ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

イノウーの選択 (8) 拭えない違和感

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 福岡出身、大学入学で上京。T大工学部卒業後、ツクダ通商に入社。ソリューションビジネス部で、いくつかのシステム開発プロジェクトを経験した後、社会人3 年目で、友人らと都内でIT ベンチャーを起業。ツクダ通商経由でK自動車関連企業の社内システム構築に携わる。役員だが、自ら営業、要件定義、設計、実装、保守などを行うプレイヤーとして5 年間活躍。IT ベンチャーが、大手SIer に買収されたのを機に離職し、不動産会社で半年、物流会社で一年勤務した後、別のベンチャー企業に転職して、現在に至る。
 面接に先だって人事から開示された、今年で34 才になる尾日向さんの職務経歴書には、数年単位で構築される官公庁のシステムや、K自動車関連企業の調達システムなどの大型案件から、中小企業の事務システム、EC サイト構築、iOS/Android アプリ開発などの小規模プロジェクトまでが、数ページにわたって記載されていた。Java はもちろん、Python、C#、PHPなどの言語に加えて、Intra-mart やSalesforceなども使用経験がある。
 「どうだ、イノウー」戸室課長は、まるで自分がスカウトした人材であるかのように得意げに言った。「かなり期待が持てそうじゃないか」
 「確かにそうなんですけどね」
 「なんだ。乗り気じゃないな」
 「そういうわけでは。そんな優秀な人材が、どうして転職活動なんかしてるのか気になってるだけです」
 「同じところで苔むしてしまうのがイヤなんだろう」戸室課長は気にしている様子も見せなかった。「そろそろ時間かな。浅海さん」
 「予定の時間には少し早いですが」浅海さんは立ち上がった。「もうお待ちいただいているので案内してきます」
 浅海さんが出て行った後、ぼくはもう一度、人材サービス会社から送られてきた資料に目を走らせた。口には出さなかったが、転職回数の他にも気になっている点が一つある。
 サービス会社は、転職の成立によって利益を得ているので、履歴書や職務経歴書などの必要資料の他に、担当者からの推薦文が付加されていることが多い。たとえば前回の鉾岩さんの場合は、「はきはきとした受け答えができ、システム開発のみならず、対人折衝にも力を発揮できる人材です。勤勉で確実な成果を出せる方ですので、御社の発展に大いに寄与されることが見込めます......」などと、自分が書かれたら気恥ずかしくなるような推薦文が並んでいた。
 だが、尾日向さんの場合、推薦文はあったものの、その文章量が極端に少なかった。「優秀な技術者であり、規模にかかわらず多くのプロジェクトに携わってきた方です」それだけだった。どのサービス会社の担当者も必ず入れてくるような「勤勉」「真面目」「誠実」などの人柄に関するワードが一つもないのだ。その些細な点がどうにも気になる。
 ドアが開き、浅海さんが戻ってきた。先に入室し、ドアを開いた状態で手で押さえる。今日の面接対象者が颯爽と現れた。入り口で立ち止まり、浅海さんに小さく頭を下げた後、室内に向き直って深々と一礼する。
 「失礼します」
 いわゆるイケメンの部類に入るのだろうか。韓流スターのようにすっきりとした顔立ちだ。専属のメイクでもいるのか、と聞いてみたくなるほど、髪も眉もきれいに整っているし、もちろん髭のそり残しなど皆無だ。着ているグレーのスーツは、そのまま、紳士服のCM に出ていけそうなほど、細身の体型にマッチしていた。
 ぼくたち面接官の正面に立った尾日向さんは、爽やかに微笑みながら挨拶した。
 「本日はお時間をいただきまして、まことにありがとうございます。尾日向アキトです。よろしくお願いします」
 よく通るバリトンだ。ラブコメ系学園アニメに登場するサッカー部のキャプテンあたりにいそうだ。
 「どうぞおかけください」戸室課長が笑顔で促した。「こちらこそよろしく。では、簡単に自己紹介をお願いします」
