イノウーの選択 (9) 埋まらない溝
3 人めの候補者は女性だった。今度は中野ユウコという、さほど珍しくない氏名だ。年齢は37 才。川崎市在住だ。
職務経歴書によれば、地方の四年制大学を卒業した後、都内のマーケティング会社に就職するが2 年で退職。同じ月に、Web サイト制作専門のシステム会社に転職している。4 年後に離職し、以後は派遣社員として、大小様々な企業でシステム開発に携わっている。
経験してきた言語はC、C#、C++、PHP、Ruby、Java、Python、Go、Visual Basic、Pascal、Rust、Scratch と多種多様だ。JavaScript、TypeScript、Bash、Perl なども記載されている。データベースも、Oracle、SQL Server、PostgreSQL、MySQL などの定番から、Cassandra、MongoDB、Redis、Hbase などのNoSQL 製品の使用経験がある。また、RedHat やCentOS、Ubuntu、Rocky などのLinux OSのインストールと環境設定の経験があるのも心強い。リーダーやマネージャの経験はないが、要件定義から保守までの各フェーズにまんべんなく参加している。広く浅く、なのかもしれないが、経験値だけなら、ぼくよりも上かもしれない。
「なんか自分が半人前以下に思えてくる......」マリがつぶやいたのも、ぼくと同じ理由からだろう。
茅森課長と戸室課長は、前回に比べて真剣味を4 割ほど削ったような表情をしていた。尾日向さんの印象がよほど強烈だったようだ。ノートPC の画面を見つめているのも、採用する理由よりも、不採用にする理由を探している気がする。
時間になったので、浅海さんが会議室から出て行き、中野さんと戻ってきた。
「よろしくお願いします」
深々と頭を下げて座った中野さんは、これといって特徴のない平凡な顔立ちに、落ち着いた表情の女性だった。地味なスーツに、主張の少ないアクセサリ。使いこまれているらしい茶色のカバンを手にしている。外気温が高めで蒸し暑い日だからか、緊張しているからか、片手にハンカチを握りしめていた。
戸室課長が挨拶して、自己紹介を求めると、中野さんは頷いて、落ち着いた声で話し始めた。控えめな笑みを浮かべてはいるが、話す声はどちらかといえばビジネスライクで、直線的だった。それでも聞いていて、暗いとか、おとなしい、という印象を受けない。PC に向かってばかりではなく、日常的に人間と会話をする機会が多いようだ。
「2社めの」戸室課長が質問している。「このWeb 制作会社ですか、こちらを退職された理由はなんでしょう?」
「社長が交代しまして」中野さんは答えた。「サイト制作の会社から、マーケティング会社へと脱皮を図る、ということを宣言されました。実際にサイト制作の受注を減らし、マーケティング分野の人材採用を始めたので、これは自分には合わない、と考えて退職することにしました」
「その後は派遣会社に登録したわけですか。正社員の道を探そうとは思わなかったんですか」
「それも考えたんですが」中野さんは少し頬を緩めた。「自分がやりたいことは何か、ということを見つめ直してみたところ、管理の仕事よりも、何かを作る仕事が好きなんだ、という結論が出ました。実装、という意味ではなく、誰かのために、システムを作って、それを使ってもらうことが面白くてたまらない、ということです。正社員ですと、いずれはマネジメントの方へ進むことを余儀なくされる可能性があります。派遣であれば、その心配はないので」
心配がない、というのもおかしな話ですが。そう付け加えて、中野さんは笑った。
「履歴書には記載がなかったのですが、ご結婚はされていますか」
「いえ」中野さんの首が横に振られた。「していません」
「将来的に、ご結婚されたとして、そのとき......」
「いえ」中野さんはまた否定した。「結婚の予定はありません」
「それは」戸室課長は苦笑した。「今のところは、という意味ですよね」
「現在、パートナーがいて、彼女と一生を共にすることに決めています」
「パートナーが......え、彼女?」
「はい」
中野さんは頷いた。その顔は事実を告げているだけで、自慢げでもなければ、反抗的でもない。明らかに戸室課長は、どういう関係なのかを追及したそうだったが、人事課長という立場が、それ以上詳しく質問を投げることにブレーキをかけたようだ。
