ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

イノウーの選択 (11) 拒めない要求

»

 「houseweb なんだけど、ちょっと修正してほしいのよ」
 コンビニ行くならついでにポテチ買ってきて、と言い換えてもいいような気軽な口調で言ったのは、もちろん夏目さんだ。
 永遠に続くのではないかと絶望するほど、猛暑日が何日も続いている9 月の朝だった。ふらっと入ってきた夏目さんは、おはようも言わずにいきなり用件を口にした。
 「またですか」ぼくは必要以上に苛立ちを強調した。「前回、これで終わり、と言いませんでしたか?」
 「そうだった? 記憶にないわね」
 ぼくとマリはうんざりして顔を見合わせた。マリが、話を聞いてさっさと追い出せ、と視線で合図したので、ぼくは仕方なく手を止めた。
 「houseweb がどうかしたんですか」
 houseweb という味気ない名称は、ぼくの命名によるものではない。web アプリケーションとなったHOUSEPROG は、納品直後は、そのままHOUSEPROG と呼称されていたが、7 月半ば、並行稼働が終わったときに、houseweb と命名されたと連絡があった。もう少しセンスのいい名前にすれば、と思ったものの、口出しをできる立場ではないし、自社で使うシステムでもない。ぼくは、その名称変更をもって、HOUSEPROG とは縁が切れたもの、と受け取った。
 ぼくは間違っていた。それは終わりではなく、むしろ始まりだったのだ。
 翌日、早速、夏目さんがhouseweb の修正依頼を持ち込んできた。それは画面上の文言変更が三カ所と、ワーニングメッセージの変更だった。いずれもフロント側の修正で済む範囲だったので、ぼくはマリにタスクをアサインし、変更されたファイルをwar ファイルにパッケージングして、エースホームの担当者に送った。
 数日後、今度は、成約報酬の計算ロジックの追加依頼が来た。Java 側の修正だったのでぼくが対応したが、終わってから夏目さんには釘を刺しておいた。
 「今のところ小さな変更や追加ですけど、あまり気軽に繰り返されても困るので、先方にそれとなく言っておいてくれませんか」
 「わかったわよ」夏目さんは頷いた。「言っておくけど、まあ、アフターサービスだと思って、些細な修正なら対応してあげてもいいでしょう?」
 あくまでも些細な修正なら、ということで、その場は引き下がったのだが、その次の日に届いた修正依頼を見て目をむいた。統計資料的なレポートを作成する、という内容だが、合計14 パターンのExcel ファイルで、そのうち11 種類にグラフオブジェクトが必要だった。これまでHOUSEPROG から出力したcsv ファイルを元に、担当者が手作業で作っていたレポートらしい。
 さらに詳しく仕様を訊いてみると、シート内に多数の結合セルがある、セル内の特定の文字列だけフォントのカラーや太さを変更する必要がある、文字列の長さに合わせて行の高さを調整する必要がある、など、もはや些細な、というレベルを超えた機能追加だった。
 夏目さんに抗議してはみたものの、安っぽい同情と、エースホーム寄りの返答が得られただけだった。
 「申し訳ないけど、昨日の話を伝える前に、先に話が来たんだから仕方がないでしょう。乗りかかった船だと思って、今回だけはなんとかしてもらえない? 先方の担当者には、今日にでも連絡しておくから。ね?」
 こういう場合、上長から拒否してもらうのが常套手段だが、あいにく茅森課長は、上昇気流に乗っている夏目さんに異を唱える意思を持ち合わせてはいないようだ。それどころか、業務命令、という言葉をニワトコの杖のように振り回して、エースホームと夏目さんの意向に沿うように命じてきた。ぼくは仕方なく、新たなタスクを割り込ませた。
 しばらくの間、エースホームからは追加の依頼が届くことはなく、夏目さんがうまく言ってくれたのだと一安心していたのもつかの間、9 月に入った途端に一気に4 つも依頼が届いた。
 どうやらエースホームの紹介制度管理担当者は、マーズエージェンシーがHOUSEPROG のリニューアルを引き受けたことを、有効期限のないサービス券を無限に得たのと同義だと捉えているようだった。その認識を訂正しようともしない夏目さんが、数日おきにシステム開発室にやってきては「ちょっとした修正をお願い。これで最後にするから」と軽い口調で切り出しては、決して軽くはない修正内容を置いて立ち去っていくのだった。