 「はい。尾日向アキトと申します。私はこれまで、IT 業界を中心にいくつかの会社で......」
 よどみなく言葉を紡ぎ出す尾日向さんを、ぼくはじっと観察した。平均以下の容姿の人間――たとえばぼくのような――は、イケメンという人種に対して反射的に反感を抱いてしまうものだが、尾日向さんに対しては、その手のマイナスの感情がわいてこなかった。少しでも自分の顔を自慢するような素振りが見られたら、または、わざとらしく卑下するような態度をとられたら、別の印象を抱いたしまったかもしれない。少なくとも尾日向さんは、自分の容姿を転職活動の武器とするつもりはないようだ。
 自己紹介が終わると、茅森課長が質問を始めた。職務経歴書を見ながら、志望動機や、直近に携わった案件について確認している。
 現在は都内にある従業員数15 名弱のIT ベンチャーで、プレイング・マネージャとして働いている。ありがちな話だが、常に複数の案件に携わっていて、ほとんど休む暇もないほど多忙だそうだ。
 「転職活動をしているのは、多忙が理由ですか?」
 「一つの理由ではあります」尾日向さんは頷いた。「ですが、単に忙しいから楽な職場を求めているわけではありません。今の現場の状況ですが、元請けから降りてきた仕様の実装を行うだけです。自分で創意工夫したり、AIによる効率化を提案しても、理由もなく却下されるばかりで。これでは、エンジニアとしての成長には、なかなかつながらないと考えてのことです」
 「社内SE を希望されているんですね?」
 「はい。御社の募集要項を拝見しまして、ここであれば、ある程度、自分の裁量でシステム開発を進めることができるのではないか、と考えました」
 「具体的には、どういうことをやってみたいと考えていますか?」
 「まず、御社内の各部署を回って、いわゆる御用聞きみたいなことをやってみたいと思います」尾日向さんは笑顔で答えた。「私という人間を知ってもらうという理由もあります。その上で、何か不便に思っていることや、こういうものがあったらいいなと考えていることなどをヒアリングしていきます。また、各部門の業務内容をお聞きして、こういうツールがあったらいい、などの提案もこちらからできるといいですね」
 「そこまではっきりしたビジョンを持っているのは素晴らしいですね」茅森課長は賞賛したが、それでも面接官としての立場を忘れたわけではないようだった。「ちなみに、現職の前に2 回ほど転職しているようですね。まず、なぜ、一度、IT 業界を離れたんでしょう」
 「はっきりした理由があったわけではないのですが、たぶんIT関係の業務にちょっと疲れてしまって、別の業界でも自分がやっていけるか、試してみたかったのだと思います」
 「短い期間で転職した理由を訊いてもいいですか」
 「一番大きな理由は人間関係です」おそらく訊かれる、と予想していたのか、躊躇はなかった。「その前は、自分から仕事を見つけていくのがあたりまえの環境にいたのですが、その常識をそのまま持ち込んでしまったのがよくなかったようです。IT の知識によって業務を効率化できると考えて、いろいろな提案を行ったのですが、全て却下されてしまい、上司との関係もぎくしゃくしてしまって」
 「ほう......」
 「まあ」尾日向さんは照れたように笑った。「私のプレゼンが下手だったということだと思います。技術的に正しいだけではダメで、適切なアウトプットのスキルはまだまだ勉強することが多いと実感させられました」
 茅森課長は納得したように頷くと、ぼくにバトンを渡した。ぼくは自己紹介して、前職はIT ベンチャーだった、と付け加えた。理由は2つ。同業だったことで相手の口を開きやすくするためと、プログラマとしての立場からより具体的な質問をするぞ、と予告するためだ。
 「これまでの業務で」ぼくは訊いた。「言語としては、Java を使うことが多かったんでしょうか?」
 尾日向さんは、ぼくの方に身体ごと向き直った。しっかり視線を合わせてくる。
 「はい。他の言語もやりましたが、割合としてはJava の経験が一番多いです」
 「JDK のバージョンは?」
