第742回 結果を引き受ける
こんにちは、キャリアコンサルタント高橋です。
普段の生活でも仕事においても、私たちはいろんなことに挑戦しているんじゃないかなと思います。そうした挑戦には結果がついてきます。結果が出ていれば嬉しいですし、出ていなければ悲しいですよね。
でも、最近(というか少し前から)、私はあまり結果というモノに執着しなくなったような気がします。それは、結果より過程が大事だとか、結果を放棄したとかそういうことではなく、結果そのものに対する見方がかわってきたからです。今回はそんなお話です。
■人間万事塞翁が馬
私が結果という言葉から良くイメージするのが「人間万事塞翁が馬」です。これは中国の『淮南子(えなんじ)』という書物から来ている故事なのだそうですが、人生の幸不幸は予測できず、良いことが悪いことに、悪いことが良いことに変わるため、目先のことに一喜一憂すべきではないという意味で使われています。
その内容はざっくり言うとこんな感じです。
- 中国のある所に老人(翁)が馬を飼っていた。しかし、その馬が逃げ出してしまった。周りはこのことで老人に同情したが、老人はこれがキッカケで何かいいことが起こるかもしれないと思い、悲しまなかった。
- その後、馬は別の馬を連れて帰ってきた。周りは幸運が起こったと囃し立てたが、老人は何か悪いことが起こるかもしれないと思い、喜ばなかった。
- そうすると、この連れてきた馬に乗った息子が落馬して怪我をしてしまった。周りはこのことで慰めの言葉をかけたが、老人は良いことが起こるかもしれないと思い、悲しまなかった。
- 暫くして、隣国との戦争が起こり、若い男たちは戦争に駆り出されて戦死した。しかし、息子は怪我をしていたため徴兵されずに命拾いした。
- そして、戦争が終わり老人は息子たちと末永く幸せに暮らした。
- このことから、人間は良いこともあれば悪いこともあるので、あまり幸不幸に振り回されるなという教訓が生まれた。
のだそうです。
これって、私には物事の捉え方ひとつで人は幸せにも不幸にも感じることができるってことを言っているようにきこえるんですよね。
例えば、「馬が逃げ出した」という事実があったとします。これ自体はただの起こった出来事でしかないですよね。でもこの「馬が逃げ出した」という事実をどう意味づけするかによって結果が変わってきます。
周りの人たち...馬が逃げ出してかわいそう
老人...何かいいことが起こるかもしれない
他にも、「逃げた馬が他の馬を連れてきた」という事実に対しても同様で
周りの人たち...新しい馬を連れてきたことで幸運が舞い込んだ
老人...何か悪いことが起こるかもしれない
のように起こった出来事に意味づけをしています。更には「馬に乗った息子がけがをした」事実についても
周りの人たち...けがをしてかわいそう
老人...何か良いことが起こるかもしれない
のような意味づけをしています。
このように結果というのは起こった出来事に対する意味づけとして表現されるのではないかと思います。
■結果の考え方
この考え方はOSTの結果に関する捉え方から来ています。OSTは過去のコラムで紹介させてもらっていますが、一部引用します。
原理部でもお話ししたのですが、行動(A)を起こすと何かしらの結果(R)が生じます。これをもう少し掘り下げると、行動を起こすとその成果物である内的事柄を生成します。そして、結果というのはこの内的事柄を私なりに意味づけしたモノと定義しています。
例えば、資料作成という行動を起こすと、資料という内的事柄が生成されます。その出来上がった資料に対して
「うまくできた!」
「作成が間に合った!」のように資料そのものに対して私たちなりの意味づけを行いますよね。これをOSTでは結果と呼んでいます。
このように考えると、結果というのは私たちがつくり上げているモノであることが分かります。それは、私たちが持っている結果の前提構造(OA)によって自然と形づかれるようになっています。
だとしたら、この結果の前提構造(OA)の捉え方を変えていくことによって私たちがつくり出してた結果というモノも変えていくことができるようになります。これはREP(結果回収プロセス)としてご紹介していますので、興味がある方はご覧ください。
■結果を引き受ける
冒頭でもお話ししましたが、私自身がOSTを開発し実践する中で結果ということに対して執着することがなくなりました。それは行動によって生じた事柄を私がどう意味づけているかが結果になっているので、意味づけの仕方一つで結果が変わるものだと感じるようになったからです。
だとしたら、そこに一喜一憂するのではなく、生じた事柄に対してどう意味づけをすれば自分の思い描く姿に近づけるのか、そちらに意識を向ける方が有用だと思うようになったからだと思います。
そして、こうした思考が働くことによって、結果というモノを誰かや何かのせいにするのではなく自分で引き受けようという意識が持てるようになったなぁと感じました。
興味のある方はぜひ使ってみてくださいね。