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あるSNSでの話

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 SNSには、TwitterやFacebookにしろ、アカウントは持っているが消極的参加というスタンスをとっている。
 職業柄、どういったものかは知っておく必要があるので試してはいるが、プライベートでの利用という意味では、あまり必要性を感じていない。キュレータが発信してくれる情報はありがたいが、普通の人が発信している本当にその人個人の情報については、なぜわざわざソーシャルな場に書き込むのか理解に苦しむ。というより、妙に前向きだったり、妙に良い人だったり、妙に相手を褒めたり、という独特の雰囲気は正直気持悪さを感じたりもする。
きっと、人間がすれているのだろう…。

 もう三年も前になるだろうか。突然Facebookに一通のメッセージが届いた。

「○○兄ちゃんですか?」

 送信者に、記憶はない。また、怪しげな友達申請かと思ったりもしたが、呼びかけられ方が少し気になった。改めて送信者の名前を見てみると苗字は知らなかったが、下の名前に思い当たる節があった。従妹だ。

「△△ちゃんかぁ!?」

 自身、親戚は少ない方だと思う。両親はずいぶん前に分かれており、父親も20年程前に他界した。父方の親戚とは今はまったく付き合いはなく、たった一人の従妹とは子供のころに遊んだきりだ。その従妹がFacebookで私を見つけてくれてメッセージを送ってくれたわけだ。父親の葬式では会っているだろうから、20年ぶりくらいであろう。

 聞けば、義叔父、叔母ともに地元を離れ千葉に住み、本人は結婚して東京に住んでいるとのことだった。ちょうど、その年の11月、東京に出張するついでがあったので、カミさんも連れてゆき、義叔父、叔母、従妹と昼食を共にした。従妹は子供のころの思い出しかないので、すっかり大人になっていたが、義叔父、叔母は年をとったもののあまり変わった様子はなかった。

 20年ぶりの再会で積もる話もあり、特に父方の親戚の近況などもいろいろ教えてもらったが、祖父母以外は記憶にある親戚はほとんどいなかった。
 ただ、叔母が今年に大病をした、という話が少し気にかかった。

 年末、帰省した際に妹に事の顛末を話し、Facebookで従妹と連絡とるよう勧めた。妹は年明けに出産を控えそれどころではない様子であったが、連絡はついていろいろとやり取りした様だった。

 年明け。妹は女の子を出産した。初めての姪っ子である。
 そして、その二週間後。唐突と義叔父から電話をもらった。叔母の訃報であった。

 従妹は、妹の友達申請を承認し、生まれたばかりの又姪の写真を叔母に見せたそうだ。きっと向こうの世界で先にまっている祖父母や父親に土産話ができたことだろう。

 SNSへの消極的参加、というスタンスは変わっていない。
 ただ今は、テクノロジーが紡ぐ縁というものに思いを馳せることがある。Facebookがなければ、間違いなく叔母に会うことはできなかっただろうし、叔母も又姪の顔を手土産に旅立つことはできなかっただろう。
 それを奇跡という程センチメンタルではないが、テクノロジーが人との繋がりを近くしているのもまた、事実だ。その新しい距離感にが、バカッターや炎上などの問題を引き起こす危険性もあるし、私の周りで起こったささやかな出会いを演出してくれるのかもしれない。

 もう三年も経ってしまった。そろそろ話ても良いころだろう。誰かに聞いてもらいたくて、今年最後のコラムとして書いてみた。

Comment(2)

コメント

名無しさん

良コラムで感動しました。山無駄さんのような複雑な人生を送っているわけではありませんが、今まで交友関係を絞っていた私のfacebookでメッセージを送れる人の制限をはずしました。

山無駄

名無しさん

コメントありがとうございます。制限を外してしまうと、残念なことに怪しいメッセージも届くようになってしまいます。怪しいメッセージを送る人たちは、自分たちがどれだけ社会的な損失を出しているかを知るべきですね。そしてそういったものがなくなった時に、ネット社会が成熟したと、いうのかもしれませんえ。

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