「子どもを持つ予定もありませんので」中野さんは淡々と付け加えた。「産休や育休の取得予定もありません」
「なるほど......」
鼻白んだように戸室課長はつぶやき、茅森課長に質問を譲った。
「えーと」予定より早く順番が回ってきたからか、茅森課長は少し焦った様子で訊いた。「今回の募集は、正社員としての募集なのですが、どうして応募されたんでしょう」
「派遣社員としてシステム開発を行う上で、ひとつだけ不満があるとしたら、派遣期間が終了したら、否応なしに手がけたシステムから離れなければならない、ということです。御社の募集は、社内システムの開発要員でした。つまり、一つのシステムをずっと長くメンテナンスしていける仕事だと捉えましたが、その理解で合っていますでしょうか?」
「合っていますが......」
「変なやつだと思わないでほしいんですが」中野さんは、また笑みを浮かべた。「自分が手がけたシステムやアプリケーションに、愛着がわくタイプなんです。そういう仕事であれば、正社員として長く続けていけそうだと感じました」
根っからの開発者だな、この人は。ぼくは好感をいだいたが、茅森課長は、また別の感想を抱いたようだ。
「さきほど、マネジメント職へ進みたくない、というお話をされていましたが、うちは、いわゆるスペシャリストのようなルートがないので、もしかしたら、管理職としてのコースに進んでもらうことになるかもしれません。その場合、受け入れますか?」
「いえ」中野さんはきっぱりと答えた。「その場合は、退職を選択することになると思います」
茅森課長のみならず、面接官全員が息を呑んだ。職を求めてきた面接で、退職する、と宣言する応募者など前代未聞なのだろう。
「退職ですか......」
「はい」茅森課長の呟きに、中野さんが答えた。「あらかじめ言っておいた方がいいだろうと思いまして。お互いの時間をムダにしないですみますから」
ぼくは胸の奥から広がる失望を、なんとか表に出さないように努力しなければならなかった。正直で公正な人であり、エンジニアにとって得がたい資質を持つ人でもある。だが、この場でそれらの資質を発揮したのは残念だ。おそらく、これで、戸室課長と茅森課長に、不採用とする大きな理由を提供することになっただろうから。
その後、茅森課長はとってつけたように、通勤や希望年収などの条件について質問したが、それは修辞疑問のようなもので、すぐに終わった。戸室課長と同じように、茅森課長の中では早くも結論が出たに違いなかった。
ぼくに質問の順番が回ってきた。これまでの業務についての質問や、Java やPython についての技術的な質問をしたが、いずれもはっきりと答えが返ってきた。少し話しただけでも、Web アプリケーションについて、きわめて真っ当で常識的な経験と知識を持っていることがわかる。SpringBoot のbuild.gradle ファイルについて突っ込んだ質問を振ってみたが、普段から触っていなければわからないレベルの答えが返ってきた。
「JPA でクエリメソッドや、@Query アノテーションで書くのが難しいような複雑なSQL が必要なときはどうしていましたか?」
「今のプロジェクトだと」中野さんは目を輝かせて答えた。「そもそも、そのレベルのSQL が必要なシーンがないんですが、以前はDoma というライブラリを使っていました」
「ほう」ぼくは記憶の階層を何段か降りた。「Seasar プロジェクトのO/R マッパーでしたっけ?」
「はい、それです。SQL を単純なテキストファイルとして書けるのが楽で。別のプロジェクトで、MyBatis で苦労されてたので、Doma をお勧めしたこともあります。MyBatis だと、結局、アノテーションになりますから」
もはや質問というより、開発についての意見交換になりつつある空気を読んだのか、隣でマリがそっと合図を送ってきた。交代しろ、と言っているのだ。
「私からは以上です」ぼくはようやく質問を切り上げた。
「では、フロント関係について聞かせてください」マリが身を乗り出した。「職務経歴書だと、JavaScript、CSS とありますが、具体的にどの程度の経験がおありですか?」
