ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

イノウーの選択 (4) 見えない市場

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 「浅海さん、ごぶさたしてます」B・オーシャン・エクスプローラーズ株式会社の大島さん、旧姓木名瀬さんは、丁寧に挨拶した。「イノウーくんも元気そうですね」
 プライベートでは、家族ぐるみで定期的に会ってはいるが、仕事で顔を合わせるのは久しぶりだった。今年に入ってからは、インストルメンタリティへの人材投入が先細りになっているためだ。
 しばらくの間、木名瀬さんと浅海さんは、互いの近況を交換し合った。浅海さんは放っておけば何時間でも話していたいような顔をしていたが、木名瀬さんは適当なところで話題を転じた。
 「システム開発室の正社員ですか」懐かしさが声に滲んでいた。「順調に業務が途切れないってことですね。結構なことです」
 「ぜひ、優秀な人材を紹介していただきたいです」
 「もちろんお安いご用......と言いたいところなんですが」木名瀬さんの表情が少し曇った。「これがなかなか難点でして」
 「というと?」
 「エンジニア市場は、現在、かなりの売り手市場なんです。ご存じでしたか?」
 あまり興味を持っていなかったぼくは曖昧に頷いておいたが、浅海さんは人事課の採用担当だけあって、ぼくよりも多少は事情に通じていた。
 「うちのした......協力会社の人事担当からウワサは聞いてます。エンジニア不足で、20 代、30 代の若手の中途採用がかなり難しくなってるとか」
 「転職希望者がいない、というわけではないんです」木名瀬さんはため息をついた。「むしろたくさんいますが、サイトに掲載したとたん、オファーが殺到するんです。優秀そうな人だと、同日に10 社以上から声がかかります」
 ほとんどの転職希望者は、まだ現職で勤務中なので、10 社からオファーがあっても、毎日面接に出向くのは難しい。せいぜい、週に1 社か2 社といったところだろう。会社によっては、順番が回ってくるまでに数週間以上、待たされることになる。
 ようやく面接にこぎつけたとしても、エンジニア側からすると、多数のオファーの中からゆっくり検討する余裕があるので、提示した条件によっては、あっさり辞退されてしまう。そうなると、また最初からやり直しになるわけだ。
 複数の応募者にオファーを出し、並行して選考を行うこともできるし、実際にそうしている企業も多いのだが、その場合は全ての応募者の選考が終わるまで、一人に内定を出すことができない、という問題がある。とりあえず全員に内定を出しておいて、一人が決まったら残りは取り消すというのは、もちろんルール違反だ。
 「地方だとまた状況は異なるんですが」木名瀬さんが言った。「首都圏はしばらくそんな状況が続くでしょうね」
 「なんでそんなことになってるんでしょうね」
 単なる修辞疑問のつもりだったが、木名瀬さんは回答を持ち合わせていた。
 「K自動車の業績の話はご存じですよね」
 「あまり好調ではない、というぐらいは」
 以前は、北米でのシェアが今一つ伸び悩んでいる、他の自動車メーカーとの経営統合が白紙になった、といったニュースサイトのトップページに上がってくる見出しが印象に残っている程度だったのだが、つい最近、身近なところで実感させられるできごとがあった。
 前職の先輩である細川さんは車が好きで、SNS やリアルでのやり取りも車関係の話題が多い。先日、マリとそろそろ車を買おうか、という話が出たので、いろいろ相談していたのだが、維持費の話から法定点検の話題になったとき、こんなことを言ったのだった。
 「これまで車検とか法定点検のときには、サービスで洗車をしてくれてたんだよ。だから点検前は、自分で洗車するのを止めてたりしたんだ。だけど今年から、無料の洗車サービスをやめて有料になります、って連絡が入ってね。やっぱり細かいところでコストカットされてるのかねえ......」
 そのときは、そんなこともあるんだな、ぐらいにしか思わなかったが、もしかするとシステム開発室の採用計画にも影響があるのだろうか。
 「正確に内情を知っているわけではないですが」木名瀬さんはそう前置きして言った。「K自動車内で、経費削減が細かく言われているのは事実のようです。それはIT システムも例外ではないんです。これまで、K自動車の社内システムは、Java + Oracle という組み合わせがデフォルトになっていたのはご存じですよね」
 「ああ、はい」ぼくは記憶を辿った。「前の会社にいたとき、それは聞いたことがあります」
 「最近では、Oracle のライセンス料やランニングコストを削減するために、PostgreSQL に切り替える動きが加速しているようです。フレームワークも、新規の案件はSpring Boot に統一されつつあります」
 「あ、もしかすると」ぼくはあることに思い当たって訊いた。「エースシステムも......」
