考える力
出張時の機内サービスで「御上先生」を全話見ることができた。良いテーマのドラマだと思う。
最終話、御上先生は「考える力とは、考えても答えのでないことを考え続けることだ」と生徒達に諭す。加えて、それはとてもしんどいことだということも。確かにこのドラマでは、考えても答えのでない質問の前に心を折り道を違えた人たちが多く出てくる。そして生徒たちは、その問題と真摯に向き合うなかで考える力を身に着け成長してゆく。こんな感じかな。
この、答えのでないことに向き合ってゆく、というテーマはは「もののけ姫」にも通じるところがあるようにも感じた。人は森を犠牲にしてまで豊かさを手に入れないといけないのか。この問題の前にサンは森で、アシタカはタタラバで共に生きることを選んだ。
そして面白いことに、御上先生での最終話で神崎は御上先生に対して「何があっても死なない」と宣言し、もののけ姫のキャッチコピーは「生きろ」だ。
こんなにも、答えのない問題と向き合うことはつらい事なのであろうか。
しかし、改めて辺りを見渡して見ると、深刻さの大小はあれど世の中には答えのない問題というのは多く満ち溢れている。どちらかというと、答えの出る問題の方が希少だ。学校では、答えのある問題に対して、どうやって答えに辿りくかを教えられるが、答えのない問題への向き合い方は教えてくれない。実のところ、答えのない世界での生き方を支えてくれたのは、道徳だったり宗教、哲学だったりするのかもしれないが、いまやそれも希薄になりつつある。
自身もビジネスの場に身を置くものとして、生死にかかわる大仰なものではないが、日々、答えのない問題と向き合わなければならない。例えば開発するシステムの事、プロジェクトにアサインするメンバーのこと。お客様との対峙の仕方。
どうしても時間の制約があるので、正しい答えはないのかもしれないが何らかの答えは出さないといけない。そしていつも、その答えは正しかったのか、と永遠と苛まれてしまう。そのため、個人的な対策として自分のバイブルをもっておき、迷ったときや不安、心配になったときは、これらを読み返すことにしている。
先日、トラブル関係で別部署の担当とやりあったことがある。その後、共通の知り合いから(やりあった別部署の担当が自分に)「あいつは、自分のことを正しいと思っている」と愚痴ってたよ、と聞かされた。自分が正しいと思ったことはないが、正しくありたいと思っていることは確かである。部署は違えど同じ組織の身内とやりあうことは面倒くさい。だから本当はおかしいとおもっても、身内だからということで、なあなあにする方が楽だ。あえて身内に敵を作る必要はないし。
でも、それが正しいあり方なのか、という自問が生まれてくる。さんざん悩んだ末に、身内とやりあってしまう。そしてやりあったことが本当に正しかったのか、と苛まれるのだ。
本当に答えの問題と向き合うことはつらい事なのだ。
でもある人が教えてくれた。そのつらさこそが、真摯さのあかしなのだと。