ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

イノウーの選択 (15) 消えない笑み

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 「......意味ないでしょ、こんなの」立ち上がって怒鳴っているのは尾日向さんだ。「一体、どんな状況を想定して、こんな研修やらせてるんですか」
 その怒鳴り声を受け止めているのはマリだった。自席ではなく、尾日向さんと安川さんの後ろに立っている。休憩から戻って、進捗を確認しようと二人の席の後ろから覗き込んだのだろう。
 「だいたい」尾日向さんは嘲笑した。「ここ、社内システムを開発する部署でしょ。客先で作業するわけじゃない。社内で開発や保守やるんですよね。ネットにつながらないって、どんな状況を想定してるんですか。サーバールームにこもって作業するとかですか。は! いやいやいや。ありえないでしょ」
 マリと安川さんは、入室と同時にぼくの姿に気付いたようだが、興奮している尾日向さんはドアに背を向けていることもあって、気付いていないようだ。なおもマリに向けて言いつのった。
 「ありえないですよね。いまどき。全部リモートで保守できるって聞きましたよ。コンソールでスクリプト書くとかはあるかもしれないですけど、Spring Boot のアプリケーションを、サーバで直接直すなんてありえんでしょうが」
 「そういうことではなくて」マリは冷静に応じた。「お二人のスキルを正確に知るための研修です」
 「ツールやネットを使いこなすのもスキルじゃないですか。それも含めて技術力って呼ぶんですよ。いまどき、常識でしょう」
 「常識かどうかは知りませんけどね。ネットで拾ってきたサンプルや、AI に書かせたコードをベタベタ切り貼りして、できましたって言われたら、本当はどの程度の実力なのかわからないじゃないですか。あたしたちは、それを知りたいんですよ」
 「それを知ってどうなるんですか。実際の開発シーンでネットアクセスが制限されるわけじゃないだ......でしょう。普段やってる環境で、どんなアウトプットを出せるか、それがわからないと意味ないですよ」
 マリの目が細くなった。戦闘態勢に入った表情だ。
 「なるほどなるほど」低く冷たい声だ。「よくわかりました」
 「わかってもらえて......」
 「つまり」マリは頷きながら言った。「できないってことですね。それならそうと素直に言ってくれればいいのに」
 尾日向さんは言葉を失い、深刻な侮辱を受けたかのようにマリを見た。
 「な......」
 「とても優秀な方だと聞いていたので」マリは矛を収めなかった。「単純なログイン画面ぐらいは楽勝だろうと想定していたんです。ちょっとばかり難易度が高かったようですね。大変失礼しました。こちらの想定ミスです」
 「お......」
 「それにしても」わざとらしいため息をつきながら、マリは肩をすくめた。「あたしでもできたことができないとは思いませんでしたよ。さっきも言いましたけど、あたしの主担当はフロントなんです。Spring Boot はまだ触り始めて1 年も経ってません。そのあたしでさえ、同じことができたんですよ。まあ、多少、時間はかかりましたけどね。ふーん、そうですか。できないんですか」
 尾日向さんの肩が大きく上下した。マリの先制攻撃にひるんでいた怒りが反転して爆発する。そう判断したぼくは、致命的なまでに職場の雰囲気が破壊される前に、と足を踏み出したが、尾日向さんの口から漏れたのは、意外にもクスクス笑いだった。
 「いや、これは失礼しました」落ち着いたバリトンだった。「仰る通りです。これまでネットに頼り過ぎていたようです。申し訳ありませんでした」
 「え、ああ」マリは戸惑ったように答えた。「いえ、あの、すいません、こちらこそ」
 「新人の分際で研修の方針に異を唱えるなど、身の程知らずもいいところでした。すみません。研修を続けてよろしいでしょうか?」
 「ええ、もちろんです」
 尾日向さんは自席に座った。素早くキーを叩いてスクリーンロックを解除してからマリに訊いた。
 「私もこの本を見てもよろしいでしょうか?」
 この本、というのは、安川さん用にと準備した「入門Spring Boot」のことだ。マリが頷くと、尾日向さんは安川さんに断ってから、分厚い本をパラパラとめくりはじめた。
 出番のなかったぼくが自席に座ると、尾日向さんがぼくに気付いたらしく顔を上げ、照れ笑いしながら軽く一礼してきた。
 さっき大声を出していたのは芝居には見えなかったし、マリの煽り文句で頭に血が昇っていたのも確かだ。にもかかわらず、すぐに感情を切り替え、笑みさえ浮かべてみせた。アンガーマネジメントに長けているのだろうか。
 ちらりとマリを見ると、瞳には困惑が残っていたものの、苦笑して小さく肩をすくめてみせた。
 この日の研修は、それ以上何の波乱もなく進んだ。尾日向さんは定時の10 分前に課題を終えた。安川さんは定時を45 分ほどオーバーしたものの、なんとかログイン画面を完成させることができた。時短勤務のマリは、二人の研修課題の完成を見届けることなく、一足先に退社している。
