ニュー・ノーマルは二元論ではない。これから考えてゆかなければならないものだと思う
前回のコラム、「GOODなリーダーは団結を生み、BADなリーダは分断を生む。
そして世界は分裂している」を書いているなかで、ちょっとおもしろいやりとり
を見つけました。豊田社長のスピーチ後、質疑応答のやりとりです。
決算説明会QAセッション 「8.現地現物の定義をはっきりさせないといけない」
コロナ禍で疎な関係のニューノーマルや新しい生活様式が求められているなかトヨ
タが掲げる現地現物主義はどうなるのか、というちょっと意地悪な質問です。さす
がの豊田社長も、定義をし直さなければならない、と、逃げた感じかな。
昨今、ニュー・ノーマルが取りざたされ、厚労省は新しい生活様式を呼び掛けてい
ます。マスコミも新規感染者数からシフトしはじめ、今回の自粛要請をきっかけに
社員を全員在宅勤務に切り替えオフィスの賃貸契約を解約した、などのニュースが
目につくようになりました。
正直、この新しい生活様式には欺瞞を感じます。もしくは、口にしていない不都合
な真実、という方が正確かもしれません。
たとえば、新しい生活様式はいつまで続ければよいのか。コロナが収束するまでな
のか、それとも収束した後もずっとなのか。意外と多くの人がコロナが収束するま
でと思い込んでいるのではないと思いますが、わざわざ対策ではなく「新しい生活
様式」と銘打っていることからして、コロナが収束した後も生活習慣として国民に
根ずくことを目指しているようにも読み取れます。では有期ではなく、今後ずっと
新しい生活様式になるということを前提に、例示されている内容が徹底されたとし
たら、きっと多大なダメージを受ける業種、業態や文化、国民が多くでることが想
像できます。例えば、人と人との距離は2mあける、食事は横並びで会話をしない、
など。これだけでも、飲食や映画や演劇、ライブハウスなどはやってられなません。
大衆居酒屋など、狭いところに大人数、ワイワイガヤガヤ、酒も料理もリーズナブ
ルなんて業態はやってられないのです。
身近な例ですと、働き方のあたらしいスタイルでしょうか。在宅勤務やリモートワ
ークが悪いとは思いませんし、都会の殺人的な通勤は新しい生活様式に関係なく解
消されればよいと思います。でも、だからといって、これを機に皆、在宅勤務だ、
リモートワークだという考え方については疑問を感じます。それが可能な業態、企
業もあるのは事実ですし、そういう判断をする経営者もいてしかるべきだと思いま
す。ただ、在宅勤務やリモートワークで出来ないことがあることも事実です。ひざ
詰めで喧々諤々議論しあう、飲みニュケーションで将来の夢について語り合う、年
寄りの説教で、古参の知恵を継承する。そんな昭和で古臭い仕事のやり方の中にも
ある価値が、失われてしまうのではないかと心配になってしまうのです。
だからこそ、大切なことは多様性への対応ではないかと思います。
仕事のスタイルも、在宅勤務やリモートワークも当然取り入れる。でも、集まって
対面で密に、というやり方も残す。第二波や第三波など感染者が増えれば、疎なや
り方を増やし、落ち着けば密なやり方に戻してゆく。当然、疎と密を臨機応変に対
応していれば、それぞれのメリット、デメリットが見えてくるでしょうから、自分
たちあったやり方に落ち着かせてゆく。これが、本当の意味でのニュー・ノーマル
になると思います。
当然、状況判断や対応方は自分たちで判断し、決めてゆかなければなりません。難
しい舵取りを求められれるでしょう。国の判断や例示されたやり方に無条件に従う
方が絶対に楽です。でも、国の判断や示されたやり方は、国全体の利益にはかなっ
ているかもしれませんが、必ずしもそれは個の利益になるかは別問題であるという
のも、また事実なのですから。
「失敗は政治の本質だ」 トルメキア ヴ王