 尾日向さんは少し考えてから答えた。
 「最近だと、元請けの指定で15 が一番多いです。でも、17 や21 もやっています」
 「職務経歴書を拝見すると、要件定義から実装、保守まで、まんべんなく経験されているようですが、ご自分としては、どのフェーズが一番好きですか?」
 「どのフェーズも好きです」即答だった。「エンドユーザと話をして要件を詰めていくのも得意ですし、それを設計に落とし込んでいく過程も好きです。もちろん、実装も楽しい仕事です。また、自分が作ったシステムを保守していくのもやりがいのある業務だと思っています」
 少なくとも、設計書がなければ実装できない、とか、逆に仕様書の作成は得意だがコードは書けない、というように、どこかのフェーズに偏ってはいないようだ。全てのフェーズの経験がある、というのは、確かに開発室に欲しい人材ではある。
 「現在は、いわゆるプレイング・マネージャという立場でお仕事をされてるんですよね」
 「はい。だいたい4 つぐらいの業務を平行で回してます」
 「元請けさんとのやりとりが多いんでしょうか?」
 「そうなりますね。あとは開発メンバー間の調整などが主な仕事です」そう言った後、尾日向さんは付け加えた。「自分でもできるだけコーディングで手を動かすようにはしています」
 「いいことですね。いろんな要望が降りてくると思いますが、そのあたりで苦労したことなどありますか?」
 尾日向さんはにっこり笑った。
 「苦労はそれなりにありますが、解決していくスキルはあると自負しています」
 茅森課長が思わず、といった表情で「いいね......」とつぶやいた。戸室課長も何度も頷いている。
 「IDE はどんなのを使ってきましたか?」
 「ずっとEclipse だったんですが、最近は、Cursor も使っています」
 「どういうプランで?」
 「Pro です。ただ、会社は出してくれなかったので、自分で課金してますが」
 「自分で?」横から声を上げたのは戸室課長だった。「自分で生成AI の課金をしてるんですか」
 「はい」尾日向さんは戸室課長の方を向いて頷いた。「最善の手段だと考えていますので」
 戸室課長は感心したように頷いた。以前に生成AI 関係でトラブルを起こしたことがあるので、特に共感するものがあったのだろう。
 「さっきの質問と重複しますが、もし入社したら、こういうことをやってみたい、とかありますか? 試してみたい技術とか言語とか」
 「AI による開発の効率化をぜひやってみたいです」尾日向さんは身を乗り出して答えた。「今でもCopilot などで部分的にはやっているんですが、もし許されるなら、ビジネスプランなどを導入していただいて、積極的に使ってみたいと思っています」
 「なるほど」現状だとそれは難しい、ということは伏せておいた。「尾日向さんから見て、AI による開発の現状はどの程度まで進んでいると思いますか?」
 「使い方によっては非常に有用だと考えています」またもや即答だ。「たとえば、人間でももちろん書けるけれど、書くとなると小一時間ほどかかるようなスクリプトとかをやらせるには十分なレベルです」
 「いずれ、コーディングを人間がやることはなくなる、なんて言われていますが、その点はどう考えてますか?」
 「将来的にはともかく、現時点では、無条件でAI の書いたコードを信頼するのは少し怖いですね。平気で間違ったコードを出してくることも、けっこうな頻度であるので」
 全否定でもなく、全肯定でもない。正しく現状を捉えているようだ。
 「わかりました。バージョン管理システムについてはどうですか?」
 「Svn とGit は使っていました」尾日向さんは思い出しながら言った。「ただ、どっちもIDE の機能として使っていたので、コマンドはあまり知りません」
 それはぼくだってそうだ。前職では、Gitのコマンドはある程度理解していたものの、今の職場になってからは、Git は単に分散バックアップ以上の使い方をほとんどしていない。プッシュとプルを知っていれば事足りる。人数が少ないため、ブランチやマージなど、まず使わない。ただ......
