包み込んでいく、セキュリティ
技術と人間が、ともに進化するために
私は、何事にもバランスが必要だと思っています。
一方だけに大きく偏った状態は、長く続けば、どこかにひずみを生みます。
一つの意見だけが強くなり、ほかの声が聞こえなくなる。一つの価値観だけが正しいとされ、別の視点が見えなくなる。ある一つのものだけが急速に進化し、それを支えるほかの要素が取り残される。
それは、あまり健全な状態ではないのではないでしょうか。
異なる力や考え方が互いに向き合い、ときには拮抗しながら、全体としてバランスを保つ。
これは、デジタルの世界でも同じだと思います。
スポットライトを浴びてきた技術
デジタルの世界では、常に技術の進化がスポットライトを浴びてきました。
より速く、より便利に、より正確に。
新しいシステム、新しいサービス、新しいセキュリティ技術。そして今は、人工知能の急速な進化が注目を集めています。
技術の進化に合わせて、統制やプロセスも発展してきました。
ルールをつくる。責任を定める。手順を標準化する。リスクを評価する。監視し、記録し、改善する。
技術も、統制も、プロセスも、デジタル社会を安全かつ安定的に運営するために欠かせません。
しかし、技術だけが進化すればよいのでしょうか。
統制やプロセスだけが、より精密で厳格になればよいのでしょうか。
どれほど優れた技術も、どれほど整ったプロセスも、最終的には人間が使い、人間が運用し、人間が影響を受けます。
デジタルの世界は、技術だけでできているわけではありません。
そこには、常に人間がいます。
人間は「おまけ」だった
これまで、人間はしばしば、技術やプロセスの「おまけ」のように扱われてきました。
あるいは、システムを正しく動かすうえでの「問題」として見られてきました。
人間は間違える。
ルールを守らない。
パスワードを忘れる。
不審なリンクをクリックする。
判断にばらつきがある。
だから教育しなければならない。訓練しなければならない。監視しなければならない。できるだけ人間を介在させないよう、自動化しなければならない。
もちろん、教育も訓練も自動化も必要です。
しかし、人間を問題としてだけ捉えてしまうと、大切なものが見えなくなります。
人間は、単にシステムを操作する存在ではありません。
考え、迷い、信じ、恐れ、傷つきます。
状況に応じて判断し、誰かを助け、ときにはルールの想定を超えて問題を解決します。
人間はリスクの原因になり得ると同時に、デジタル社会をつくり、支えている主体でもあるのです。
人間は、人間だからハッキングされる
セキュリティの世界では、しばしば「人間は最も弱いリンクだ」と言われます。
確かに、人間は間違えます。疲れているときや焦っているときには、判断を誤ることがあります。親切心や恐怖心につけ込まれることもあります。
しかし、だからといって、人間を修正すべきシステムや、取り除くべき脆弱性のように扱ってよいのでしょうか。
私は、そうは思いません。
人間は、弱いからハッキングされるのではありません。
人間は、人間だからハッキングされるのです。
人を信じること。
誰かを助けたいと思うこと。
疲れること。
焦ること。
怖いと感じること。
失敗を恥ずかしく思い、相談できなくなること。
これらは、単純に取り除ける「欠陥」ではありません。人間らしさの一部です。
だから必要なのは、人間の脆弱性をなくすセキュリティではありません。
人間の脆弱性を、包み込んでいくセキュリティです。
デジタルの世界の人間性
デジタルの世界における人間性とは、何でしょうか。
使いやすい画面をつくることだけではありません。
利用者に分かりやすく説明することだけでもありません。
人間が間違えることを前提に、間違えても致命的な結果にならないように設計すること。
被害に遭った人を責めず、安心して助けを求められるようにすること。
困ったときに、どこへ行けばよいのか迷わせないこと。
技術的な復旧だけでなく、安心、尊厳、信頼、生活の回復まで支えること。
効率や正確性だけでは測れない、人間の感情や自律性、社会とのつながりを大切にすること。
それが、デジタルの世界に人間性を取り戻すということではないでしょうか。
人間中心を訴える声は、まだ小さい
人間を中心に考えようとする研究や活動は、すでに存在しています。
人間中心設計、利用者体験、デジタル・ウェルビーイング、責任あるAI、心理的安全性、被害者支援、そして人間中心のサイバーセキュリティ。
しかし、技術の進化を語る大きな声と比べると、人間性を重視する声は、まだ小さく感じられます。
技術には新しさがあります。
目に見える成果があります。
速さや性能を、数値で示すこともできます。
一方、人間の安心、尊厳、信頼、回復といったものは、簡単には測れません。成果が見えるまでに時間がかかることもあります。
そのため、人間に関する議論は後回しにされがちです。
技術や制度が完成した後で、「利用者にも説明しよう」「研修を追加しよう」「相談窓口を用意しよう」と、人間への対応が最後に付け加えられます。
けれども、人間は最後に付け加える要素ではありません。
本来、最初からそこにいる存在です。
私がしたいのは、否定ではない
私が人間中心のセキュリティを主張すると、技術やプロセスを否定しているように受け取られることがあるかもしれません。
しかし、私がしたいのは否定ではありません。
これまでのセキュリティの進化を止めたいわけでも、技術より人間だけを優先すべきだと言いたいわけでもありません。
人間だけに偏ることも、私が求めるバランスではありません。
技術は必要です。
統制もプロセスも必要です。
そして、人間への理解と配慮も必要です。
私は、これまでのセキュリティを否定しようとしているのではありません。
その先へ進化させようとしているのです。
技術とプロセスだけを見てきたセキュリティに、少しだけ振り向いてほしい。
その技術を使う人を見てほしい。
そのプロセスを動かす人を見てほしい。
インシデントによって傷ついた人を見てほしい。
そして、技術の進化と人間の幸福が、本当に同じ方向を向いているのかを問い続けてほしいのです。
バランスとは、真ん中に立つことではない
技術か、人間か。
効率か、尊厳か。
安全か、自由か。
統制か、自律か。
私たちは、こうした問題を「どちらか一方を選ぶもの」として考えがちです。
しかし、本当に必要なのは、一方を勝たせることではないのかもしれません。
異なる価値を対立させながらも、どちらかを消してしまわないこと。
互いの力が拮抗し、調整され続ける状態をつくること。
バランスとは、すべてを同じ大きさにすることではありません。固定された中間点に立つことでもありません。
状況に応じて揺れながら、どちらかに偏り過ぎたときには、反対側へ引き戻す力が働くことです。
技術が急速に進化している今だからこそ、人間性について語る声が必要です。
技術の力が大きくなるほど、それを何のために、誰のために使うのかを問いかける力も大きくしなければなりません。
包み込んでいく、セキュリティ
目指したいのは、技術の進化を止めることではありません。
技術とともに、人間への理解も進化させることです。
高度なセキュリティ技術と、人間への深い理解。
強固な統制と、人間の自律性への配慮。
効率的なプロセスと、困っている人に寄り添う柔軟性。
攻撃を防ぐ力と、傷ついた人を回復へつなげる力。
その両方を持つことが、これからのデジタル社会には必要です。
人間を技術に合わせるだけではなく、技術も人間に合わせて変わっていく。
人間を問題として扱うのではなく、デジタル社会をつくる中心的な存在として見る。
人間の間違いや迷い、弱さを排除するのではなく、それによって致命的な被害が生まれないよう、技術とプロセスと社会で包み込んでいく。
技術か、人間かではありません。
技術も、プロセスも、人間も。
そのすべてが互いに支え合い、ともに進化していく。
それが、私の考える「包み込んでいく、セキュリティ」です。
