攻撃に対して「ハックされにくい人間」に

防災の日に考えた、予測できないものと生きるということ

»

u5292553157__--v_8.2_fda82091-865d-4b3a-8837-6d77f2f7903e_3.png

昨日、ITmedia Security Week 2026 夏に登壇した。

これで、今年の夏の登壇はすべて終わった。しばらくは少しゆっくりと、執筆活動に向き合おうと思う。

昨日は、9月1日。防災の日でもあった。

私の祖母は、関東大震災と東京大空襲を経験している。

以前、祖母に聞いたことがある。

「何がいちばん怖かった?」

祖母は、ためらうことなく答えた。

「関東大震災」

その答えは、いまも心に残っている。

戦争も空襲も、想像を絶するほど恐ろしい経験だったはずだ。それでも祖母にとって、突然大地が揺れ、身の回りの世界が一瞬で変わってしまう地震の恐怖は、それを上回るものだったのだろう。

災害は、突然やってくる。

来ることは分かっていても、いつ、どこで、どれほどの規模で起きるかは分からない。どんなに準備をしていても、私たちの想像を超える事態が起こる。

私は、サイバー攻撃にも似た構造があると考えている。

もちろん、自然災害とサイバー攻撃は同じものではない。

けれども、完全には防ぎきれないこと。突然起こること。混乱を生むこと。そして、被害が人の生活や信頼のなかに長く残ること。事前の備えと訓練が、被害の大きさを左右すること。

その構造には、重なるところがある。

私たちは、地震そのものを止めることはできない。

だから日本では、起きることを前提に備えてきた。避難場所を確認し、防災用品を用意し、訓練を繰り返す。いざというときには声をかけ合い、助け合い、被害のあとには暮らしを立て直していく。

目指してきたのは、災害をゼロにすることではない。

揺れても、壊れきらないこと。
混乱しても、もう一度立ち上がれること。

この日本の防災文化には、これからのサイバーセキュリティを考えるための、大切な知恵がある。

サイバー攻撃は、システムの弱点だけを狙うわけではない。

「今すぐ」
「至急」
「あなただけ」

そんな言葉で、私たちの焦りや恐れ、責任感を刺激する。判断する時間を奪い、確認する前にクリックさせ、誰かに相談する前に行動させようとする。

狙われているのは、技術だけではない。

人間の「判断」そのものなのだ。

だから、必要なのは知識を増やすことだけではない。

危機の瞬間に、

止まる。
確かめる。
相談する。

その小さな動きを、防災訓練のように繰り返し、身体に覚えさせておくことが必要になる。

私は、これを「デジタル避難訓練」と呼んでいる。

防災には、「自助・共助・公助」という考え方がある。

サイバーにおける自助は、まず自分の判断を守ることだ。疲れていないか。焦っていないか。急がされていないか。自分の心の「天気」を知り、曇っている日には一人で大きな判断をしない。

共助は、誰かが失敗したときに責めるのではなく、「知らせてくれてありがとう。一緒に止めよう」と言えることだ。

公助は、困った人が迷わず「助けて」と言える入口を、組織や社会が用意することだ。

これは、単に優しくするという話ではない。

危機を早く知らせ、被害を小さくし、人と組織が回復するための、現実的なセキュリティの設計である。

昨日のITmedia Security Weekでも、私は、人間を中心にサイバーセキュリティを考えることについてお話しした。講演のアーカイブも、今後公開される予定だ。

今回の登壇を終え、これからは少し静かな時間のなかで、この考えをさらに言葉にしていきたいと思う。

私が書こうとしているのは、攻撃を完全になくすための方法ではない。

予測できないことが起きたときにも、人が壊れきらないこと。迷ったときに立ち止まれること。怖くても誰かに助けを求められること。間違えても、支え合いながら立ち直れること。

強さとは、何も起こらないことではない。

どれほど備えていても、私たちの想像を超えることは起こる。

それでも、備えることには意味がある。
訓練することには意味がある。
支え合うことには意味がある。

日本が長い時間をかけて育ててきた防災文化を、デジタルの世界へ。

#ITmediaSecurityWeek #サイバーセキュリティ #人間中心のサイバーセキュリティ #HumanCenteredCybersecurity #防災の日 #防災文化 #デジタル防災 #デジタル避難訓練 #サイバーレジリエンス #自助共助公助

Comment(0)

コメント

コメントを投稿する