「React やVue などのフレームワークの経験はありません」躊躇うことのない答えだった。「普通にquerySelector やJQuery でのDOM 操作が支障なくできる、というレベルです」
「CSS はどうですか?」
「Bootstrap などのメジャーなライブラリで、ページのレイアウトを行うことは可能です。フロントは進化の早い業界なので、なかなかトレンドを追いかけるのも大変で。必要があるときに、AI に聞いて、知識をアップデートさせてはいますが」
マリは頷いた。できないことや知らないことを、変に取り繕うことのない答えに好感を抱いているのがわかる。
「バンドラーはどうですか?」
「以前、webpack は使ったことがあります。リンクしなければならないjs ファイルやcss ファイルが数十個になってしまったので。それで用が足りたので、他に手を伸ばすことはしませんでした」
「なるほど。リッチテキストエディタは何か使ったことがありますか?」
「定番ですが、CKEditor が多いです。だいたい、これを使え、と言われることが多いので。後は、Quill ですね。CKEditor は最新版だと無償では機能が制限されているようなので」
「ああ、はいはい」マリは笑顔で頷いた。「今、ちょうどテストしていたところですよ、それ。軽くていいですよね。CKEditor は昔のバージョンはよかったんですけどね」
「そうなんです。カスタマイズがサイトで簡単にできるようになったのはいいと思うんですが」
「4 でできてたことを、そのままやろうとすると、有償になってしまうんですよね」
戸室課長が軽く咳払いした。面接官としての役目から大きく逸脱しているぞ、と注意喚起したのだろう。
「あ、すいません」マリは小さく舌を出した。「はい。私の方は以上です」
「えー、それでは」麻美さんが苦笑しながら言った。「中野さんの方から、何かご質問ありますか?」
「はい。よろしいでしょうか」
中野さんは、おそらく前置きとして、残業時間やリモート勤務、休日出勤などについて質問して、戸室課長と茅森課長から答えを得た後、ぼくとマリの方を見た。
「まず、これまでのご質問の中で、AI に関することが一つもありませんでしたが、御社では使用されていない、ということでしょうか。それとも禁止されているんでしょうか」
「......」
戸室課長と茅森課長が揃って苦い顔をしたのは、以前、戸室課長がAI 関連で「やらかした」からだ。それ以来、社内では生成AI の利用に対して慎重な空気が形成されてしまった。パートナー企業、つまり下請けベンダーに対しては、明確に禁止はしていないが、使用を推奨してもいない。社内のDX 用途でも同様だが、使用するには、少なくとも社内に成果を公表するような使い方は上長の許可を得てから、という暗黙のルールが定着している。そして、あえて上長に使用許可を申請する社員は少数派だ。
その少数派の筆頭がシステム開発室で、開発人員不足の解消という名目で許可を得ている。ただし、エンタープライズレベルの課金には茅森課長が慎重な態度を崩さないため、Cursor のPro プランのみ使用している。室長代理の権限で自由に使える金額の範囲内だからだ。
「社内的には様子見という段階ですが」ぼくは言葉を探しながら答えた。「システム開発室では、試験的に使用しています」
試験的な段階にとどまっているのは、いくつかの理由がある。生成AI そのものの性能という問題、ぼく自身が生成AI の可能性を感じつつも、全面的な依存まで踏み込む勇気を持てずにいること、そして、他部門からの理由のない漠然とした忌避感という壁だ。
最初の2つについては、生成AI が作り出すコードを全面的に信用する状況になれない、という個人的な理由だ。単にプロンプトの与え方に慣れていないだけかもしれないが、生成されたコードの確認 → テスト → 修正の指示というサイクルを繰り返すより、自分で書いた方が早い、というケースも多い。以前に試した例だと、横2 列、縦5 行の宛名ラベルのフォーマットに合わせたExcel ファイルに、住所と氏名を差し込む、というロジックを書かせたところ、完成までに半日以上を費やしたことがある。左上から順に差し込んでいくだけならすぐできたが、「3 行め、2 列めから開始」のようなパターンだと失敗するのだ。
