生き様182. 大事な事は大体ゲームから教わった~その拾陸:ゲームをするとバカになる?~
「日常」が戻ってきている感
白栁の趣味の1つに、ライブ参加があります。
元々は、ちょっとしたご縁があった方がバンドでライブ活動をしていたところから。
そのバンドは解散してしまいましたが、その後もたまにライブ会場に足を運んでいます。
小さなライブハウスが中心です。
COVID-19の流行を受けて、ライブ自体が行われなくなりました。
時間が経ち、徐々にライブも開催されるようになってきています。
ですが、仕事の関係から状況を見ながらの参加としています。
万が一があった時に、在宅で仕事ができる状況のときだけ、と。
ライブハウスの様子も、大分変わってきました。
感染症対策のマスク着用・検温・消毒・換気は変わらず行われています。
ですが「マスクをしていれば発声可能」とするイベントもでてきました。
「ドリンク飲むとき等、一時的にマスク外している時は声を出さないでね」と。
これらから、ひとつの「日常」が変わってきている事を感じます。
それをある人は「日常が戻っている」と表現するでしょう。
白栁の感覚では、状況に応じて変わる「日常」が、また新しい姿になったのだ。
そう感じています。
アメリカでは、変異種の「XBB.1.5」が猛威を振るっているそうです。
WHOからは、高リスクの地域ではマスクの着用を推奨するという発表もでています。
それもまた「日常」の変化なのだと考えています。
ところでここ、まだ前説のつもりです。
既に短いコラム1本分の量がある気がします。
ええ、大体いつものことです。
忘れてたネタ
本コラムの大事なコンテンツのひとつに「ゲームから学ぶ」があります。
ゲーム大好きな白栁が、ゲームは楽しいだけじゃない、勉強になる!と主張するコンテンツです。
ですが特に決まった周期はありません。
10回の枠の中に1回入れるように意識して書いていました。
ですが、170~180の間に入れるのをすっかり忘れていたのです。
忘れていたのはしょうがない。
後々帳尻を合わせることにして、今回はゲームのお話をしましょう。
ゲーム依存の話
世のおとーさま、おかーさまのお話によると「ゲームをするとバカになる」らしいです。
つまり、ゲームを開発している会社は、大反社会的組織ということです。
任天堂も、SONYも、Microsoftも。あとSEGAも。
白栁もゲーム開発に携わっていた時期がありますから、反射認定されるかもしれません。
怖いですね。明日から街を歩けないので、家に籠もってゲームをすることにします。
過激で刺激的なジョークはここまでにしましょう。
真面目な話、ゲームに依存性があるのは事実です。
ちょっとネットで探せば、そういう学術記事が出てきます。
インターネットやゲームへの依存症は、最先端の社会問題です。
しかしながら、「娯楽」と呼ばれるものには少なからず依存性があります。
それは、本でもテレビでも映画でも芝居でも一緒です。
娯楽は時に人を癒やし時間を忘れさせます。
その一方で現実からの逃避先として人々を捕らえます。
それは、ゲームに限ったことではありません。
今、ネットやゲームが社会問題化しているのは、それが最先端であるからです。
最先端が故に、多くの人が娯楽として触れている。
最先端が故に、適切な距離のとり方のノウハウが溜まっていない。
専門家ではありませんが、一人の技術者として、そういうことだと感じています。
その昔、高橋名人が言いました。
「ゲームは1日1時間」
「ゲーム以外のことにも時間を使って、上手く付き合おう」ということでしょう。
ゲームが現実を支える
ゲームをずーっとやっていると親に怒られます。
ですが、囲碁や将棋をずーっとやっていると褒められます。
何故でしょう?
プロがあるからでしょうか。
将棋の藤井聡太五冠は、将棋の研究にPCを利用していることで有名です。
最近の将棋ソフトは深層学習を利用したAI技術が搭載されているものがあります。
テレビ解説でも、AIによる優位判定が指標として出るようになっています。
先日、カーレースNASCARの第35戦で、ロス・チャスティンの走法が話題になりました。
それは「ゲームばりの壁激突走行」です。
様々な状況が重なったからできたプレイですが、その中にはレースゲームでの経験もあったそうです。
最近ではプロのドライバーが、ゲームをシュミレーターとして利用する事例もあります。
その事例の一旦として、「ゲーマー→プロレーサー」への転身を追った記事もありました。
シュミレーターや、無人機械のコントロールにゲームの技術は応用されています。
高校生ロボコンでは、プレイステーションシリーズのコントローラーをよく見かけます。
使い慣れているというのもあるのでしょうが、よく出来たデバイスなのでしょう。
「ゲームだから」と閉じた世界では、既に無いのです。
それは、技術的には現実世界と地続きであり、様々な分野でゲームの技術が研究・応用され、社会を支える技術へと変わっています。
新しいコンテンツが出るたびに言われたこと
とはいえ、ゲームは所詮ゲームです。娯楽です。
「たまに、その世界から飛び出して凄いことをする人がいる」
そのぐらいが丁度よいのだと思います。
誰だってバットを振れば鈴木一朗になれるわけではないように。
少しだけ歴史を追いかけてみましょう。
実は「ゲームをするとバカになる」的な構文は繰り返し出てきています。
古くは「最近の若者は漢文を読まないからバカになるだろう」的な事を言われ。
時代が下がって「新聞や文学を読まないから~」
「ラジオばかり聴いて~」
「漫画ばかり見て~」
「テレビばかり見て~」
「お笑いばかり見て~」
と対象となるコンテンツを変えながら言われてます。
それが、1980年頃から「ゲームばかり~」となっているだけです。
今やその「ゲームばかりしていた」世代が、世の中核となっています。
さて、バカばかりになったのでしょうか?
むしろ、ゲームや仮想現実をバカにして距離を置いてきた人達の方が、現代的な情報社会馴染めていない。
白栁はそういう印象を持っています。
特に、SNSなどを使った、個人単位での情報発信に顕著でしょう。
古い世代が、若い世代にウケているメディアを理解できないのはあるでしょう。
そうして自分に理解できないものを蔑んで優越感に浸っているのは健全ではありません。
ただの「あのぶどうはすっぱいぶどう」と唱えているキツネです。
白栁は、TikTokもInstagramもわかりません。
LINEだって、まともに使っていません。
それらに特についていこうとも思ってはいませんが、バカにもしていません。
「今の自分に必要がないもの」という割り切りです。
そういう棲み分けこそが現代に求められる「多様性」の姿なのではないか?
そう白栁は考え、実践しています。
以上!
コメント
匿名
「~ばかり」があまりよろしくないように思えるのでしょうね。