 先に完成させた尾日向さんは、さすがに経験者だけあって、押さえるべきところを押さえたソースを出してきた。メソッドや変数がスネークケースで定義されているのが気になったぐらいだ。ぼくはキャメルケースが習い性になっているが、もちろん、それを強制するつもりはない。
 フロント側の作りも問題ない。むしろ期待を超える結果を出している。使わなくていいと言ったのにBootstrap のCDN をリンクし、container とcss でログインボックスを中央に配置していた。ページ全体の背景に、Windows の背景用のものらしい画像が適用してあり、中央のcontainer はアルファ値で半透明にした白だ。ボタンにもBootstrap のbtn クラスをあてている。パスワードでEnter キーを叩いたらログイン処理を呼ぶイベントまで定義してある。
 安川さんの方はというと、いかにも初心者が作った感ありありなページだった。ページ左上に、ユーザID とパスワードの入力エリアとボタンを置いただけだ。ボタンもbutton タグではなく、input タグで味気ない。もちろん背景画像どころか、背景色さえ設定されていない。最低限の機能を実装するのが精一杯だったのだろう。
 Java 側の作りも二人の差は大きかった。尾日向さんはPRG パターンでトップ画面に遷移しているが、安川さんはPOST で遷移しているので、リロードするともう一度ログイン処理が実行されてしまう。
 ぼくがチェックしている間、新人の二人は互いに相手のソースをGit からプルして、自分のソースと見比べていた。
 「すいません」やがて安川さんが顔を上げた。「訊いていいですか? 尾日向さんのコントローラには@Autowired アノテーションがないのに、どうしてこのロジックはインジェクションされているんでしょうか?」
 「ああ、それですか」尾日向さんが微笑みながら答えた。「このアノテーションで......」
 尾日向さんは丁寧にコンストラクタインジェクションについて、安川さんに説明していた。経験者にありがちな「こんなこともわからないのか」という口調ではない。ぼくが説明したとしても、ここまでうまくやれたかどうか。
 尾日向さんの説明が終わるのを待って、ぼくは二人に声をかけた。
 「尾日向さん、ありがとうございます。その本は少し古いので、コンストラクタインジェクションまで載ってなかったですね。お二人とも今日はここまでにしましょう。おつかれさまでした」
 尾日向さんは頷くと、自分のPC に向き直って後始末を始めたが、安川さんはぼくに訊いた。
 「もう少し残って、このソース、コンストラクタインジェクションで書き直してもいいでしょうか?」
 「ええ、それは構いませんが......」ぼくは一応指摘した。「そのソースは練習用の問題なんで、もう使わないですよ? 明日は別のことやる予定ですし」
 「はい、それはわかっているんですが、このままにしておくのも気持ち悪いので」
 そう言うと、安川さんはモニタに目を向けて、キーを叩き始めた。尾日向さんは少し呆れたような顔になったが、何もコメントすることなく帰り支度を続けた。
 ぼくも後回しにしていた自分の仕事に戻ったが、なぜか尾日向さんはカバンに私物をしまって、退勤打刻を済ませ、ビジネスカジュアルのジャケットを羽織ったというのに、また席に戻ってスマートフォンをいじっている。この時間帯なら、電車は数分おきに到着するので、時間調整ということもないだろう。
 いぶかしげなぼくの視線を感じたのか、尾日向さんは少し笑って言った。
 「あ、すいません。ちょっと約束があって。ここで待たせてもらってます」
 その言葉が終わらないうちにドアが開いた。顔を覗かせたのは戸室課長だった。
 「お待たせ」戸室課長はぼくを無視して、尾日向さんに親しげな声をかけた。「行こうか」
 「はい」尾日向さんは立ち上がった。「では失礼します。人事課の方々が飲み会に誘ってくださったので」
 「そうですか。おつかれさまでした」
 なぜ、尾日向さんだけしか誘わなかったのか、という疑問は、安川さんのいる前では発することができなかった。
 ドアが閉じると、安川さんの方からその話を持ち出した。
 「私のことなら気になさらないでください」感情のない声は、心中を推し量ることを拒否しているかのようだった。「私がいると話せないこともあるでしょうし、どうしても気を遣われてしまうでしょうから」
 あくまでも自分はエースシステムの社員ですから、と付け加えて、安川さんはコーディングに戻った。ぼくの方が逆に気を遣われたような気分だ。いや、実際にそうだったのだろう。
 それにしても、とぼくは内心で首を傾げた。珍しいこともあるものだ。人事課内での歓送迎会や単なる飲み会は普通にあるだろうが、他部署の新入社員を誘うというのはあまり聞かない。
 考えても答えが出るはずもないので、ぼくは気分を変える意味でOutlook に切り替えた。最近はTeams でやり取りすることが多いが、メールも廃れたわけではない。グループウェアからの通知などは相変わらずメールで届く。