三つ目も、たとえば給与計算ロジックが多数含まれるJINKYU では、生成されたコードのチェックは、どうしても人力で行わなければならないので、逆に工数がかかってしまう場合もある。また人事課を仕切る戸室課長が、否定的な態度を取っているので、「生成AI に書いてもらいました」などと言おうものなら内容も聞かずに受入テストを拒否されかねない。結果的に、「人間が書くことはもちろんできるが、小一時間ほどの時間を要する」ようなロジックや、フロントのページネーションなど、あまりクリティカルな分野に抵触しない部分を任せるにとどまっていた。
ちなみに夏目さんも、生成AI には慎重派だ。エースシステムから何らかの干渉があった、という噂もあるが定かではない。ぼくとシノッチがHOUSEPROG を人力で解析していたのはそのためだ。もっとも、いかに優秀なOCR アプリケーションでも、あの手書きの設計書を認識するのは苦労するだろうが。
「LLM はどのあたりを使っていますか?」中野さんが重ねて訊いてきた。
「今のところ、GPT かSonnet あたりですね。通常はAuto モードで使ってますが。今更ですが、中野さんは生成AI の使用は?」
「個人でGemini Pro を課金して使っています。IDE としては、Cursor メインですが、AntiGravity とDevin も触りだしてます。そろそろClaude Code にも手を出してみようかなと思いますが、個人だと、あれもこれも課金するのは、ちょっと躊躇してしまって。御社で使用が許されているのかな、と思いまして」
要は自分の興味があるツールに、会社で月20 ドルか30 ドルを負担してもらえるか、と訊いているわけだ。ここまでストレートだと、エンジニアとしては好感しかない。
「無制限にというわけにはいきませんが、ある程度なら可能ですよ」
「よかったです」中野さんは破顔した。「実は別の会社の面接で同じ質問をしたところ、一言で否定されたもので。もう一つ、うかがってもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「言語でもフレームワークでも、それこそ生成AI でもいいんですが、この技術を使う、というのはどうやって決まるんでしょうか。どなたが、と訊くべきなのかもしれませんが」
「まあ、だいたいは私が決めてますね。バックエンドの場合はですが。フロントの場合は、こちらの笠掛が決めています」
「たとえば私が、こういう技術を使いたい、と思った場合、考慮していただける余地はあるんでしょうか」
「もちろんです」
「ありがとうございます。安心しました」
それも別の会社で否定された質問なんですか、と訊きたかったが、戸室課長がさっきから何度も時計を見ているので、ぼくは何も言わずに頷くだけにしておいた。
「他にご質問はありますか?」浅海さんも時計を気にしながら訊いた。
中野さんは少し考えてから首を横に振った。
「いえ、今のところは大丈夫です」
「では本日の面接は以上となります。結果については、後日......」
浅海さんが今後の予定について説明しているのを聞きながら撤収の準備をしていると、マリが肘でぼくをつつき、ノートPC の角度を変えて画面をぼくに向けた。メモ帳に、〝よさそうな人じゃないすか〟と書いてある。ぼくは同意のサインに小さく頷いた。確かに一緒に仕事をしてみたい、と思わせる人だった。
残念ながら戸室課長と茅森課長の印象は違ったようだった。中野さんが退出してドアが閉まるのとほぼ同時に、否定的な言葉を発したのだ。
「なんというか」戸室課長は苦い顔のまま言った。「ちょっと、とっちらかってる印象だな」
「そうですね」茅森課長も同意した。「技術力は確かにありそうですが、面接を受ける人間の態度とは違っていた気がしますね。うちで働かせてもらえますか、というより、自分を使いこなせますか、と言っているようだった」
「いや、そうでしょうか」ぼくは反論した。「スキルに自信があるから自分を安売りしていない、ということでしょう」
横でマリが同意するように頷いた。
「フロントもある程度知識があるようなので、戦力になると思います」
戸室課長は会議室の壁のあちらこちに視線を移動させた。まるで答えが書いてある場所でもあるかのようだ。
「女性だしな......」独り言のような言葉の切れ端が戸室課長の口から漏れた。
