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第406回 傾聴がうまく行かないとき

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 こんにちは、キャリアコンサルタント高橋です。

 最近は傾聴という言葉も良く聴かれるようになりました。上司が部下に対して傾聴をするといったシーンは一昔前までは考えにくかったと思いますが、最近はごく当たり前のように行われていることも増えてきたと思います。傾聴は相手の話をしっかり聴くことですが、これが成り立ちづらいケースがあります。それは家族です。実は傾聴だけでなくコーチングなどのコミュニケーションも家族に対してはなかなか成立しづらかったりするのですが、ここ最近、少し考え方が変わってきました。そこで、今回は傾聴がうまく行かないケースについて考えてみました。

■傾聴がうまく行かないのはどういった状況か?

 傾聴は相手に共感し、相手の気持ちや想い、心情などを受け止める技法です。そのため、ベースにあるのはあくまで「相手」です。相手のために話を聴き、相手のために話を掘り下げ、相手のために共感する。すべて、相手ありきで話が進みます。これはキャリコンにおける基礎中の基礎です。たまに私は傾聴の実演をさせていただくことがあるのですが、終わった後に良くこんな感想ををいただきます。

「これだけ人の話を聴けるを人生困らなそうですね」

 ...いやいや、全然そんなことないです(汗) これが成立しているのは、あくまでキャリコンだからです。日常生活だとなかなか傾聴ってできません。例えば、過去に子どもとの会話でこんな話がありました。

私「あれ? 今日宿題やった? 」
子ども「ううん、これからやる」
私「そうなんだ。忘れないようにしなよ」
子ども「わかったー」

(数時間後)

私「そういや、宿題どうなったん? 」
子ども「あー、やってないわ」
私「えっ? 時間大丈夫なん? 」
子ども「うーん、わからん」
私「わからんて...、どーするん? 」
子ども「まぁ、学校行ってからやるわ」

 こんな感じで受け答えされたら、親としたらイラッとしますよね(笑) すかさず「お前なぁ...」ってなりそうです、いや、なります。また、こんな会話もありました。

子ども「ねぇねぇ、お父さん、これ教えて(宿題を持ってくる)」
私「あぁ、算数やね。これはこうやって、こうしたらこうなるから、これでいいんじゃないかな」
子ども「ふーん、わかったー」
私「(恐らく理解できていない風だったので)今の問題、理解できた? もう少し詳しく説明しよか?」
子ども「いらん」

 こうなると、「お前分かってないのにわかったフリしたやろ! 」となりそうです、いや、なります。

 このように、身内に対して話をすると、どうしても立場が邪魔をして、まともに傾聴ができなかったりします。。。

■自叙伝的反応

 実は最近、このことに対する私なりの答えが見つかりました。それは自叙伝的反応です。これは7つの習慣の第5の習慣「まず理解に徹し、そして理解される」で出てくる言葉なのですが、人の話を聴くとき、つまり傾聴をする時に邪魔になる聴き方のことを言います。

 自叙伝的反応とは自分の経験や価値観というフィルターを通した反応のことで、自分の経験や価値観を「自叙伝」という言葉で表現しています。具体的には「助言する」「探る」「解釈する」「評価する」ことを言います。

 当然のことですが自叙伝的反応は7つの習慣の中にある言葉なので、昔から知っていました。しかし、私自身これを少し軽視していた所がありました。

 というのも、私はキャリコンをやっているので毎日のように傾聴をしていますし、傾聴のトレーニングなどもさせてもらっています。そのため、7つの習慣の第5の習慣で言わんとすることを少し軽んじているようなフシがありました。

 何というのでしょうか、第5の習慣で言わんとすることよりも私がやっているキャリコンの傾聴技法の方がシックリくる、そんな感じでしょうか。勿論、7つの習慣のワークセッションでは当然7つの習慣に合わせたワークセッションを行うのですが、この第5の習慣の所だけはどうしても私の中に違和感を持ちながら行っているような所がありました。

 しかし、ある時、子どもとの会話がうまくいなかったことがありました。

子ども「お父さん、昨日学校でね、友達と言い合いになったんよ」
私「へぇ、友達って〇〇ちゃん? 」
子ども「そう」
私「あー、最近、ちょっと付き合いがうまく行ってないって言ってたから、それでじゃないの? 」
子ども「うん、そう。でね...」
私「まぁ、お前は正義感が強いから、何かがあって黙ってられなかったんじゃない?」
子ども「まぁ、そうだんだけど...」
私「人間関係って難しいから、自分が正しいと思っているだけだとうまく行かないこともあるからね。〇〇ちゃんの話は聞いてあげたの? 」
子ども「うん、聴いてあげたよ...」
私「それじゃ、聴き方をもう少し工夫すれば、もっとわかってくれたのかもしれんね」
子ども「ちゃんと聴いてたのに...」
私「それはきっとそうなんだろうけど、〇〇ちゃんからすれば、もうちょっと聴いて欲しかったのかもしれんね」
子ども「そんなの、お父さんには分からないでしょ! もういい! 」

 大体このような会話だったと思います。決して悪意はなく、子どもの役に立つ言葉を返そうと思ったつもりでしたが、ほぼ全部自叙伝的反応を地でやってました。この時はちょっと罪悪感がありました。悪いことをしてしまったなぁ...と。そのとき、急に自分が自叙伝的反応で会話をしていたことに気づいたのです。こんな聴き方をしてりゃ、そりゃ子どもが嫌になってもおかしくないと思います。

■普段の生活に傾聴を

 その後、家族との会話では、

「おっと、今助言しそうになった...」
「あぁ、評価しようとしてるなぁ...」

のようになるべく自叙伝的反応を出さないように努力をしています。その結果、家族内で会話で揉めることが少なくなってきたように感じます。傾聴については色々と学び実践してきたつもりですが、本来はそんなモノを知らなくても、普段の生活の中で自叙伝的反応を控えるだけでも十分傾聴が成立することが良くわかりました

 もし、私のように仕事ではうまくコミュニケーションが取れている(と思っている)けれど、家族内では何だかコミュニケーションがうまくできていない、そんな方がおられましたら、ぜひ一度自叙伝的反応(「助言する」「探る」「解釈する」「評価する」)を心に留めて、これらを使わないように心がけてみてください。きっと、それだけでもコミュニケーションが変わってくると思います。よかったら、ぜひ試してみてくださいね!

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