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デザインの中のアートと、アートの中のデザインと

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以前書いた、「ドキュメント作成と記号接地問題」のなかで、アートとデザインの関係でふと思いついたアイディアがあったので、Copilotさんと会話してみた。

Copilotさんは質問のしかたとして、こういう考えはどう?この考え方に矛盾はある?などと聞くと、無理やりにも間違いを見つけて指摘しようとするが、こうである。と投げかけてみると意外と見事な完成形ですね、とほめる傾向があるように感じられる。意外と迎合主義なのかもしれない。

それはさておき。

まずは、アートとデザインの違いを聞いてみたところ「目的」「視点」「制約」の軸で説明してくれた。細かい点は端折っているが。

【目的】
〇アート :目的は創作者の内側にある(自己表現)
〇デザイン:目的がある/問題解決のために存在する

【視点】
〇アート :主観が中心
〇デザイン:客観性が必要

【制約】
〇アート :基本的に自由
〇デザイン:制約の中で最適解を探す

前コラムではアートとデザインの違いは「説明」の必要性の有無としたが、大きくはずれていないと思う。

ここで、ふとアートとは暗黙知でデザインとは形式知なのではないか、と思いついた。そこでアートとデザインをSECIモデルを使って整理するようにCopilotさんに依頼してみる。因みにSECIモデルとは暗黙知と形式知の相互変換を通じて組織的知識創造を説明する理論モデルで、イメージは以下のような感じ。

SECIモデル.png

暗黙知とは経験や勘にもとづく言語化しづらい知識のことで、1の暗黙知は個としての暗黙知。2の暗黙知は、個の暗黙知を共同化のプロセスを経て生まれた組織としての暗黙知。目的が創作者の内側にあり主観が中心のアートは1の暗黙知ではないかと考えたわけだ。対して目的が明確で客観的なデザインは3の形式知に相当するので、説明が必要となる。

ここまでの話ではアートは暗黙知に相当し、デザインは形式知に相当するとだけ言っており、アートとデザインの間に何かしらの関係が存在するわけではない。現に芸術(アート)と設計(デザイン)は別の分野として存在している。しかし一方でSECIモデルでは暗黙知と形式知は相互作用によって知識が創造される。4つの知識変換モード(共同化、表出化、連結化、内面化)による螺旋状の知識創造プロセスと説く。このモデルにはめれば、アートとデザインの間に何らかの関係性が見えてくるのではないか、というのが今回のアイディアだ。

このアイディアをCopilotさんと会話してゆくと芸術(アート)=「意味を生む」。設計(デザイン)=「意味を構造化する」というサジェスチョンをくれた。

加えて、芸術作品は意味を生むが、構造化を求めない。設計は構造化を行うが、芸術的意味を前提としない。しかし、人間が何かを創る時には、「意味」→「構造」という流れが必ず存在する、とも。

よいサジェスチョンではあるが、何だか少し遠い(強引)な感じがしないでもないので、もう一つのアイディアとして「アーキテクチャ」を追加してSECIモデルに当てはめるよう依頼してみる。するとCopilotさんは「その感覚はまさに正しいです」と褒めつつ以下の回答をくれた。

アーキテクチャは「意味(アート)」と「構造化(デザイン)」の橋渡しをする「原理・原則の層」だからアートとデザインの間にアーキテクチャを置くと、知識モデルとして最も整合的になる。

【アート(Art)】
暗黙知:世界観・価値観・美意識・経験
↓ 共同化(共感・経験共有)

【アーキテクチャ(Architecture)】
原理:構造・原則・優先順位・骨格
↓ 表出化(抽象化・概念化)

【デザイン(Design)】
形式知:UI/UX、業務フロー、データ構造、仕様
↓ 連結化(体系化)

最後に「直観は完全正しい」とまで言ってくれながらも、過去に会話したテーマに応用できますよ、しましょうか?と先に進めようとする。とりあえず持ち上げて、さっさと次の話題に進めようとしていないか。