 今年度の初めに、エースシステムから、今後の社内システム開発にはSpring Boot を使うようにとの要請があった。エースからは同様の要請や通達があるので、特に疑問にも思わなかったし、Spring Boot を使うことにも異論はなかった。数画面しかないような簡単なシステムや、WebAPI であればPython で済ませることが多かったが、ある程度の規模を超えると、やはりJava の方が使いやすい。そしてJava でWeb アプリケーションを作るとなると、システム開発室の人的リソースでは、Spring Boot が適しているから、以前から少しずつ切り替えていたところだ。
 「そうですね。件数は減っているでしょうが、エースシステムにとって、K自動車は最重要クライアントには違いないので。その他、有償のミドルウェアや帳票ツールなどを気前よく導入するのをやめて、オープンソースを採用しているとも聞いています」
 「へー、そうなんですか。でも、それがエンジニア不足とどういう関係があるんですか」
 「K自動車内に星の数ほどある社内システムが、急ピッチで再構築されている、ということです。関連企業もそれにならっているので、首都圏のIT ベンダーはちょっとした受託開発バブルなんですよ」
 「なるほど」ようやく納得できた。「それで、プログラマが足らないんですね」
 「まあ、それだけが要因ではないですが、エンジニア不足の一因であることは確かです。他にもAWS の経験者や、AI 技術者も足りてません」
 「うーん」
 「それからもう一つ」木名瀬さんは持参したペットボトルのお茶を一口飲んだ。「今、一番需要があるのは、正社員ではなく、非正規雇用、つまり契約社員や派遣社員なんですね。開発バブルといっても永続的なものではないですから、いずれ落ち着いたときには、今度は一転して人員を調整する必要があります。こういう言い方は好きではないんですが、非正規雇用は調整弁として都合がいいので」
 木名瀬さんが言葉を切ると、浅海さんが「実は」と切り出した。
 「同じようなことを、他のサービス会社の担当者さんからも言われているんですよ。どこもかしこも、プログラマの、つまりいわゆる社内SE ではなくて、純粋なプログラマの紹介は、契約社員であればある程度の数を揃えられるけど、正社員でとなると、少し難しい、と口を揃えている状態です」
 ぼくが首を傾げていると、木名瀬さんが苦笑しながら補足してくれた。
 「つまり、正社員となるなら、最初はプログラマとして入社したとしても、いずれはマネジメント方面に進みたい、という人が多い、ということです」
 「む、そうなんですか」
 ぼく自身、この春から管理職になったが、コーディングを放棄するという選択肢は微塵も持ち合わせていない。そもそも、マネジメント職への推薦を受けたのだって、これで人事から月の時間外労働時間数超過について、口うるさく言われなくてすむ、というメリットがあったことが大きい。スケジュール表と予算表ばかりに気を取られ、時間のムダでしかない非生産的な会議の予定ばかりでカレンダーが埋まる、そんな働き方をしている自分など想像できないし、したくもない。
 「IT 企業にいる人全てがイノウーくんのような、プログラミングジャンキーばかりじゃない、ってことですよ」木名瀬さんはニヤニヤしながら言った。「むしろ少数派でしょうね」
 「......ぼくのことはともかく」ぼくは二人を見た。「希望はない、ということですか?」
 「まあ、そこは、蛇の道は蛇、というわけで」木名瀬さんは持参したタブレットを操作した。「弊社に登録されている転職希望者だと確かに難しいんですが、サイトに載せてないエンジニアを何名かキープしてあるので話をしてみます」
 「よかった」ぼくは頭を下げた。「お願いします」
 「そこで」木名瀬さんは、浅海さんに視線を向けた。「仕事の内容や業務量、福利厚生などはわかっているんですが、給与面はどれぐらいが上限になりますか?」
 新卒採用の4 年目の給与テーブルという話を浅海さんが始めたが、木名瀬さんは穏やかに遮った。
 「おそらく、その程度の提示だと乗ってくる人は少ないんじゃないかと思います。こういう言い方は失礼だと思いますが、安く買い叩こうという考えは捨てた方がいいですね」
 浅海さんは図星を突かれたように沈黙した。戸室課長から、可能な限り採用コストを低く抑えろ、と命じられているのは、前回の打ち合わせからも明らかだ。
 「えーと、でも、木名瀬さんもご存じかと思いますが、マネージャクラスではない中途採用だと、これが規程の金額なんですよ」
 「はい。ですが、それでは難しいですね。誰だって、少しでもいい条件で入社したいと思うのが当然です。その給与条件では、オファーしても断られます」
 「......ちなみに、現在の相場はどれぐらいなんでしょう?」
 木名瀬さんはタブレットに何かを入力して浅海さんに見せた。浅海さんは、ずいぶん長い時間、画面を凝視していた。ぼくが興味をそそられなかったと言えばウソになるが、木名瀬さんはタブレットの角度を変えようとはしなかった。
 「心配しなくても」木名瀬さんは安心させるように言った。「イノウーくんの現在の年俸よりは低い金額ですから」
 「......でも、あの」ようやく、絞り出すような声で浅海さんが答えた。「最初から高額の報酬提示は前例がないので......」
