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第743回 社畜を考える

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 こんにちは、キャリアコンサルタント高橋です。

 社畜って言葉、たまに聞きますよね。この言葉は会社の言いなりになっている社員のようなイメージがあるのですが、これって仕事人間を指している言葉でもあるような気がします。私自身仕事人間であることを自覚してますが、だったら私は社畜なのだろうかと思ってしまいました。そこで今回は社畜という言葉について考えてみました。

■社畜とは

 社畜をWikipediaで調べてみるとこんな言葉が出てきました。

社畜(しゃちく)とは、主に日本で、社員として勤めている会社に飼い慣らされ、自分の意思と良心を放棄し、サービス残業や転勤もいとわない奴隷(家畜)と化した賃金労働者の状態を揶揄、あるいは自嘲する言葉である。「会社+家畜」から来た造語かつ俗語で、「会社人間」や「企業戦士」などよりも、外部から馬鹿にされる意味合いを持つ。

 なるほど...、会社に飼われている家畜的な意味合いとして社畜という言葉があるみたいですね。私自身に置き換えてみれば、仕事の時間などは自分のプライベートを潰してでもやってしまう節があるので、その点では社畜なのかもしれません。ただ、一点違うのは、「自分の意思と良心を放棄し」という所ですね。私は自分の意思、良心をもって仕事をしているつもりなので、その意味では社畜の定義から外れてしまうのかもしれません。

■なぜ、社畜は自分の意思と良心を放棄するのか?

 そうなると、世間一般で言われている社畜と呼ばれている方々は自分の意思と良心を放棄していることになりますよね。

 なぜ、そんなことになってしまうのか。

 その理由は人それぞれだとは思いますが、決定的な事として、自分の意思や良心と組織の意思や良心のズレから起こっているのではないでしょうか。

 自分の考えと組織の考えが違っている。自分の考えは優先されるべきではなく、組織の考えを優先しなければならない。だから自分の考えを押し殺し、組織の考えを優先してしまう。その結果、社畜になってしまう。

 恐らく、こういうことが起こってしまっているからなんでしょうね。

■個人と組織のズレを合わせるためには

 私が提唱しているOST(前提構造理論)には、一つの仕組みで個人と組織の両方を表現することができます。詳しくはこちらのコラムに書かせてもらいましたが、これを個人OS、組織OSのような呼び方をしています。一部、引用します。

この識別核は2種類存在します。それはコア・パーパスとコア・フィロソフィーです。

コア・パーパス...個人における識別核
コア・フィロソフィー...組織における識別核

OSTは原理理論ですが、これを個人、組織といった相反する状態を同一の構造で説明しています。個人であれ、組織であれ、どちらも同じようにCARが回りますし、その前には同じように前提構造があります。これ自体は何ら変わりません。
しかし、その中の認知の仕方、行動の立ち上げ方、結果の回収方法、これが個人と組織では明確に違います。その理由は識別核が違うからです。

 このように識別核はそれぞれ専用のCAR(個人用、組織用)で回り続けます。この個人で回るCARのことを個人OS、組織で回るCARのことを組織OSと呼びます。

そして、個人OSと組織OSは統合させることができると考えています。それはこちらのコラムに書かせてもらっています。こちらも引用します。

この個人OSと組織OSという考え方があると、こんな疑問が浮かびます。

組織と個人の識別核が違う時はどうすればいいの?

 これ、実際によく質問されることなんですが、個人OSというのはコア・パーパスを元にしてその人自身の三前提構造が立ち上がります。一方、組織もコア・フィロソフィーを元にその組織の三前提構造が立ち上がります。これら識別核は理想でも目標でもなく、その人や組織そのものの姿を表しています。だからこそ、組織の掲げるコア・フィロソフィーと個人の持つコア・パーパスが噛み合わないということは現実的に起こります。

 OSTはこの問題について明確な答えを持っています。

 前提として、OSTでは、個人OSと組織OSが直接つながる(統合される)ことはありません。また、組織の考えに個人を同化(屈服)させたり、逆に個人の考えに組織が合わせたりすることもありません。両者が接合されるのは、お互いのOSから出力された「認知(状況の捉え方)」の水準においてのみです。

(中略)

これは、お互いが相手に無理やり合わせたのではなく、それぞれ独立した別々の識別核から自律的にC3を調整し、相手の外的事柄を矛盾なく処理できる形で新たな認知を立ち上げた結果、行動が一致した状態です。

これこそが、OSTにおける個人OSと組織OSの統合です。

 具体的な例はコラム内に書かせてもらっていますので、興味のある方は是非ご覧ください。

■社畜を考える

 社畜という言葉の意味を紐解くと、個人の考えより組織の考えを優先してしまうことであると分かりました。私自身が社畜ではないと思えるのは、私自身がOSTの考え方を元に個人と組織を統合しているからだと思っています。

 個人の考えと組織の考えを統合させることができれば、それは既に社畜などではなく、個人と組織が共に相互依存でシナジーを生み出せるWin-Winの関係になるのではないかと思うのです。

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