でなくても、程度の差はあれ誰でもこのような思考に陥る可能性はあるのではないだろうか。誰かのために何かをした際、見返りを求めたくなるのはよくあることだ。

でも、超えてはならない一線というのもある。それは、こちらの想いや行為に対して相手は対価を払う必要はないということと、価値は相対的なものなので、こちらの想いや行為の価値の大きさと相手が受け取った価値の大きさは異なる、ということ。

当たり前ではあるが、この前提がない人達がいる。いや、もしかしたら、実のところ相手への要求だけしかなく、自分の想いや行為へのアピールはただの口実なのかもしれない。

よく、想いが強ければ強いほど、願いは叶うという。また、願いの強さとそれが叶うかは別物だともいう。中島みゆきの「希い」ではないが。

個人的には願いの強さと、その成就との間には相関関係はないが、強く願っていると感度があがり、成就のためのきっかけを見逃さないので、成就する確率は上がるのではないかとは思う。あくまで確率論として。

どちらにしろ、それが自分の中での願いでいる間は問題ない。自分の中から飛び出し、相手に向かってしまうと危険だ。その第一歩が価値のおしつけだ。

だから、相手に対して自分がどれだけの想いを持っているか、どんなことをしてきたかをアピールするタイプの人たちは、価値観の多様性を認めない(もしくは認識しない)、偏狭な人たちだともいえる。そしてこのような人たちは、人の話を聞かない(受け入れない)人たちでもある。

だから、嫌いだ。

※ご察しのとおり、最近なにかあったのです。

Comment(6)

コメント

user-key.

同じようなことが有りますが、「それって、やってることは押し売りと同じやん」というと気づかれる確率が上がる気がします。

user-key.

「排他的」と言うよりは「考えることを放棄している」様に思います。
考えるきっかけを与える必要が有るかと。
ex.相手、休みの朝にドアフォンを鳴らし「健康的な生活リズムを整えましょう!」私「深夜勤明けでさっき寝たとこ、あんたの都合で起こすな」相手「そんな不健康なことしてたらアカン、仕事変えなさい」私「あなたは、夜中や休日に停電や家族が胸を押さえて倒れたり火事や犯罪に巻き込まれても休み明けまで待つのですか?」と言うと来なくなりました。
(単にめんどくさいところへは行かないようにしただけやん)

先生ショナル

この記事、共感する人が沢山いると思います。こういう困った人って結構いますよね。
私も数年前までの上司が思い起こされました。「こちらが何かを指摘すると、話の途中でいなくなる、電話を切る、連絡がとれなくなる、あちこちで当方の悪口を言って回る」にも共感です。
私の元上司の場合は、今は県外に引っ越しています(私が追い出したわけではないですよ・笑)。今でも元上司のことを思い出してムカムカする時がありますが、ひとしきり思い出しイライラをしたところで、最後は「でもあの人は県外に出て行った! 良かった!」に帰着します。

で、良い文章だと思うので、せっかくなら誤字を直すと良いと思います。
「あくまで確立論として。」は、「確率論」が正解ではないでしょうか。

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