 「プログラマの採用となるとなおさら、ですか?」
 遠慮のない指摘に、浅海さんの顔が紅潮した。
 「雇ってやる、という上から目線は、そろそろ考え直す時代になっていますよ。来てもらう、ぐらいでないと」
 「そうなのかもしれませんが......」
 浅海さんの逡巡もわからないではない。いつかは前例を打破しなければならないとしても、自分がファーストペンギンになる事態は回避したい、というわけだ。マーズ・エージェンシーでは、出る杭は打たれやすいし、誰もが高性能レーダーで出た杭を探している。
 「現在、エンジニア市場は極端なほど売り手市場なんです」木名瀬さんは記憶を喚起した。「言い換えれば、エンジニアにとって、次はいくらでもある。業務量に対して、報酬が見合わないと感じたら、さっさと退職してしまいます。そうなると、また一から採用プロセスを開始しなければならないし、紹介料もムダになります」
 「ですよね......」浅海さんの視線が宙をさまよった。「ちなみに、その、紹介料の料率は......」
 「ええ、他ならぬマーズ・エージェンシー様ですから」木名瀬さんは笑みを浮かべた。「特別ディスカウントレートで計算させていただきます。ただ、それには急いでいただかないと。いつまでも待っているわけにはいかないので」
 特別価格をちらつかせて強引に契約を迫る訪問販売のようだが、少なくとも木名瀬さんは不都合な真実を隠したりしていないはずだ。それでもまだ、浅海さんが決断することはなかった。
 「......私の一存ではちょっと」浅海さんは迷った挙げ句に答えた。「一度、持ち帰らせてもらえますか。課長と相談してみないと......」
 「わかりました」木名瀬さんは失望した様子もなく頷いた。「では、本日いっぱいお待ちします。難しいようなら、この話はなかったことにして、通常のルートでの紹介に切り替えることにします。ご安心を。その場合でも、全力で、最適だと思われる人材のマッチングを行いますから」
 浅海さんは力なく頷いた。少し気の毒になったが、木名瀬さんが来ると知っていながら、ろくに権限も与えずに浅海さんに丸投げした戸室課長の戦術ミスだ。あらかじめ相談してくれれば、木名瀬さんとそんな交渉をするなど時間のムダだ、と教えてあげられたのに。
 挨拶を交わして、今日の打ち合わせは終了となった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 浅海さんが戻っていった後、ぼくは口実を設けてその場に残った。
 「実際のところ」ぼくは訊いた。「本当によさそうな人がいるんですか?」
 「何人か目星はつけてありますよ」木名瀬さんはタブレットをカバンにしまうと微笑んだ。「もちろん、確実に入社まで持って行ける、という約束はできませんが。それは面接次第です。イノウーくんも選考に参加するんですか?」
 「一応、二次面接から」
 「よかった。もし違っていたら、そう勧めようと思っていたところです。優秀なエンジニアであればあるほど、コードを書いたこともないような人に面接されるのを嫌いますから」
 「正直、面接ってあまり自信がないんですよ」ぼくは吐露した。「受けたことはあっても、する立場に立つのが初めてで。何かコツってありますか?」
 「普通で行けばいいんですよ」木名瀬さんは笑った。「つまりプログラミング大好きイノウーキャラを前面に出していくってことです。その方がいい結果を生みますよ」
 「そんなものですか」
 「ええ。面接というのは孤立無援で複数の面接官に立ち向かうのが通例です。面接官の中にまともなプログラマが少なくとも一人はいる。それだけでかなり印象が違います。仲間意識が生まれれば成功です」
 確かにそれは心強い。
 「もう一つ大切なことがあります」木名瀬さんは真剣な表情になった。「面接、というと質問をして回答を得ること、と思うかもしれませんが、それ以上に話すことも重要です」
 ぼくはまた首を傾げた。
 「相手の志望動機を聞くことばかりではなく、システム開発室の仕事を、つまり相手が入社したら携わることになるはずの業務を、できるだけ詳細に話すことです。具体的なイメージが、相手の人の頭にくっきり浮かぶぐらいまで」
 たとえばJava のシステム開発経験が10 年ある、と職務経歴書に書かれていたとしても、彼、または彼女の経験はフロント側に比重が大きかったのかもしれない。このとき、面接官と被面接者が「Java のシステム」という言葉だけの会話に終始していたら、入社して初めてミスマッチが発覚する、という悲惨な結果になりかねない。
 「まあ、がんばってください」
 見送りを断って木名瀬さんが帰っていった後、会議室の予約時間が終わるまで、まだ年齢も性別も知らない想像上の応募者たちとの面接を脳内でシミュレートしながら座っていた。二人に一人は失望の表情を浮かべてしまう。もしぼくが平社員のままなら、茅森課長が選んだ新メンバーに不満を感じつつも受け入れていたことだろう。役職が付くということは、それに応じた責任ももれなく付いてくる、ということだ。

(続)

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