でも、まだ納得がいかない。確かにアート→アーキテクチャ→デザインながれはしっくりするが、アーキテクチャが「原理」となりSECIモデルに乗っていない。もうひとつ、アートは共同化なのか?内面化ではないのか?そこで、Copilotさんに以下のような形で質問してみた。

アート作品をつくるというプロセスが製作者の問いかけ、感性というのであれば共同化より内面化に近いと思われる。アーキテクチャが原理、骨格というのであれば、その構築プロセスは共同化にお思われる。そうなるとデザインは表出化のプロセスになるが、この考え方の矛盾を指摘して。

アート作品やデザインというアウトプットではなく、知識という意味では創作活動や設計活動と言った行為(プロセス)に主眼を置いてみたが、自分自身、まだ整理がついていないので質問がまとまっていない感は否めない。ただ期待するのは「矛盾は特にない」という答えである。しかし、Copilotさんは律儀に矛盾を指摘してくれる。

矛盾の招待:SECIもでるは知識変換プロセスであり、創作プロセスではない。ことなるプロセスを1対1で対応させようとしたときに生じるズレ。

それはそうかもしれない。

アートは製作者の内的作業なので内面化っぽいが、形式知を暗黙知にしているわけではなく暗黙知を深化させている。

アーキテクチャは構造・原理なので共同化っぽいが、共同化は暗黙知の他者との共有であるのに、アーキテクチャは暗黙知の抽象化(表出化の前段階)に近い。

デザインは形式知化なので表出化としてほぼ正しいが、表出化は暗黙知→形式(概念化・言語化)なのに対してデザインは形式知→形式知(構造化・具体化)なので表出化の後半+連結化の前半にまたがるプロセスであり表出化そのものではない。

このあたりはアート、アーキテクチャ、デザインの言葉の定義をきっちりしないと見解の相違がでるのは当たり前だろうが、いまやっていることはモノづくり(創作プロセス)を知識創造プロセス(SEKIモデル)で再構築する、というアイディアの検証なので今の段階で定義をきっちすることは難しい。ただ、概念検証なのでCopilotさんが指摘するような、暗黙知の抽象化(表出化の前段階)や表出を化の後半+連結化の前半などといったアナログ的な位置づけを受け入れても仕方ない。

そこで、デザインを元に作られる製品という概念を追加して、アート、アーキテクチャ、デザイン、製品をアート作品を作成するプロセス、アーキテクチャを構築するプロセス、デザインを考えるプロセス、製品をつくるプロセスとプロセスに着目して以下の様に整理してみた。

アート(作品を作成するプロセス)は外部の形式知(製品)を見て触ってどう考えるかだから内面化。これはどのような製品を作りたいかという漠然とした個人のイメージなので、これを組織に内で共有しながら原理や構造を構築する。これがアーキテクチャ(構築するプロセス)なので共同化。このアーキテクチャをもとに具体的な製品イメージを作っていくデザイン(実現のための問題を解決するプロセス)は表出化。このデザインをもとにスキルやノウハウを道具を使って製品を作りこむプロセスは連結化。そしてその製品を使って...モノづくり(創作プロセス)のスパイラルアップを行う。

この段階では自分の中では整理ができたので、Copilotさんには言い切りで投げかけた。するとCopilotさんは見事な知識モデルになっています。矛盾のない完成形、と褒めてくれたという次第だ。

今回のCopilotさんとの会話を見る限り、やはりAIはアイディアへの評価は行ってくれるが、新しいアイディアは生み出してはくれないのだな、というのが感想。そして、意外と質問者へ阿る会話をしているのだなあ、ということも。人同士では、主張や考えの違いを喧々諤々議論することができ、そのなかで新しい発想を見つけることがある。しかしAIとの会話はそれができない。これは想像に過ぎないが、昔、悪意ある人がAIを洗脳し、AIが誹謗中傷や差別発言を繰り返すことが問題になった事がある。その対策として最近のAIは何らかのリミッターが組み込まれているのではないだろうか。それが「阿った会話」と感じる原因なのかもしれない。

そんなことを感じたやり取りだった。

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