コミュニケーション・飲みニケーション・ゴミニケーション
前回、新人の会話について、勢いついて考えてしまいました。
今回もコミュニケーションについて、もう少し考えてみたいと思います。
■コミュニケーションとは
コミュニケーションといえば、あるコンサルタントのこんな言葉が思い出されます。
「よく経営者や管理職の方から『うちはコミュニケーション不足が問題で……』と相談されることがあります。または逆に『うちはコミュニケーションはばっちり、皆仲良しです』とおっしゃる方もいます。それでは皆さんは、コミュニケーションとは何か、真剣に考えたことがありますか?」
その方は、続けられました。
「コミュニケーションとは、相手の嫌がる部分も、きちんと伝えることです」
■社内レイアウト
ある会社では、部門間のコミュニケーション不足が問題、ということで部屋内配置変更を行いました。中心には部長と副部長を置き、その島を取り囲むように各部のメンバーの座席を配置したのです。
さらしもののような管理職。まるで罰ゲーム。
だからといって、効果が認められたわけでなく結局1年後には普通のレイアウトに戻っていました。
■飲みニケーション
大企業のお客さまの懇親会に参加した際、参加者が皆、ずっと仕事の話で盛り上がっていることに驚きました。いまやっている仕事の話から、業務はどうあるべきか、システムはどうあるべきか、本社と支社の関係はどうあるべき……という話から、各種情報交換まで。懇親会とは、仕事の延長なのだと痛感しました。
翻って、自社の飲み会はどうか。うーん、盛り上がらない。メンバーによりますが、下手すると皆、何も会話がない場合が……。
別の会社(建設業)の社長の話。
「昔は、飲み会や社員旅行などイベントもたくさんあり、その中で古株たちは自分の経験談や失敗談を語っていた。それを聞いて若手が勉強してたんだろうな。しかしいまは機会も減ったうえに、そういった場でも古株と若手の間に会話がない。だから若手たちが基礎的なことを知らなかったり、トラブルがあったときの動き方を知らなかったりする。もっとも問題なのは、現場で靴ひもがほどけたまま階段を上ろうとする若手に気付いても、周りが注意しなくなったことだ」
■一方通行
ある会社のお偉いさんは、自社のコミュニケーション不足を憂えています。だから率先して、社員の席に足を運び、世間話をします。社員は遠慮するから、とりあえず自分から話をします。政党が変わったが、きっと景気はよくならないんだろうな、とか。
誘われると、飲み会にも、なるべく参加します。自分が来たことで、みんなが遠慮してはいけません。だから、なるべくフレンドリーに話をします。まずはワインのうんちくから。
■ということで、私見
いまの若い方には賛否両論あると思いますが(……という自分自身、まだ若い部類)、やはり飲みニケーションはそれなりの意味があるように思えます。「飲み」だけではなく、「仕事外活動」という意味で。
仕事が終わった後に、さらに気を遣い、延々と仕事の話が続く。こんなにうっとうしいことはありません。さっさと帰ってテレビ見ながら一杯やる方がよほど気が楽。これは間違いありませんし、わたし自身もそうです。
でも、新人の訓練、ノウハウ継承、情報交換の場を、日々の業務の中にだけ求めることは難しいように感じます。
しかしながら、情報交換の場を作ったとしても、コミュニケーション不足は解消されるものではありません。冒頭に述べたコンサルタントの「相手の嫌なことでも伝える」という言葉。これは覚悟と努力で成り立つということを示唆しているように思えます。ただ場を作っても、そこに集まった人たちが本当に何を相手に伝えるべきかと覚悟を決め、それを相手に伝える努力を行う。これをやらなければ、世間話の場でしかないのです。これをゴミニケーションとでもいいましょうか。
もうひとつ、コミュニケーションは対等ではない、ということをきもに銘じる必要があるとも思います。上司と部下という上下関係は(望むと望まざるとにかかわらず)対等ではありません。上司は部下を評価します。部下はその評価により給与が変わり、仕事内容が変わり、勤務地が変わるのです。コミュニケーションが覚悟と努力が必要であるという性質上、上司が部下に対して何かを伝えるという労力と、部下が上司に何かを伝える労力には大きな差が出るのです。
すなわち「うちはコミュニケーション不足が問題で」という経営者や管理職がいたとしたら、それは自分の責務を果たしていない、ということになるかもしれませんね。
そんなにややこしいコミュニケーションという難題を抱える、世の上司の方々に一言。
「まずは相手に話させろ。そして、その話を真摯に聞け」
これがコミュニケーションの第1歩だと思います。ね、社……(自主規制)!