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生き様011. 僕が就職して退職する話 ~キャリアの軌跡「新社会人編」~

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振り返ることの大切さ

自分の過去を振り返る、というのは案外恥ずかしいモノです。
特に、若い頃、色々と無茶をやらかした頃の記憶というのは…
それでも、振り返るから見えてくるものもあります。
何故ならば、現在の自分は、過去の自分の上に成り立っているのですから!

今回は、色々やらかしまくった、高卒直後~20代前半頃の出来事を振り返ります。


前回のあらすじ

中学はほぼ独学だったプログラミングを
高校で体系的に勉強し直した白柳。

ゲームプログラマーを目指していた少年は、
クラスメイトのスゴイ奴らに圧倒され「自分は彼らの様にはなれない」と線を引く

高校2年の冬。
進学か就職か?
その二択に気楽に答えた。
「俺、地元で就職するわ」


就職しました

就職はあっさりしたものでした。

7月に公開された求人票から選んで、夏休みに会社見学に行く
→ 「会社見学ですから、面談というか、雑談しましょう」
→ 応募
→ IBMのプログラマ適性検査を受ける
→ 「会社見学に来てお話してますから、面談というより雑談しましょう」
→ 採用通知

その前後に
「過去分の求人票を閲覧して2社に希望を絞るが、その年は1社からしか求人が来ない」
「会社見学に行った翌日『アイツは採らない』という前代未聞の連絡が学校に入る」
「慌ててもう1社に求人を出して貰えないか、進路指導室からお願いして貰う」
「採用通知の連絡が当初の予定より遅れる」

なんて事件があった気がしますが、それは忘れましょう。

とりあえず、地元の20人程度のソフトハウスで「IT関係なんでも屋」みたいな感じのキャリアがスタートしました。


オブジェクト指向とSQL。大体分かった!(当時)

実際に仕事をする上では2つの技術を習得する必要がありました。

  • オブジェクト指向
  • SQL(RDB)

高校時代は「C言語で十分。C++?なんか良く分からん!」と言っていた僕が、仕事で初めて触れたのが「Visual Basic」でした。
現在の「Visual Studio」に繋がる当時のMicrosofWindows環境の一般向け開発環境です。

当時のVisualBasicは「オブジェクト指向っぽい書き方でも、手続き型でも書けるお手軽GUIアプリ開発ツール」という感じです。※1
当時から、GUI部分の操作はほぼオブジェクト指向でした。

ボタンやテキストボックスを操作する中で、オブジェクトの振る舞いを理解しました。※2

そして、SQL(RDBMS)については、もうやっている内に理解できた、としか言えません。
リレーショナルの部分も、僕自身の考え方と相性が良かったのでしょう。※3

ただし、この2つの理解をするのに共通していたものがあります。
構造体です。

過去に学んだ知識を基に、新しものを理解していく、この手法は今も使います。
特に「相手に説明する」場面で役に立っています。

プログラムを考える事の基礎は、学生時代に出来た、と自負しています。
ですが、システムを考える事の基礎は、この時期に出来たんだと、考えています。


初めてのSES

「IT関係何でも屋」みたいな仕事から、一転して風向きが変わる仕事が来ました。
「別のシステム開発会社へ出向いて、大規模システム開発のメンバーとして働く」事です。 所謂、SESです。

この時期から暫くは、SES案件対応要員みたいな感じで、色々な現場に入って開発メンバーとして過ごす事になります。
「地方から初めて東京へ出て、職場とマンスリーマンションの往復、という暮らしをする」
「単価が安いので、現場を抜けるために別のSESへアサインする」
「持ち帰りのハズが通いになり、やがて常駐になってホテル暮らし」

色々と面白い体験をしました。
当時は、炎上案件から炎上案件への『渡り』みたいな事になっていましたね。
労働環境はハードでしたが、残業代もしっかり出たので、使う暇のないお金は結構貯まりました。

SESは悪いところだけでは有りません。※新規開発に限る!