 受信トレイに届いたメールを順に開いていく。受信するとポップアップされるので、緊急性の高いものは都度処理済みだ。サーバに仕込んである通知スクリプトからの通知や、様々なセールスメールなどはざっと読んで削除する。
 一覧の終わりの方になって、経理システムからの通知が来ていることに気付き、ぼくは注意深く目を通した。以前、放置していたら、交通費の精算が締日を過ぎてしまい、経理課から怒られたことがあったからだ。
 メールは、システム開発室の予算で購入している技術系の雑誌の先月分の請求書が経理に届いていない、という内容だった。うちの会社は、いまだに請求書は交通費などを除いて紙が原則だ。その不便さから不満の声も多い。大竹さんが社長になってから、一度、経理システムの刷新が検討されたものの、「経理課は別に困っていない」という理由で、いつのまにか立ち消えになってしまった。
 システム開発室の請求書は、宛先がマーケティング課にしてある。請求書は部門管理者が承認して経理に回すルールで、システム開発室の部門管理者は茅森課長が兼務しているからだ。これまで遅れたことが何度かある。
 Teams で茅森課長を探すと、ステータスが「一時退席中」のオレンジになっている。茅森課長は席を温めることが少ない人なので、これが通常モードだ。チャットしておいても、既読になるのが翌日だったり、週明けだったり、ということもしばしばだった。そのため、大切な用件の場合は直接伝えるのが一番確実な手段となる。
 内線電話に手を伸ばしたが、思い直して立ち上がった。この仕事をしていると運動不足はオプションのようなものだが、マリからは意識して毎日の歩数を増やせ、としつこく言われている。社内の移動などたかがしれているがゼロよりはマシだ。
 ぼくは安川さんに断ってから、システム開発室を出た。人気のない通路を歩いて、マーケティング課のオフィスエリアに入る。定時を過ぎているのに、まだ半数以上が席にいる。
 どちらも茅森課長が管理者なのに、システム開発室とマーケティング課は交流が少ない。マリは部門や性別や年齢などに関係なく顔が広いのだが、ぼくがかろうじて顔を知っているのは片手に満たない。その中の一人、奥寺課長代理がいたので、ぼくは声をかけて、茅森課長の居場所を訊いた。
 「ん? 課長なら今日は帰ったよ。ほら、君のところの新人と飲み会なんだろ?」
 「あれ、人事とって聞きましたけど」
 「うん、戸室課長も一緒だったな」
 「そうですか......」
 ぼくは茅森課長のデスクにメモを残し、念のために奥寺さんにも伝言を頼んでから、マーケティング課を後にした。どうして人事課の飲み会に、茅森課長が参加するのか、という疑問を頭に浮かべたままで。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 その夜、ナナミが寝た後、ぼくはいただきもののウィスキーをちびちび舐めながら、午後のことを訊いてみた。マリは渋々ながら尾日向さんの冷静さを誉めた。
 「先輩らしくガツンと言ってやるつもりだったんだけど」缶チューハイを傾けながら、マリは笑った。「すぐに折れてくれたのは、ちょっと感心しちゃった」
 「ああなったキッカケは何だったの?」
 「安川さんが質問してきたから、画面見ながら教えて、ついでに尾日向さんにも、どんな調子ですか。って訊いたら、急に、これ意味ありますか、みたいに言ってきて」
 「君はなんて?」
 「文句を言う前に、やるべきことやれよ、とか、そんな感じで。あ、もちろん、社会人らしく丁寧な言葉遣いでよ。そしたら反論してきて、後は売り言葉に買い言葉」
 「ふーん。そういう文句を言うタイプだとは思わなかったなあ」
 「まあ、向こうは向こうで、言うべきことは言う男だってアピールしたかったのかもね」
 そうかもな、とぼくは頷き、ついでに飲み会の話をした。マリも初耳だったようだが、それほど驚きはしなかった。
 「たぶんだけど、人事の女性陣が戸室さんをつついてセッティングさせたんだと思う。ほら、尾日向さんはモテるから」
 「......」
 まだ入社して日も浅いのに、尾日向さんが若手女子社員の注目を集めているのは、社内の世事に疎いぼくでさえ耳にしていた。
 「人事課が、そんな公私混同していいのかね」
 「だから、茅森課長も同席したんでしょ。たぶん歓迎会って名目だろうから、所属部署の管理者がいないのも変だし」
 「そういうことか」
 「さてと」マリは缶チューハイを飲み干して立ち上がった。「明日もあたしは早いから、そろそろ寝るね。まだ仕事するの?」
 「やることが山積なんでね」
 「自分たちが楽をするためにも、早く新人を戦力にしないとね。じゃ、おや」
 「すみ」
 ぼくはノートPC を開いた。新人二人のことはとりあえず横において、業務に頭を切り替える。尾日向さんの件についても記憶の中の「10 月のできごと諸々」とラベルのついたファイルに放り込み忘れてしまった。それを再び開くことになったのは、数ヶ月後のことだった。

(続)

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