「女性だと何か問題があるんですか?」マリが険悪な声で問いただした。「そういう差別は......」
「いや、まてまて」戸室課長は慌てて手を左右に動かした。「そういうことじゃない。ただ、今後、結婚や出産などでキャリアが途切れるリスクがな......」
浅海さんが戻ってきたためか、戸室課長は口を閉ざした。
「まあ、性別云々はともかく」茅森課長がよどんだ空気をかき回すような口調で言った。「正直なところ、先日の彼と比較すると、地味な印象だとは思わないか」
「この仕事に地味とか派手とかは無関係だと思います」ぼくは答えた。「むしろ、淡々と粛々と業務をこなしてくれる人の方がありがたいです」
「イノウー、君は彼女を推す、ということか?」
「どちらかといえばそうです」
「そうか」茅森課長はマリを見た。「君も同じ意見なんだろうな」
マリは頷いた。
数分間、静かな議論が続いた。戸室課長と茅森課長は尾日向さんを推し、ぼくとマリは中野さんを推した。職制上の立場としては、ぼくたちが弱いが、スキルの判断ができるのはこちらだ。
「きりがないな」やがて茅森課長が肩をすくめたので、そこで議論は終了となった。
茅森課長は少し考えてから、戸室課長を見た。
「どうでしょうね。とりあえず、二人とも最終面接に進めては」
戸室課長は、秒針が一周する間ためらってから頷いた。
「まあ、そうしておくか。イノウーがそこまで推すということなら」
「ちょっと待ってください」ぼくは抗議した。「最終面接に進むのは一人だけだと仰ってたじゃないですか」
「通常はそうなんだが、今回はまあ、特例だな。なんといってもシステム開発室のメンバー採用だからな。イノウーの意見を無視するわけにはいかんだろう」
「でもですね......」
「イノウー」茅森課長がなだめるような口調で言った。「最終面接で、総合的に判断される、ということだ。ここでどちらかに決めることはできないんだから仕方がないだろう」
「では」浅海さんがノートPC を操作した。「役員面接の日程を2 名で調整する、ということでいいでしょうか?」
「ああ、よろしく。じゃあ、今日はここまでだな」
その言葉で全員が立ち上がった。次の予定があるらしく、戸室課長と茅森課長は、急ぎ足で出て行った。そこまで急ぎの予定がないぼくとマリは、ゆっくりと撤収準備をしていたが、同じく残っていた浅海さんがドアが閉まっているのを確認してから、ぼくたちの方を見た。
「ここだけの話ですが」小声で言った。「彼女はうちが第一志望なんだそうです。帰り際に言っていました。それから、私の立場でこういうことを言うのもアレですが、私も彼女を推します」
「へー、そうなんですか」マリが興味の視線を向けた。「何か理由でもあるんすか?」
「ありますが、それはほんとに個人的な印象なんで」浅海さんはノートPC を閉じて立ち上がった。「じゃあ、面接の日程が決まったら、一応、お二人にも共有しますね」
浅海さんに遅れて、ぼくたちも会議室を出た。通路を歩きながら、マリが囁いた。
「中野さんに決まるといいですね」ほとんど期待していない声だ。
「そうだな」
そう答えたものの、内心では、おそらくその目は出ない、と思っていた。戸室課長や茅森課長にしてみれば、尾日向さんを採用する理由も、中野さんを落とす理由も、どちらもたくさんある。後者については、ありすぎるぐらいだ。女性という性別、同性のパートナー、自分たちが持っていないスキル、生成AI に対する積極的な態度。どれか一つでも十分なほどだろう。
最終面接での逆転も、ほぼ期待できない。役員面接は、ほぼ形式的なもので、この面接での評価がほぼ決定事項になるからだ。戸室課長と茅森課長が、尾日向さんに多くの加点を付けることは火を見るよりも明らかだ。役員の前で、よほど破滅的な発言でもしない限り、尾日向さんが採用となることは間違いない。
がっかりした顔をしているところを見ると、マリもそのあたりの事情は承知しているのだろう。
「まあ、とにかく、人が増えるのはプラス材料っすね」
「だといいんだけどね」
常に理想の結果が得られるとは限らない。それが組織であり会社で働くということだ。そのぐらいは理解している。ぼくとしては、あの古典的なブルックスの法則が適用されないことを祈るだけだ。
(続)
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匿名
キマシタワー!