 「開発メンバーが複数の場合、コンフリクトとか発生したことはなかったですか?」
 「これまでのところ、そういった事態になったことはないですね」
 「そうですか......Java やPython のスタンドアロンのプログラムを、Windows やLinux で動かすような環境設定はできますか?」
 「以前の業務で自分でスクリプト書いて、夜間バッチなどを動かしてきました。Java もPython もどちらも経験あります」
 「次にフロント系について訊きたいんですが」
 今日の面接にはマリは参加していない。JINKYU で急ぎの修正依頼が入って手が離せないためだ。もっとも、職務経歴書には、フロント関係の経験が一つも記載されていなかったので、参加していたとしても、質疑応答は短時間で終わってしまっただろう。尾日向さんの答えは、その予想を裏付けた。
 「申し訳ありません」尾日向さんは小さく頭を下げた。「私、いわゆるフロント系の経験は、ほとんどありません。もちろん、JavaScript でAjax やaxios を使うとか、見た目をcss で整えるなどはできますが、React とかVue などのフレームワークを使ったことはありません」
 「主にバックエンド側に携わってきた、ということでしょうか?」
 「そういうことになります」少し残念そうに尾日向さんは答えた。「機会があればやってみたかったんですが......」
 「わかりました」ぼくは頷いた。「こちらからの質問は以上となりますが、逆に開発業務について聞いておきたいことはありますか?」
 「はい」尾日向さんは待ちかねたように大きく頷いた。「メモを取ってもよろしいでしょうか?」
 「もちろん、どうぞ」
 「社内システムの構築と保守が主業務だとうかがっていますが」キャンパスノートを膝の上に開きながら、尾日向さんが訊いた。「具体的にはどのようなシステムになりますか?」
 ぼくはJINKYU やエースシステムとの連携システム、過去に作成したコロナワクチンの職域接種フォームなどについて、簡単に説明した。
 「そういったシステムの仕様は誰が決めるんでしょうか?」
 「仕様というと、いわゆる詳細設計レベルの話ですか?」
 「はい。たとえばDB や言語やフレームワークといった」
 「社内システムなので、だいたい固定ですね。DB はPostgreSQL で、言語はPython でFlask か、Java でSpringBoot になります」
 尾日向さんはメモを取りながら、ドキュメントとして仕様書は書くのか、コードレビューをする文化はあるのか、リモート勤務は認められているのか、誰がどの業務を担当するかはどうやって決まるのか、など、実務レベルの質問をいくつも投げてきた。他の面接官は話についてこれず、口を挟む余地もない。
 やがて満足したらしい尾日向さんは、戸室課長や茅森課長に対して、福利厚生や昇給制度などについて、いくつか質問した。ほとんどはコーポレートサイトや、採用募集要項に載っていることだが、二人の課長はむしろ喜んで回答していた。尾日向さんは、二人の顔を立てるために質問したのかもしれない。
 予定の一時間に近付いた頃、ようやく尾日向さんは質問を終え、丁寧に礼を言った。これで面接は終了だ。
 尾日向さんがカバンにメモなどをしまっている間に、浅海さんが先に立ちあがり、ドアを開いて待つ。尾日向さんは急ぐこともなく退出準備を終えたが、ドアの手前で立ち止まると、浅海さんに「お待たせしてすみません。ありがとうございます」と礼を言った。さりげない仕草だったが、これはぼくを含めた面接官全員に好印象を残した。
 尾日向さんが浅海さんのアテンドで退出すると、戸室課長が待ちかねたように口火を切った。
 「申し分ないと思うね」
 「確かに」茅森課長も同意した。「これは当たりかもしれませんね。大当たりだ」
 二人はぼくを見た。
 「イノウーはどうだった」茅森課長が訊いた。「ずいぶん、話が弾んでいたじゃないか」
 「スキル的には問題なさそうです」ぼくは慎重に答えた。「受け答えもしっかりしてますね」
 「気付いたか」戸室課長が言った。「彼、〝そうですね〟という枕詞を一回も言わなかったな。自分の中で、ちゃんと答えができている証拠だ」
 「あれは入社したらモテるだろうなあ」茅森課長が笑い、ちょうど戻ってきた浅海さんに言った。「そう思わないかね」
 浅海さんは戸惑ったように作り笑いを浮かべた。
 「ええ、まあ、そうかもしれないですね」
 「なんだ」戸室課長が笑った。「イノウーは不満があるのか」
 「不満というか」ぼくはノートPC に目を落とした。「少しばかり違和感が......」
 「なんだ、それは」
 「一つは生成AI の件です。自分で有料プランに課金しているということでしたが」
 「それがどうかしたのかね」茅森課長が訊いた。「意欲的に最新技術のキャッチアップをやってるってことだろう」
