九州のベンチャー企業で、システム屋をやっております。「共創」「サービス」「IT」がテーマです。

守・破・離

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~~ 守 ~~

ウチの偉い人(取締役)が、お客様に電話している模様。

「〇〇課長様はいらっしゃいますでしょうか?」

聞いていた隣の同僚が一言。

「課長様はないよね?なぜ、あんなに下手にでてるんだろ?」

確かに。ビジネスマナー的にも役職に様をつけるのはNGのようだ。お客様は大企業で
ウチは中小とはいえ、役職的には取締役と課長、年齢的にも10以上離れている。丁寧
なことに越したことはないのだが、あまりに遜りすぎると、卑屈に聞こえてくる。

何を話しているかわからないが、しばらくすると偉い人からこんなセリフが飛び出して
きた。

「・・・はっ、はっ、はっ、それは流石の私にもわかりません。云々」

また、隣で同僚が反応した。いいけど、自分の仕事しろよ。

「おっと、今度はずいぶんと上から目線だな」

言いたいことはわかる。声が大きいのでどうしても耳に入ってくるが、耳に入ってしま
うとどうしても引っかかってしまうのは自分も同じだから。

~~ 破 ~~

マナーや礼儀作法は、人間関係を円滑にするための道徳的な規範である。だから型が
あり、それぞれの動作には意味がある。無意識下でも失礼にならないよう、動作を繰
り返して型は身につく(守)。

しかし、どのようなTPOにも均質な型を繰り返してばかりでは味も素っ気もないし、
初対面の時に使った型を長く付き合うなかで親しくなった人にも使い続ける訳にもい
かない。
そこで、TPOと相手に応じて型のレベルを変えてゆく必要がある。ここで重要なのは、
型の本来の意味を知り、踏まえてレベルを変えなければ、肝心な動作が失われてしまう
可能性がある(破)。

ここまでくれば一人前。どこにでても恥ずかしくないし、心配もない。
しかし、この次の境地がある。型をふまえ、TPOに使い分けができるようになると、
次は自分の人柄に合わせて自分なりの型が出来上がるのだ。型の本質をとらえているた
め、どんなに一般的な作法と違った動作をしても、相手に不快感を与えない。自分の人柄
と融合しているので、型やTPOなどあらためて考えなくても自分の自然な振る舞いが、
そのまま型となる。素敵ではないか。先方が「おはようございます」と言ってきても返す
必要はないかもしれない。ちょっと手を上げるなり、会釈するだけでも横柄や偉そうだ、
などと思われない、そんな佇まい(離)。

~~ 離 ~~

同僚は、ウチの偉い人の電話応対にいちいち反応した。

それは、役職の後に敬称をつける、という型を破ったことに反応したわけではない。
権威主義のお客様に対しては、過度に遜り、過剰な敬語をわざと使って話を進める
営業などざらにいる。それは相手に応じてわざと型を崩しているので(破の状態)、
気になることは全くない。そうではなく、偉い人が型ができていないことに(守ができ
ていない)、反応しているのだ。証拠に、役職の後の敬称という過剰敬語の舌の根の乾か
ぬ内に、「流石の私でも」と自分を上に置いている。

これが若手だったら救いがある。おかしいよ、と指摘できるから。若くなくても偉くなけ
れば、恥ずかしいのは当人だけと、個人の問題として片づけることもできる。しかし、
偉い人だと。。。

偉くなった人は、ぜひ知っておいてほしい。周りは、そういう目であなたを見ていると
いうこと。あなたが残念だと、みなやるせなくなるということを。

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