  • 現場によって導入されている技術が違うので、様々な技術や手法を学べる
  • 大きい所が旗を振ってるので、大体最新技術が学べる

当時はまだ業務系での導入事例が少なかったJavaに触れたり、DBのパフォーマンスチューニングの知識を得ることが出来たのは、SESなお仕事のお陰です。
ただ、これは偶然「新規開発の案件」に連続して入ることが出来たから、だと感じます。
でも炎上してたけどね!


「俺しかこの仕事は知らない!」と抱え込み自爆

幾つかの炎上案件を転々とした後、ちょっと大きめの仕事を1人で任される事になりました。

詳細はちょっと話せないのですが、

  1. 余り使われることがない言語で
  2. 特定業界向けパッケージの導入プロジェクトで
  3. サブシステムの1つを担当し
  4. 客先独自のカスタマイズを入れつつ
  5. 旧システムからのデータ移行を含め
  6. 受託開発で行う
  7. 担当は僕1人

今聞いても、不安しかない条件ですね。
一応、マネージャーは別に居ましたが、客先との折衝も僕1人でやっていました。

法律関係バリバリのシステムなので、持ち帰った社内に業務に明るい人はいません。
受注元からのサポートは受けられましたが、電話やメールでの対応は、今ひとつ痒い所に手が届きませんでした。

という状態で、当時の僕は最悪の手段を取ります。

全てを1人で抱え込んで炎上させました。

正確には、まだ納期割れしてなかったので炎上しては居ません。
スケジュール的に絶対達成できない上に、品質のクォリティも低い状態でしたが…
要件定義だけは、しっかり出来ていたのですけどね…自分の保身の為に付け添えますが…

この時、自社の2人の上司から言われた言葉は、今でも忘れられません。

  • なんで炎上案件を沢山見てきたのに、炎上しないプロジェクトマネジメントができないのか?
  • 1人で抱え込まずに相談しろ。分からなくても、分かる人は知ってる。手伝うことはできる。
  • キミが勝手な判断をすることで、客先は多くの信用を失う。
    それは億単位の損失になり、何人かの人が職を失い、家族を養えなくなる

この後、僕はプロジェクトから外れました。
社内のエースクラスのメンバーが引き継ぎ、
なんとかやり繰りした人手を掛け、無事期日内に納品できたそうです。


営業サポートの仕事

前のプロジェクトを外れた後。
社内に1人だけ居た営業の人から「サポートしてくれるエンジニアが欲しい」ということで、
地元の中小企業の業務サポートや、OA納品の仕事に入りました。

そこで見たのは、余りシステムが上手く使われてない事実。
そこで気付いたのは、僕がユーザーの業務を、世間の仕組みを知らない事実。

主に工場とは言っても、木材加工から自動車の部品や電子部品まで多岐に渡りました。
使われる環境ごとに、システムが求められる役割は違っていて、
でも使う人はコンピューターがどう役立つのか理解できていなくて、 そして僕自信はどう役立てたいのかが理解できていない。

そういう事を強く感じたのです。

ですから、その時の僕はこう考えたのです。
「自分自身が、システムを使う側になれば、この状況を変えられるかも」

それは、システム開発から逃げるように…
こうして、高卒後6年勤めた会社を辞めました。


そして東京?へ

関東へ来たのは「ちょっと遊んでみようと思った」レベルです。
地方民の憧れだったんですよ、大都会!東京!!

でも何故か、僕が拠点にしたのは茨城でした。
しかも、当時てきたばかりのTX沿線ではなく…高速バスを使わないと東京には行けない場所! 何故だ!?

