第733回 前提構造理論(OST)のススメ12・補足1 失敗について
こんにちは、キャリアコンサルタント高橋です。
OSTのススメも12回めになりました。前回までで介入部が終わり、一応一通りの説明はさせてもらいました。ただ、OSTは理論自体がかなり広くまだ説明し切れていない箇所がいくつもあります。そこで、最後のパートとして補足を設けました。ここでは理論の中で出てくる概念、考え方などを補足させてもらいます。
最初は失敗についてのお話です。
■一派陰的な失敗とは
OSTにおける失敗とは過去にも断片的にお話していますが、ここでまとめて書きたいと思います。
まず、OSTの話をする前に一般的な失敗とは何かを考えてみます。
例えば、何かを成したいと考えた時に、それが成し得なかった状態を失敗と呼ぶ、これが一般的な失敗の概念のように思います。
ただ、これも少し定義が曖昧で、もう少し厳密に言うと、何かを成すということは、そこには何かしらの意図があり、その意図を実現するために「何かを成す」ということになります。そう考えると、失敗というのはその意図が実現できなかったと捉えることもできます。つまり、
何かしらの意図を持つ
↓
その意図が実現できない(=失敗)
という構造になるのではないかと思います。
これをOST的に捉えるとOAである結果の前提構造で説明ができます。
OAの所でもお話ししましたが、結果というのは行動によって生まれた内的事柄に対して何かしらの意味づけをした状態(=意味づけされた内的事柄)です。先ほどの話をCARで捉えると、
認知(C)...何かしらの意図を持つ
行動(A)...何かしらの行動を行う
↓
行動によって内的事柄(出来事)が生まれる
↓
結果(R)...内的事柄に自分なりの意味づけをする
ということになります。
この内的事柄の意味づけ、つまりOAには「主体」「指向」「起因」「範囲」という4つの条件があります。
この内「指向」条件というのが、内的事柄をどのような方向に意味づけるかというもので、その方向というのが「評価」であったり「感情」であったりします。こうした方向に意味づけてしまうと、その結果は次の認知に回収されず、そこで消費されてしまいます。
先の例では、内的事柄に対して「できた/できなかった」という評価が行われており、そこで結果が消費されているOA欠損の状態に陥っています。
これは指向条件が評価という方向を向いてしまう前提があったら起こってしまったとOSTでは捉えます。
ということは、一般的な失敗というのは指向条件の捉え方次第ということになり、それはR介入(REP)にて前提構造を整えることによってクリアします。そうすることで、指向条件の捉え方をアップデートし、失敗という意味づけから別の意味づけに変えることで結果回収し、再び次の認知に持っていくことでCARを回していきます。
■OSTにおける失敗とは
OSTではこの考え方を拡張します。先ほどの認知で「何かしらの意図を持つ」を持ち、それを成し得ることと考えた場合、失敗というのはそれが成し得られない状態と捉えられます。ここまでは先ほどの話と同じです。
しかし、CARでこれを捉えた場合、成し得ることができない状態というのは結果(R)以外でも起こります。
認知(C)...本来、想定している意図が立ち上がらない(C3欠損)
行動(A)...意図に対する行動が前景化してこない(AS欠損)
結果(R)...成し得るための意味づけが行われず、結果が消費されてしまう(OA欠損)
これらが失敗の条件となります。そして、この欠損の状態でもCARは回り続けますが、この場合、同じCARを回り続ける持続型OSになります。そうなると、いつまで経っても成し得たいことは実現されません。この状態を変えるためには欠損の状態を回復し、CARをアップデートしていく更新型OSにする必要があります。
ここから、OSTにおける失敗というのは、
前提構造が揃わずCARが更新されない状態
と定義することができます。そして、この失敗の状態を変えてCARを更新型OSとして回すために介入という考え方があるということですね。
■OSTを活用するためには
OST自体は原理理論なので、物事の善悪、正偽などは扱いません。ただ、それらが立ち上がる状況を構造として定義しているだけです。
しかし、それだと実際の場面での活用ができません。私は理論というのは人の役に立って初めて意味を成すことだと考えています。
そう考えた場合、OSTの役割というのは失敗を人のせいや何かのせいにするのではなく、構造としてそうならざるを得ない状態だと定義することで、根性論やマインド論から解放することだと私は考えています。そのため、OSTには理論本体ではない介入部という概念を置いています。
世の中には数多ある秀逸な理論、考え方があります。しかし、現実問題としてそれらを実践することができなシーンってたくさんあると思うんです。そうした時に、それを自分や誰か、何かのせいにするのではなく、構造として捉えることで失敗そのものの捉え方を変えて行けるんじゃないかなって思ったりしています。
「がんばれ!」ではなく「どういう構造だったか見直してみよう!」みたいに失敗を扱うことができればいいなぁと思っています。