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第405回 普段から見えている風景を変えるためには

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 こんにちは、キャリアコンサルタント高橋です。

 先日、7つの習慣のワークセッションのオブザーブをさせていただきました。一応、私はFCJ社(フランクリン・コヴィー・ジャパン社)認定ファシリテーターの資格は持っているのですが、今回は別の方のワークセッションをオブザーブさせていただきました。私も既に何度も7つの習慣のワークセッションをさせてもらっておりますので、ある程度自分なりのストーリーを持っています。しかし、こうやって他の人のワークセッションを拝見させていただくと、とてもたくさんの気づきがあります。その中でも第1の習慣「主体的である」でとても大きな気づきがありました。そこで今回はこのことについて書こうと思います。

■自分の天気を持つ

 第1の習慣「主体的である」というのは、私たちは感情的にならず、主体的に行動することを勧めている習慣です。7つの習慣では「主体的」の反対を「反応的」と呼んでいます。反応的とは何かの刺激に対して、その人の状況や感情の赴くままに対応(反応)してしまうことを言います。これによって私たちは本来の思考ができなくなり、ネガティブな自己実現になってしまうと言われています。

 しかし、私たち人間は何かしらの刺激に対して反応せず、刺激と反応の間にスペースを空けることができるとも言われています。要するに、何か刺激となる出来事が私たちに起こったとしても、そこで一度踏み止まってどのように行動すべきかを選択することができるということです。

 これを7つの習慣では「自分の天気を持つ」という比喩で表現されています。天気というのは晴れもあれば雨もあり、曇りもあれば嵐もあります。これは私たちの感情を意味しています。私たちの感情は天気のようにコロコロと変わりますが、私たちは先ほどの刺激と反応の間にスペースを空けることで自分の感情をコントロールする、つまり、自分の天気を持つことができるというのです。

 このことは過去のコラムにも書いており、私の好きな言葉でもあるのですが、7つの習慣にはこのような言葉が書かれています。

他人の行動が私達を傷付けるのではない。それに対してどう反応するかが私達を傷付けるのである。

 この言葉は心理学者ヴィクトール・フランクルが「夜と霧」という著書の中で語られた有名な言葉です。フランクルはユダヤ系オーストリア人で第二次世界大戦時、ナチスによってアウシュビッツ収容所に収監され、そこで人間の尊厳を貶められるような体験をされたそうです。そのような中でフランクルは生き残る人と亡くなられる人との違いが何かを考えたのだそうです。それは、肉体的な要素ではなく、精神的な要素に影響されているという仮説を立てられました。つまり、体力的に有利にある人が生き残るのではなく、生きようと考える人が生き残るのだと考えられました。

 そこから、フランクルは、私たちの身の回りに起こる出来事が私たちを傷つけるのではなく、その出来ごとに対して私たちがどう考えるかが私たちを傷つけると考えたのです。

 例えば、誰にあることを言われ、腹を立てたとしましょう。

 あることを言われ、腹を立てるのは誰でしょうか? 「私たち」ですよね。

 あることを言われ、腹を立てようと決めたのは誰でしょうか? 「私たち」ですよね。

 それじゃ、あることを言われ、腹を立てないように決められるのは誰でしょうか? 「私たち」ですよね。

 ここで重要なことは、「あること」には善も悪もありません。それはただの出来事です。その出来事をどう捉えるかが私たちの感情を決めているのです。腹を立てるように決めたのであれば腹も立ちますが、腹を立たないように決めたのであれば腹も立ちません。

 腹を立たないようにするには...刺激と反応の間にスペースを空ける事、つまり自分の天気を持つということなのです。

■あるナースの話

 第1の習慣ではあるナースの話が出てきます。

このナースは毎日文句ばかり言う患者の面倒を見ており、自分が惨めだと感じています。そんな日々が続くことで、その患者に死んで欲しいとさえ思ったのだそうです。しかし、コヴィー博士の講義を聴き、自分は不幸になる事を自ら選んでいた事実に気づき、愕然としたのだそうです。その後、ナースは自分の天気を持つようになりました。そうして、この患者と一緒に散歩をするようになります。そこで、このナースは花束をこの患者に渡します。しかし、患者はこの花束をナースに投げ返します。それを拾ったナースはその花を愛おしく抱きしめます。

 私はこの話を聴いて、最後の花束を投げ返された時のナースの心情になってみました。そうしたら、私には花束を投げ返したのではなく、この患者なりに花束を贈ってくれたと解釈しようと思いました。だから、その感情を理解したナースは愛おしく花束を抱きしめたのだと思い、それをいつもワークセッションでは伝えていました。

 しかし、冒頭のファシリテーターのワークセッションでは違った解釈をされていました。それは、投げ返された花束を見て、そのナースは「私もまだまだだな。でも、いつかこの人の気持ちを変えてみせる」と思ったのではないかとおっしゃられていたのです。

 それを聴いて、なるほど!と膝を打つ感覚を覚えました。それは私にはない別の天気があることに気づいた瞬間でもありました。

■普段から見えている風景を変えるためには

 それは同時に、私にはまだまだ自分の天気を作ることができるのだということでした。つまり、今ある自分というのがすべてではないということが分かりました。私は普段から捉えている風景よりもっと素晴らしい風景が近くにあるのに気づけていないのかもしれません。だから、もし自分の枠を外すことでその風景を見ることができるとするならば、私はその風景を見てみたいと思います。

 だってその方が人生楽しそうですしね♪

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