 さすがに、このままだとJINKYU をはじめ、社内システムの開発作業に支障が出かねない、いや、すでにいくつかの部署から不満の声が届いている、と強く茅森課長に訴えた。エースシステムと太いパイプを持つ夏目さんからの要望と、社内の各部署からのそれを比較した茅森課長は、今回ばかりはぼくに同意し、夏目さんに「相談」しに行ってくれた。抗議ではなく、相談にとどめたところが茅森課長らしいが、とにかく一歩前進には違いない。
 翌日の午後、ぼくとマリがランチから戻ってくると、茅森課長が待ちかねたような顔で、理由も言わずに会議室に行くようにとだけ言った。
 「もうすぐ人事課とJINKYU の打ち合わせ時間なんですが」
 マリが言うと、茅森課長は首を横に振った。
 「そっちは連絡しておくから、とにかく行ってきてくれ」
 ぼくとマリは顔を見合わせ、システム開発室を出た。
 「なんなんすかね」
 「こういうとき言う台詞は一つしかないだろ」
 「イヤな予感がする?」
 「あたり」
 会議室で待っていたのは、予想通り夏目さんだった。予想通りでなかったのは、同席している人がいたことだ。50 代ぐらいのメガネをかけた女性で、ぼくたちが入っていくと、にこやかに微笑みながら一礼した。見覚えのない顔だった。
 「忙しいところ悪いわね」少しも悪いと思っていない顔で夏目さんが言った。「こちらは、エースホーム株式会社の浜口さん。紹介制度管理業務を担当されています。浜口さん、この二人がhouseweb システムを作成した井上と笠掛です」
 浜口と紹介された女性が名刺入れを手に立ち上がったので、ぼくたちは慌てた。社内の人間との打ち合わせだと思い込んでいたので、名刺が手元にない。
 「ああ、大丈夫です」浜口さんは名刺を差し出しながら笑った。「浜口です。このたびは素敵なシステムを作っていただいてありがとうございました」
 ぼくたちはそれぞれ名乗って、名刺を受け取ると、涼しい顔の夏目さんをにらみながら席についた。夏目さんは表面的ですら気にしている様子をみせていない。
 それでは、この人がこちらの事情も考えずに、次々と機能追加や改修の依頼を投げ続けてきたのか。ぼくは改めて浜口さんの顔を見たが、不思議と負の感情がわいてくることがなかった。エースシステムとエースホームの関係にはうといが、これまで同カテゴリーでくくっていたので、てっきり下請けには仕事を際限なく投げて平気な顔をしている傲慢な人だとばかり思っていた。
 とりあえず浜口さんの評価はペンディングにしておいて、ぼくは自社の部長に向き直った。
 「それで、ご用はなんでしょう?」
 「ああ、そうそう」夏目さんはいつも持ち歩いているタブレットではなく、クリップ留めした数枚のプリントアウトを見た。「これから話すことは、まだ社内でも知っている人は何人もいないことだから、しばらくは口外禁止よ。いい?」
 ぼくたちは頷いて先を待った。
 「実はエースホームの紹介制度管理業務を、来年度からうちで引き取ることで話を進めているの」
 しばらくの間、ぼくの脳細胞は今聞いた言葉を解釈するためにフル回転していた。
 「......すいません。意味がよくわからないんですが」
 「そのまんまの意味よ」
 「よろしければ」浜口さんが穏やかに言った。「私から説明させてください」
 夏目さんが了解すると、浜口さんが事の次第を説明してくれた。
 これまで、エースホームの紹介制度管理業務は、HOUSEPROG を使って行われてきた。主担当は浜口さんだが、専任というわけではない。HOUSEPROG のリニューアルを手がける際、夏目さんも言っていたが、部署を一つ割り当てるほど繁忙な業務ではないのだ。浜口さんの本来の業務は庶務で、紹介制度管理業務に割いていたのは、毎月、15、6 時間程度だった。他にも業務を知っている社員はいるが、大抵は2 年目あたりの若手社員が補助的に手伝うぐらいだった。
 「実は」浜口さんは続けた。「私、今年度で定年退職となるんです」
 65 才を定年にする企業も増えているらしいが、エースシステムでは、まだ定年は60 才だ。おそらくエースホームも同じだろう。ということは、浜口さんは、60 才になるということだ。