 「そこは評価しますが、ただ、自分で課金ということは、会社には無許可でやってるってことですよね。普通のIT 企業なら、どこまで生成AI に食わせていいのかを、セキュリティポリシーで厳密に定めてあるはずなんですが」
 ぼくの言葉に戸室課長の表情が硬直した。忘れたい過去のトラウマが想起されてしまったに違いない。
 「つまり......」隣の同僚の表情に気付いていないらしい茅森課長が考えながら言った。「情報漏洩のリスクを無視してるんじゃないか、と言いたいわけか」
 「そこまでではないですが......」
 「いやまて」戸室課長が咳払いした。「そりゃ、当然、社内ルールに則ってやってるんだろう。決まってるじゃないか。そこまで非常識な人間には見えなかったぞ。だいたい、そう考えたんなら、なんで面接のときに訊かない?」
 ぼくが問い詰めなかったのは、圧迫面接だと思われないか、と懸念したからだ。もちろん、真偽を確かめようがないということもある。そう言うと戸室課長は顔をしかめて、何かを思い出したようにスマートフォンを掴んで指を動かし始めた。これはスルーするつもりだな、と直感した。
 「それだけかね」茅森課長が取りなすように訊いた。
 「もう一点、御用聞きみたいなことをやりたいと言っていましたが」
 「ああ。いいじゃないか。何が気になるんだ。私など、システム開発室でもやったらいいんじゃないかと思ったぐらいだ」
 ぼくは口の中だけで小さくため息をついた。
 「今、ただでさえリソースが足りないのに、わざわざ仕事を増やしに行くんですか? あれもこれも抱え込んで、結局、どれもこれも中途半端になるのがオチですよ」
 「そのために人を入れるんだから......」
 「システム開発室の優先基準を決めましたよね」ぼくは茅森課長に思い出させた。「あれ、依頼をこなすため、というより、実は、依頼元に再考させるためでもあるんですよ」
 「?」
 茅森課長にはわかっていないようだ。社内各部署から上がってくる依頼のほとんどは「こんなことができたらいいんだけど」というレベルのものだ。終着点が何なのか、エンドユーザ自身にもわかっていないことが多い。中には、そもそも技術的に不可能だったり、二段階認証のように実現するにはイニシャルとランニングコストが発生する依頼もある。それらを現実的な解に着地させるには、それなりの工数がかかる。
 「プレイング・マネージャとして複数の業務に携わってるなら、スコープクリープの怖さは知ってるはずなのに、いわゆるハッピーパスしか自分の前にはない、と思っている様子で」
 「うーん」茅森課長は腕を組んで唸った。「当然、そういうことはわかった上で、あえて理想を語ったんじゃないのか?」
 「だったらいいんですけどね。ただ、そういう苦労話みたいなものが出てこなかったのが気になって。少し水を向けてみたんですが、はぐらかされたようで」
 「そういう泥臭い過去のエピソードなど」戸室課長が会話に復帰した。「進んで口にしたくないのは当然だと思うがね」
 「そうかもしれませんが......」
 「はっきりさせておきたいんだがな」戸室課長はぼくを睨んだ。「イノウー、君は彼の採用に反対なのか? 前回の彼については、積極的に採用したいとは思わない、と言っていたな。今回も同じ意見なのか?」
 そう正面から問われ、ぼくは首を横に振らざるを得なかった。ぼくが挙げた気になる点は、あくまでも「気になる」レベルであって、決定的なマイナスではない。前回の鉾岩さんと違って、尾日向さんの場合はプラス要素が大きく上回っているのは間違いない。それでも微かな違和感は拭えなかった。
 「じゃあ問題はないな」戸室課長は満足そうに言った。「役員面接に進めるということでいいか」
 「それはすぐ決めなければいけないですか?」
 「そういうわけでもないが......まだ何か気になることでもあるのか」
 「いえ、もう一人、候補者の面接が予定されていますよね。そちらの結果を見てからでいいんじゃないかと」
 よほどのことが無い限り、役員面接に進めるというのは内定とほぼ同義となる。尾日向さんに一次面接通過を連絡してしまうと、3人目の面接は形式的でおざなりなものになりかねない。それでは、せっかく応募してきてくれた候補者に失礼というものだ。
 「まあ、それもそうか」戸室課長は浅海さんを見た。「3人目の面接はいつだった?」
 浅海さんはノートPC を操作して答えた。
 「少し空きますが、来週の火曜日、10:00 です」
 「じゃあ、火曜日の面接が終わった後、最終面接に進めるのを誰にするか決めるということでいいかな。尾日向さんには、結果を伝えるのは来週の水曜日以降になる、と連絡しておいてくれ」
 浅海さんが頷き、今回の面接は終了となった。
 戸室課長と茅森課長は、小声で何か話しながら会議室を出て行った。どちらも笑顔だ。二人の中では、すでに尾日向さんの採用が確定しているようだった。

(続)

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