サイバーの世界で、間をとる
今日は少し、寄り道をしたい。
ワークショップのことを書いていて、どうしても頭から離れない言葉がある。サイバーマインドフルネス。私の友人Anaとさりがそう呼び、提唱を続けている。二人から話を聞いて以来、私はずっと、これは何だろうと考えていた。
そういえばこの頃、いろいろなところでマインドフルネスという言葉を聞く。ヨガとか。聞くたびに、わかるような、わからないような気持ちになる。
自分と向き合い、そのままの自分を受け入れていくことなのだろうか。
生きていくということは、たいていの場合、ままならぬものだ。そんなままならぬ世界で、自分というままならぬものに向き合い、受け入れ、そして自分なりに生きていくことなのだろうか。
私は、恵まれた環境に生まれたわけではない。日本人であり、女である。生まれたとき、私はこの体と心、そして自分の置かれた環境をもらった。それはどうにもできない。その中で、必死に世界を生きてきた。
ここまで書いて、ひと言思い浮かぶ。
逃げんなよ。
痛烈な言葉だ。
自分の置かれた状況から逃げない。自分の弱い部分からも、強い部分からも目をそらさない。マインドフルネスとは、究極のところ、そういうことなのではないだろうか。
そして私は、サイバー判断力の最初の部分は、このマインドフルネスなのではないかと思う。
私が考える「判断」には、型がある。その型にも、いろいろな形がある。一見違うように見えても、結局は、感じる。止まる。間をとる。そして、行動する。これなのではないだろうか。
自分の環境を感じる。自分の状況を感じる。自分の感情を感じる。まず、自分に素直になる。
そして、止まる。深呼吸をする。少し落ち着いてみる。少し自分の世界から出て、周りを見渡してみる。今いる場所から、少し離れてみる。
そうして、間をとる。
この「間」が、サイバーの世界ではますます大切になるのではないだろうか。情報はあふれ、すぐに何でも手に入る。AIの時代には、なおさらだと思う。感じて、止まって、間をとることを、お稽古していく必要があるのではないだろうか。
間をとることで、考えられる。どの情報が自分にとって必要なのか。これをしたら、誰に影響を与えるのか。どんな影響があるのか。自分はどうしたいのか。どうすべきなのか。自分も含めて、その先を想像する。
そこが、まさにサイバーマインドフルネスの領域なのかもしれない。
私が提案しているワークショップは、従来のものとは違う。それは、万華鏡。

まだ、私の中でも考えが動いている。万華鏡をのぞくように、少し角度を変えると、見えるものが変わる。その中で、自分は何を感じ、どう判断し、どう行動するのか。
Anaとさりが提唱するこの分野は、これから発達していくだろう。私もぜひ、そこに貢献していきたい。そう考えながら、今も考えを巡らせている。