攻撃に対して「ハックされにくい人間」に

AIに答えを求め続けると、判断力は弱くなるのか

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分からないことがあれば、AIに聞く。

文章を考えてもらう。
情報を整理してもらう。
選択肢を比較してもらう。
ときには、「私はどうすればよいですか」と、判断そのものを尋ねることもある。

AIは、すぐに答えてくれる。
疲れているときや、時間がないときほど、その存在は心強い。
私自身も、AIの便利さを日々実感している。

その一方で、最近、気になっていることがある。

AIに答えを求め続けることで、私たちは、自分で考え、迷い、判断する力を、少しずつ使わなくなってしまうのではないか。

もちろん、AIを使うこと自体が問題なのではない。
人間はこれまでも、本や検索エンジン、専門家、同僚など、さまざまな外部資源を使いながら考え、判断してきた。知識や判断を自分の外に求めること自体は、新しいことではない。

しかし、AIには、これまでの道具とは少し異なる特徴がある。

AIは、単に情報を提示するだけではない。
私たちの問いに応じて、文脈に沿った、もっともらしい答えを、自然な言葉で返してくる。
しかもその答えは、しばしば滑らかで、一貫していて、自信があるように見える。

この点は重要である。
人は、情報を「受け取る」ときと、すでに整理され、解釈され、提案の形で「返される」ときとでは、関わり方が異なるからである。前者では自分で比較し、考え、つなぎ合わせる余地が大きい。だが後者では、答えの妥当性を十分に検討する前に、「たぶん正しいのだろう」と受け入れてしまう可能性がある。

もしそうだとすれば、AIは単に判断を助ける道具ではなく、私たちの判断の仕方そのものを変える存在になりうる。

ここで問いたいのは、AIが正しい答えを出せるかどうかだけではない。
むしろ重要なのは、AIに答えを求め続けることが、人間の判断のあり方をどのように変えていくのかという点である。

たとえば、もしAIの提案が間違っていたとき、私たちはそれに気づけるだろうか。
もしAIが使えない状況になったとき、私たちは自分で立ち止まり、考え、決めることができるだろうか。
あるいは、AIが常に選択肢や推奨を返してくれる環境の中で、人間は「考える主体」であり続けられるのだろうか。

大切なのは、AIを使うか、使わないかという二者択一ではないのだと思う。
本当に重要なのは、AIを使いながらも、人間が判断の主体であり続けられるかどうかである。

そのためには、AIの答えを受け取るだけで終わってはならない。
「なぜそう考えるのか」
「ほかの可能性はないのか」
「自分は何を見落としているのか」
と問い返す力が必要になる。

言い換えれば、問題はAIが判断することそのものではなく、人間が判断しなくなることにあるのかもしれない。

AIは、人間の代わりに答えを出す存在になるのか。
それとも、人間がよりよく考えるための支えになるのか。

この違いは、これからのAIとの付き合い方を考えるうえで、決定的に重要だと思う。

もしAIが便利であるほど、人間が考える機会を失っていくのだとしたら、私たちは「AIをどう使うか」だけでなく、AI時代に人間の判断力をどう守るかを考えなければならない。
さらに言えば、守るだけでなく、どう育て直すかという問いも必要になるだろう。

この連載では、その点を順に考えていきたい。

AIによって、人間の判断はどこまで支えられ、どこから弱くなるのか。
AIに任せてよいことと、人間が手放してはならないことは何か。
そして、AIを「答えを与える存在」ではなく、「考えることを支える存在」として設計することは可能なのか。

答えを教えるAIから、考えることを支えるAIへ。

次回以降、この問いを、判断、責任、認知負荷、ハンドオフ、そして人間中心設計という観点から、少しずつ掘り下げていきたい。

皆さんは、AIに判断を任せすぎていると感じることがあるだろうか。

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