第485回 自叙伝的反応を考える
こんにちは、キャリアコンサルタント高橋です。
私のコラムではよく7つの習慣の話が出てきます。それは私が7つの習慣のファシリテーターでもあり、実践者でもあるからですが、この7つの習慣は本当に奥が深く、日々色んなことを考えさせられます。過去にもあることで小一時間考えてしまうことがありました。それはコミュニケーション、もっと言うと傾聴についてだったのですが、今回はその傾聴、コミュニケーションの在り方について思うことを書きます。
■第5の習慣「まず理解に徹し、そして理解される」
7つの習慣を実践していると、よくモノの見方(パラダイム)が変化します。それは、7つの習慣を実践していく中での気づきだったりするのですが、以前も第5の習慣である「まず理解に徹し、そして理解される」である気づきがありました。
過去のコラムでも書いていますが、第5の習慣は共感によるコミュニケーションの原則とも呼ばれ、コミュニケーションの効果性を高めるための習慣です。私たちは自分の考えを相手に理解してもらおうと考えながら会話をしますが、そうすると自分の意見を理解してもらおうとするあまり、相手の話を遮ったり、反論したりすることがあります。そのように振舞っていると、相手によってはこちらの考えを心の底から納得して受け入れてもらえないかもしれません。
だから、自分の考えを理解してもらうためには、まず相手の話を理解することに徹します。そうして相手が自分の考えを十分伝えられたと感じた所で、こちらの考えを伝えることで、心の底から納得してこちらの考えを受け入れてもらえるようになります。
そのために必要な技法として「共感による傾聴」があります。私自身、傾聴については15年以上も実践していますので、傾聴に関しては意識しないで行うことができると思っています。しかし、その感覚でこの第5の習慣を実践すると、あまりうまくいかないのです。正直、ここはずっと悩んでいたところでした。
■自叙伝的反応とは
なぜ、うまくいかなかったのか?
それは、私が行う傾聴はキャリコンにおける傾聴だからです。主に私が傾聴をするシーンは基本キャリコンに限られています。そのため、キャリコンという場において傾聴は機能しているのですが、それ以外の場所で傾聴を行っても何となくうまく機能しないのです。例えるならば「職業傾聴」みたいな感じでしょうか。キャリコンという場があり「これから傾聴するぞ」というスイッチが入らないと傾聴ができない感覚に近いかもしれません。
だったら、スイッチを入れておけばいいのでは?と思いますよね。私もそう思いました。でも、スイッチを入れてもうまくいかないのです。その理由を考えた所、私が自叙伝的反応をしているからなのだと分かりました。
自叙伝的反応というのは、自分の過去の経験、つまり「自叙伝」を相手の話に重ねてしまう反応のことで、
- 評価する(相手に同意するか反対する)
- 探る(自分の視点から質問する)
- 助言する(自分の経験から助言する)
- 解釈する(自分の動機や行動を基にして相手の動機や行動を説明する)
という行動を指します。これらは私たちが普段から行うごく一般的な反応で、特段悪い訳でもありません。だから、誰もが普通に行っていますし、勿論私もやっています。
しかし、この自叙伝的反応をすると「まず理解に徹し」という相手の話を理解することができなくなるのです。だから、第5の習慣を実践する時には徹底的に自叙伝的反応を抑えて会話をしなければなりません。しかし、そこを明確に意識しておかないと自叙伝的反応はついつい顔をもたげてしまいます。
私の場合、普段の生活の中で傾聴を行おうとすると、自叙伝的反応が抑えられていない状態で傾聴をしていました。そうすると、話し方だけ傾聴で中身が伴っていない状態なので、相手も自分の話を聴いてもらえたという感覚には到底ならないでしょう。しかし、当の私は傾聴を実践しているつもりなので、傾聴をやっていてもうまくいかない感覚に陥ります。そこから、傾聴はキャリコンで行うモノ、実生活での傾聴って難しい、みたいな解釈をしてしまっていました。
■自分のパラダイムを定着させる
このことに気づくまで相当長い時間がかかりました。と言うか、そもそも第5の習慣に自叙伝的反応の話があるのに、なぜか私はそこに意識が向いていませんでした。恐らく私が第5の習慣を軽んじていた節があったからだと思います。それは、私がなまじ傾聴ができていたと感じていたからかもしれません。しかし、私がやっていたのはあくまでスキルとしての傾聴であり、何のために傾聴を行うのか?という根本的な部分が欠落していたように思います。
なぜ傾聴を行うのか?
それは「まず理解に徹し」たいからです。自分のことを分かってもらうためには、まず相手のことを理解しなければならない。そのためには、相手の話を徹底的に聴かなければならない。その目的を達成するために傾聴をします。つまり「相手のことを理解することで、自分のことも理解してもらえる」というパラダイムを持たなければならなかったのです。
しかし、その当時の私は「まず自分のことを理解してもらった上で相手のことを理解してあげる」みたいなパラダイムを持っていたように思います。こんなパラダイムでどれだけ傾聴を実践したとしても自叙伝的反応がなくなることはないので、うまくいくはずはありませんよね。。。
そのことに気づいてから、普段から自叙伝的反応には気を付けるようにしています。とは言え、油断するとついつい今でも自叙伝的反応が出てきてしまいます。そんな時は一旦立ち止まって、「まず相手のことを理解してから」と自分に言い聞かせるようにしています。そうすることで、自分のパラダイムを定着させるように癖付けています。
普段のコミュニケーションがうまくいかないとお感じになられる方は、ぜひご自身の会話に自叙伝的反応が出ていないか振り返ってみてください。そうして、自叙伝的反応を抑え、聴くことに徹してみてください。これは私自身の体験でもありますが、きっと今までとは違うコミュニケーションが生まれてくるのではないかと思います。