最初は2ヶ月ぐらいの小旅行のつもりでしたが、偶然にも個人経営の店のお手伝いとして仕事を得ます。

仕事、というには報酬が無く…
手伝い、というには責任者の肩書が付き…
今考えると、なんだったのでしょうね?
僕自身が仕事を舐めていた、というのは確かでしょう。
ですが、その経営者も大分舐めてたと感じます。

3ヶ月程働き、ちょっとだけあった貯金と退職金も底をつき掛けた時、その場所を離れる決心をします。
ただし「俺が儲かってないのに、お前に払う金はない!」と言い張った経営者がムカついたので、
労働審判を起こしました。
弁護士なし、全て自力での民事訴訟です。

相手に1円でも出させる事が目的でしたので、小銭を貰えたぐらいで終わりました。
今考えれば「和解せずに、判決を出して貰った方が相手のダメージがデカかった」のですが…

この経験から、労働審判で大切な2つのことを学びました。

  • 弁護士に依頼しよう
  • 公的権力は税金を多く払っている人の味方

またこの時、労働基準法を独学で調べた事で、社会保険労務士に関して興味を持ちます。
と同時に、自分に受験資格がないことも知ります。短い夢でした…


「俺は、コンピュータシステムを作る人間なんだ!」

労働審判も時間が掛かりますので、その間何をしていたか、というお話をしましょう。

コンビニでバイトしてました。
あと、日雇いの仕事してました。

当時は日雇労働派遣に現在の様な制限がありませんでしたからね。
小遣い稼ぎには結構良かったです。
それ以上に、色々な仕事を肌で感じる事で、見聞が広がりました。

そうして、新しい生活の基盤が出来始めた頃に、職場の人から「職安行ってみれば?」と言われます。
ええ、実は当時のワタシ、まだ失業手当の受給期間中だったのです!

地元を離れる前に、失業給付の説明を受けていていました。
なので、ちょっと面倒くさい手続きをして、茨城で職業訓練を受けることにしました。

この時選んだのが「医療事務」です。
本当は「一般事務(簿記)」を希望してたのですが、受給期間内に講座が無く…
「どーせ、事務だから一緒でしょ?」みたいな安易な気持ちで受講しました。 当時の自分、本当に…(遠い目)

失業保険の給付を受けながらも、
職業訓練を受け、
並行してコンビニのバイトに入りつつ、
たまに日雇いのバイトを入れ、
東京へ遊びに行く!*
今考えると、どこにそんなエネルギーがあったんだ?という忙しさで動いていました。
アレが若さ、というのでしょうね。

医療事務の講座の終盤では、コンピューターを利用した業務の演習がありました。
かなり簡素な作りで、入力項目が幾つか並んでいるだけの画面の集まり、というシステムです。
初見で「こんな使いにくいシステム…自分だったらもっとわかりやすくするのに!」と同期に言ったことを覚えています。

でも、これが思い違いであることにある日気付きます。
そのシステムは「業務を知っている人が、迅速に業務を行う為のシステム」だったのです。
だから、余分なヘルプやGUIは要らないんだ、と納得すると同時に、ある事に気付きます。

自分は、システムを使う側ではない。 自分は、システムを作る側の人間なのだ。

医療事務の仕事が、思ったより稼げなかった、という理由もあります。
それよりも、この自覚を持ったことにより、この時の自分のキャリアの方向性が定まった感じがありました。

医療事務の職業訓練が修了した後、僕は東京のSIerの入社試験を受け、働き始めることになりました。



※1:その名残はOfficeVBAに見ることができます。

※2:ただし、クラスの振る舞いについて理解するのは、ずーっと先のことになります。
当時の自分の辞書に、名前空間は影も形もありませんでしたが…。

※3:元々連想ゲームが得意です。
情報の関連性に注目する思考パターンは、そういう性質からなのでしょうかね?

Comment(2)

コメント

user-key.

社会保険労務士には情報処理技術者や気象予報士や電験等、受験資格が必要無い試験をクリアすることで受験可能のため、極論では受験資格を持った(未成年で登録は出来ないですが…)小学生がいるはずです。ですので今からでも遅くはないかと。

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