第437回 「選択理論」に対するアンサーコラム
こんにちは、キャリアコンサルタント高橋です。
ちゃとらんさんの「096.『自分にしかできないこと』に価値はない」を読ませていただきました。その中に「選択理論」という言葉が出てくるのですが、そこに私このコラムで良く出てくる「自分の天気を持つ」を使って興味深い考察をなさっておられました。
なるほどなぁと思いコメントをさせてもらおうと思ったのですが、私もコラムニストの端くれなのでここはコラムで返信させてもらおうと思いました。そこで今回はちゃとらんさんの「選択理論」に対するアンサーコラムを書いてみます。
■ちゃとらんさんの「選択理論」を紐解く
ちゃとらんさんは「自分にしかできないこと」に対して価値はないという考えをいくつかの視点で語られていますが、その中にこのようなくだりがあります。
つまり、その環境で認められていない、合わないと思うなら自分を変えるより転職を考える必要があります。自分が頑張って周りの環境を変えるのは無理と考えるべきです。このことは、キャリコン高橋さんの『第434回 自己満足の世界』で述べられている「自分の天気を持つ」という話に通じると思います。私は「選択理論」と呼んでいます。
逆に自分にとって居心地の良い環境だったとしても、勝手に変わっていくことがあります。環境は変えられませんが、変わっていくものでもあります。先に転職を薦めるような事を書きましたが、合わないと思っていた環境が合ってくることもあり得ます。環境に合わせて自分を変え続けるのでも、環境に左右されない自分を持つことでも、どちらでも選択するのは自分の自由です。
まさにこのくだりは「自分の天気を持つ」という考え方です。結局のところ、環境そのものには意思もなければ善悪もありません。それを私たちが見たいように見るからそれが心地よい環境にもなれば居心地の悪い景色にもなります。その景色を見て私たちがどう解釈したかでその景色の色が決まります。その結果、その景色を見て転職をしようと思ったり、自分を変え続けようなどという結果を生み出すのです。そして何より、その行動を選ぶのは他の誰でもない私たち自身なんです。
■なぜ、自分の天気を持つ必要があるのか
自分の天気を持つという考え方の根本にあるのは「自責」です。環境が悪い、周囲が悪い、状況が悪いなど、何かに原因を押し付けてしまうような他責の考え方というのは一見すると正しいモノの見方のように思えます。
しかし、物事を他責で考えてしまうとどうなるか? 自分を変えることが難しくなるのです。他責だと環境、周囲、状況などが良ければうまくいくこともあるでしょうけど、そうでなければうまくいきません。それって、もはや運でしかないような気がするのです。。。
そもそもキャリアは自責の上に成り立ちます。会社が決めたルールだから、上司に言われたから、キャリコンにアドバイスされたから...、他責で物事を考える人はいつまで経っても自分の思い描くキャリアは作れません。それは、他責で考えると先ほどお話したように運の要素が絡むからです。しかし、もし他責を自責と置き換えることができるならば、自分の行動一つで結果を変えることができるようになります。他責ではなく自責で物事を考えられるからこそキャリアが描けるのです。そのためには自分の天気を持つ必要があると私は考えます。私が自分の天気を持つことにこだわるのは、自分のキャリアを作るために必要な自責の考え方で物事を捉えることができると考えているからだと思います。
そういえば、この自分の天気を持つという考え方について、今年に入ってこんなコラムを書いていました。
実はすっかりこのコラムのことを忘れてたのですが、このコラムで引用しているヴィクトール・フランクルやナースの話は自分の天気を持つ考え方として有名な話ですのでご存じの方も多いかもしれませんが、もし興味のある方はご一読ください。
■自責であること
ちゃとらんさんのコラムに話を戻すと、ちゃとらんさんは「自分にしかできないこと」に価値はないという結論を出されています。それはちゃとらんさんが見た景色、天気だと推測します。だからこそ、それは一つの真実を示していると私は思います。
私は「自分にしかできないこと」にそもそも価値の有無はないと思っています。そこに価値の有無を見出そうとしているのは私たち自身です。自分にしかできないことに価値があると思えばそのような景色になりますし、価値がないと思えばそのような景色になります。それがその人の見たい景色です。
大切なことはその景色を見てどうしたいのか? 価値があるからどうなのか? 価値がないからどうなのか? そこではないでしょうか。
『自分にしかできないこと』に価値はない
一見すると挑戦的な題名のように見えます。しかし、価値がないからどうなのか? その先がちゃんと論じられているのです。そして、その根底にあるのはやはり自責です。自分事として捉え、価値がないからこそどうなのか? その先が述べられているのです。そこがこのコラムの秀逸な点だと私は思います。
私には、この姿勢こそがちゃとらんさんの見ておられる景色であり天気なのではないかと、強く感じました。
コメント
ちゃとらん
いつも楽しく拝読させていただいています。
私のコラムを取り上げていただき、ありがとうございます。
「自分の天気を持つ」は、素晴らしいと思っています。「選択理論」と言っていますが、今ある状況は自分の判断(選択)の結果であり、自責の考え方ですが、「自分の天気を持つ」は今の状況の見方を変える(見方は自分で選べる…あえて選ぶ)と理解していますので、少し方向が異なってはいるのですが、両方を合わせると、たとえ自分の選択が結果として間違っていたとしても、「ま、いいか」と次にどうなすべきかが見えてくるので、両輪と考えています。
この辺のお話、自分のコラムでも取り上げたいと思っていますが、ちょっと予約ネタがいくつかあるので、また気が向いたら書かせていただきたいと思います。
# 長いな…コメント…すみません。
キャリアコンサルタント高橋
ちゃとらんさん、
コメントありがとうございます!
ちゃとらんさんのお言葉からすると「選択理論」結果から物事を捉えた考え方であり、「自分の天気を持つ」は事象から物事を捉えた考え方かのかもしれませんね。
私も常々「今ある自分の置かれている状況は自分の選択の結果である」と考えていますが、そうするためには自分が選択していることを自覚する必要があり、それが「自分の天気を持つ」という所に繋がっていく。そして、納得できない結果だったとしても「まっ、いっか」でその事象を受け入れ、次に繋いでいく。。。確かにおっしゃる通りだと思いました。
ちゃとらんさんのお話も楽しみにしていますね!