第389回 傾聴の、その先にモノ
こんにちは、キャリアコンサルタント高橋です。
久しぶりの傾聴ネタです。普段、キャリコンをする時は傾聴による会話を心掛けています。これはキャリコンであれば当たり前のことなのですが、実は傾聴というのは定まった型というのはありません。だから、いろんな考え方や手法があり、その中から実践する人が取捨選択しながら自分なりの方法を見つけ出していかなければなりません。
一応、私も聴くことに関する書籍を出版させていただいておりますので、傾聴については自分なりのやり方を持っています。しかし、今の自分のやり方が完成形だとは思っておらず、常に模索を続けながら日々傾聴をしています。
そんな中、最近ある方から1冊の本を紹介していただきました。その本は私のこれまでの体験と重なる部分が多く、また傾聴におけるこれからの道しるべになるのではないかと感じました。そこで、今回は私なりに考える傾聴の、その先にあるモノを書いてみます。
■『耳の傾け方』
その本は『耳の傾け方』という本で、著者は京都大学の名誉教授であられる松木邦裕先生という方です。松木先生のご専門は精神分析学だそうですが、この本は松木先生ご自身の経験から著されているため医療に関する領域が多分に含まれていますが、専門分野外の私が読ませてもらって、とても読みやすく、かつ実践的な内容になっていると感じました。また、この本は臨床に基づく内容で「こころの臨床家」を目指す方に向けた本と位置づけられており、傾聴について深い考察をされておられます。
松木先生によると、傾聴には大きく2つの段階があり、「支持的な聴き方」と「精神分析的リスニング」に分かれるそうです。このうち「支持的な聴き方」が世間一般で言われている傾聴だと私は捉えています。
■支持的な聴き方
支持的な聴き方は大きく4つのステップに分かれています。
ステップ①批判を入れず、ひたすらに耳を傾ける
ステップ②客観的に聴く
ステップ③私たち自身の思いと重ねて聴く
ステップ④同じ感覚にあるずれを細部に感じ取る
各ステップを私なりの解釈でご紹介してみます。
ステップ①は相手の語られる話をそのままに受け取り、そのままの状態でついていくことを表しています。それは自ら能動的に話を聴く傾聴の基本的な態度でもあります。
ステップ②では相手の語られる話を自分でもなく、相手でもない客観的な視点(俯瞰した視点)で捉えることを表しています。このステップ①と②はバランス良く行うことが求められます。
ステップ③は相手の感情を自分の感覚に重ねて感じ取り、それを理解します。つまり、相手が主体的に感じる感情を自分自身の感情として体験的に知ることを表しており、これが真の共感であると謳われています。
ステップ④は同じ感覚であるが故に沸き起こる思いや思考のずれを吟味します。「なぜ、この人はこのように考えてしまったのだろうか?」のように、真の共感があるからこそ起こる違和感にアプローチをします。このステップ④は③と併走するような形で進んでいきます。
ここで述べられている内容は傾聴をする時のこころの在り方を端的に表現していると感じました。実際、私が傾聴する時もこのようなこころの在り方で相談者と接していることが多いように感じています。
■精神分析的リスニング
そして、私がこの本で最も響いた箇所がこの精神分析的リスニングでした。松木先生によると精神分析的リスニングとは支持的な聴き方の更に先にある状態のことだそうで、具体的には3つのステップがあります。
ステップ⑤支持的な聴き方を避け、受け身的に聴く
ステップ⑥平等に万遍なく漂う注意
ステップ⑦聴くことから、五感で感知する
これを見て、正直「?」と思われた方もおられるかもしれません。大体、ステップ⑤で支持的な聴き方を避け、受け身的に聴くといっているように、一見すると精神的リスニングは支持的な聴き方と矛盾しているような聴き方をしているように見えます。しかし、精神分析的リスニングは支持的な聴き方とは少し異なる次元の考え方をしています。
これも私なりの解釈ですが、世間一般で言われる傾聴というのは、能動的に行う行為としての傾聴です。しかし、精神分析的リスニングとはそこから更に一歩進み、ベースとして支持的な聴き方の技能は持ちつつも、そこに執着をせず、無意識で傾聴を行う状態を表していると考えています。なぜこのように思うのか?ですが、私もキャリコンをする時、最初意識をして傾聴をしていますが、その内、何も意識をせずとも自然に言葉が出てくるような状態になることが良くあるからです。
誤解を恐れず言わせてもらうならば、以前コラムでご紹介した守破離の「離」の状態に近いのかもしれませんね。
■傾聴の、その先にモノ
意識して能動的に行う支持的な聴き方を私たちは普段トレーニングし習得します。しかし、精神分析的リスニングではそこから離れ、自分のこころを揺蕩(たゆたう)ようにして相手の話を聴きます。
それが何を意味しているのか?
私は傾聴の本来の姿というのは、その人の本質的な部分で相手の話を聴くことではないかと考えています。言い方を変えるならば、"その人"という人間性で相手の話を聴くということになるのではないかと思います。恐らく、聴くという行為においてこれ以上の聴き方はないと思います。
だとすると、人の話を聴くためには相手の話を聴けるだけの人間性を育てておかなければならないということ、つまりそれは聴くマインドを育てておかなければならないのではないかと思います。だから、傾聴は技術だけではなくマインドが必要なのだということが改めて分かりました。
私もまだまだ道半ばですが、これからも自分の人間性を磨けるように精進していきたいと思います。