 「再雇用制度もあるんですが、私は夫と札幌の実家の方に引っ越しする予定なんですね。それで、紹介制度管理の方はどうなるか、というと、これを機会にアウトソーシングに切り替える、ということになりまして。HOUSEPROG のリニューアルを急いでもらったのは、OS の問題もあったんですが、こっちの理由もあったんです。HOUSEPROG は、属人化というか、私しか詳しいところがわからない状態だったので」
 そういう事情が裏にあったのか。ここのところ立て続けに来ていた機能追加依頼は、その属人化を解消するためだったわけだ。
 「それで」夏目さんが言った。「うちがやることになったわけ。マーケティング課にやってもらう予定よ」
 業務自体はエースホームの総務部が主幹のままだが、ほとんど名前だけで、専任の担当者も置かない。実業務は全てマーズエージェンシーに移管されることになる。
 「話はわかりましたが、私たちが呼ばれた理由がよくわからないですね」
 「houseweb は、ログイン機能とかないですよね」
 浜口さんの問いに、ぼくは頷いた。
 「ないですね。HOUSEPROG に、そもそもなかったので」
 HOUSEPROG はWindows のアプリケーションなので、インストールされていないPC でしか実行できない。つまり、インストールされていることイコール認証となるので、ログイン機能など必要ではなかったのだ。
 「はい、これまでは問題なかったのですが、御社に業務が移管されてからは少し問題になるんです」
 「というと?」
 「実業務は御社の方にお願いすることになるんですが、お金が絡む業務なので、最終的な決裁等は、エースホーム総務部の承認が必要になります」
 イヤな予感ほどよく当たる。この先の展開が読めたぼくは、同じ想像をしたらしいマリと顔を見合わせた。
 「つまり......」不満が声に出ないように注意しながらぼくは言った。「houseweb に承認機能が必要になる、ということですね」
 「はい。お手数をおかけして申し訳ありません」
 形だけでも頭を下げてもらって、ぼくの負の感情は少し緩和された。うちの会社ではめったにないことだ。
 「いえいえ」ぼくの代わりに答えたのは夏目さんだった。「いくらでも使ってもらってかまいませんよ。で、井上くん、改修の方は問題ないわよね?」
 即答できる話ではない。承認機能と一口に言っても、形式的に承認ボタンを押せばいいのか、差し戻し、引き戻しなども含めたちゃんとした承認機能にするのかで工数も変わってくる。
 「承認機能ということは」ぼくは考えながら言った。「たとえば、報酬支払い処理だと、現状は支払マスタにデータを追加するだけですが、その直前にエースホームさん側での承認ステップを挟む、ということでいいんですか?」
 「それなんだけどね」夏目さんはさらりと答えた。「うちの中でも、一応、承認ルートを決めなきゃいけないのよ。まあ、普通の決裁と同じで、担当者、課長、部長のルートになると思うんだけど」
 「やっぱりそうですよね。たとえばですが、PDF か何かで出力できるようにして、社内のワークフローに載せるわけにはいかないですよね」
 「それはちょっと無理ね。経理システムとデータ連携するわけじゃないから」
 つまり、まず、紹介制度管理用の承認フロー機能を作らなければならないわけだ。
 「うちで承認完了した後は、エースホームさんにシームレスに連携したいですよね」
 「当然ね」
 「エースホームさんに、うちから直接アクセスできるようなサーバはあるんでしょうか?」
 浜口さんが首を横に振った。
 「そういうものはないですね。外部とのデータ授受が必要なときは、HULFT でしたっけ、そういうサービス使ってますから」
 うちの会社にもないことは知っている。ということは、両社からアクセスできるサーバが必要になる。ぼくは夏目さんを見た。
 「費用はどれぐらい使えるんですか?」
 「構築に必要な費用はエースホームさん側が負担してくださることになってる。もちろん見積は必要だけどね。何がいるの?」
 「エースホームさんとうちの両方で、houseweb を使うとなると、AWS みたいなクラウドにサーバ立てて、そこに両社からアクセスすることになりますね。あと、どれぐらいセキュリティ要件を厳しくするかでも変わってきます。ネット上において、グローバルIP で制限かけるか、VPN 構築するか、とか」
