おしつけ
自分がどれだけ相手のことを想っているか、おしつけてくる人たちがいる。得てしてこの手の人たちは、その対価を相手からもとめる傾向にある。そして、その対価が足りないと不満を持ち始める。
だから、相手に対して自分がどれだけの想いを持っているか、どんなことをしてきたかをアピールするタイプの人たちが苦手だ。
「私はあなたのことを、こんなに想っているのに」
「私はあなたに、いろんなことをしてあげたのに」
「でも、あなたは...」
ホラーもしくはストーカー加害的思考である。
そこまで極端でなくても、程度の差はあれ誰でもこのような思考に陥る可能性はあるのではないだろうか。誰かのために何かをした際、見返りを求めたくなるのはよくあることだ。
でも、超えてはならない一線というのもある。それは、こちらの想いや行為に対して相手は対価を払う必要はないということと、価値は相対的なものなので、こちらの想いや行為の価値の大きさと相手が受け取った価値の大きさは異なる、ということ。
当たり前ではあるが、この前提がない人達がいる。いや、もしかしたら、実のところ相手への要求だけしかなく、自分の想いや行為へのアピールはただの口実なのかもしれない。
よく、想いが強ければ強いほど、願いは叶うという。また、願いの強さとそれが叶うかは別物だともいう。中島みゆきの「希い」ではないが。
個人的には願いの強さと、その成就との間には相関関係はないが、強く願っていると感度があがり、成就のためのきっかけを見逃さないので、成就する確率は上がるのではないかとは思う。あくまで確立論として。
どちらにしろ、それが自分の中での願いでいる間は問題ない。自分の中から飛び出し、相手に向かってしまうと危険だ。その第一歩が価値のおしつけだ。
だから、相手に対して自分がどれだけの想いを持っているか、どんなことをしてきたかをアピールするタイプの人たちは、価値観の多様性を認めない(もしくは認識しない)、偏狭な人たちだともいえる。そしてこのような人たちは、人の話を聞かない(受け入れない)人たちでもある。
だから、嫌いだ。
※ご察しのとおり、最近なにかあったのです。