 「ああ、そうなのね。じゃあ、何パターンか構成と見積出してくれる? エースホームさんとも相談して決めるから」
 そういうのはIT システム課に頼んでもらえないか、と言いかけて、ぼくは口を閉ざした。夏目さんからの不正確な依頼で、IT システム課が混乱して、結局ぼくのところに連絡が来る、というのが、最もありうる未来だと考えたからだ。
 「わかりました。急ぎではないですよね」
 「危急ではないけど、あまり先延ばしにしないようにね」夏目さんは釘を刺した。「スケジュールというものがあるんだから」
 「そのスケジュールを教えてもらえませんか」
 「今年中に構築完了、来年1 月からテスト。2 月からテスト運用、および並行稼働よ」
 「業務移管は来年度からじゃないんですか?」
 「すいません」浜口さんがまた頭を下げた。「私が3 月からは有休消化になるので。2 月中にはめどをつけておきたいんです。一応、何かあったら連絡してもらうことにはなっていますけどね」
 そういう事情なら仕方がない。
 「わかりました」ぼくは頷いた。「では、見積は今週中には出すようにします。あと、もう少し先のフェーズになると思いますが、エースホームさん側のシステム部門とうちのIT システム課もまじえて、インフラ周りの打ち合わせが必要になるかもしれないので、そのときはセッティングをお願いします」
 「任せて」夏目さんは立ち上がった。「じゃ、よろしくね」
 浜口さんと一緒に夏目さんが出て行った後も、ぼくたちは無言のまま、しばらくの間座っていた。
 そもそもの始まりは、ページ上の文言をいくつか修正するだけの些細な改修だ。ちょっとしたアフターサービスのつもりだった。それなのに、いつのまにか、こんな大きな話に膨れ上がってしまった。
 「なんというか」マリが渡されたプリントアウトを抽象的な形に折り畳みながらつぶやいた。「おつかいでコンビニにポテチ買いに行ったのに、気付いたら北海道でジャガイモの収穫作業に駆り出されてたってとこすかね、この状況って」
 ぼくは力なく笑った。
 「とりあえず構成と見積か」
 「AWS の契約だったら、営業にいくつかパターンがあるんで、後で持ってきます」
 「ありがとう。助かる」
 「IT システム課が動いてくれますかね」
 それは頭の痛いポイントだった。IT システム課は、戸室課長が頭だった時代から、保守的な傾向が強い部署だ。決まったルーチン作業をこなすのは得意だが、新しい製品や技術を試すことにおいては、何かと理由をつけて回避する傾向がある。
 「湊くんに、こっそり話を通しておくか」ぼくはのろのろと重い腰を上げた。「とにかくJINKYU 関係の改修の線は引き直ししないとな」
 「ですね」
 窓の外には猛暑が続いていて、9 月だというのに、熱中症で搬送される老若男女のニュースが連日報じられている。普通に生活するだけでも過酷な時代だ。ぼくとマリの秋も、同じぐらい過酷な季節になりそうな予感がする。
 「ま、来月からの新人さんたちが戦力になってくれることを期待しましょ」
 「ああ」ぼくは思わずため息をついた。「そっちの教育計画もそろそろ作らないといけないんだった」
 「どういう方針で行く予定っすか?」
 「まあ、普通に練習の課題をやらせてみるとかかなあ」ぼくは歩きながら考えた。「まず、どれぐらいのスキルなのか確認しないと」
 いまだに名前も性別もわからないエースシステムからの新人はともかく、尾日向さんは経験者だ。プログラミングとは、という段階から始める必要はないはずだ。とはいえ、実際にコードを見てみないと、正しいスキルは判断できない。
 「今時だと、AI に書かせたりするのが普通だから」マリはニヤニヤした。「判断も難しいかもしれないっすね」
 そうか。そういうことも考える必要があるのか。
 「ちょっと先に戻ってて」ぼくはマリに言った。「IT システム課に寄っていくから」
 「さっきのAWS の話?」
 「それもあるけど、ちょっと思いついたことがあって。可能かどうか確認してくる」
 怪訝そうなマリを残して、ぼくはIT システム課のオフィスエリアへと足を向けた。

(続)

Comment(0)

コメント

コメントを投稿する