自己啓発症候群
あなたはこれまでに何冊の自己啓発本を購入したか覚えているだろうか?
今、モニターの前で指折り数えたあなたにお聴きしたいのだが、それはあなたにどんな効果をもたらし、それによってあなたはどれだけ前進したか、具体的に示せるだろうか?
■刺激を受けるだけで終わっていないか?
ヒトはなぜ自己啓発しようと考えるのだろう?
それは、現状への不満、将来への焦りや不安、あるいは恐れといったものがあるからに違いない。それらを解消するためには、自分のスキル、収入、生き方などを現状よりも高い次元へ引き上げなければならない。この欲求が、自己啓発へと自分を駆り立てることになる。
次から次へと出版される書籍は、我々のこの欲求を煽り続けている。
実際のところ本を読んだ直後には、我々は自分が今までより一歩前進した気分になる。しかし、その気分は長くは続かない。多くの人は「刺激を受けた!」と喜ぶが、その刺激は長続きしない。だから、また新しい刺激を求めて、別の本を読むわけだ。
■自己啓発症候群とはなにか?
もちろん、自己啓発は大切だ。それはつまり、向上心を持っているという証拠なのだから。
しかし、やみくもな向上心は時間とエネルギーと金の浪費でしかない。「目的やゴールについては、具体的にこれというものは思いつかないが、漠然とした不安は感じている。だからその不安を解消するために、将来の自分への投資だと思って、そのとき売れている本を買って読んでみる。」
これが自己啓発症候群の最も一般的なパターンだろう。素人が流行りの銘柄株に投資して失敗する話はよく耳にするが、自分への投資とて同じことだ。
「身銭を切らなければ何も身に付かない」と良く言われる。しかし、いくら身銭を切って自分に投資しても、具体的なゴールに向かう施策のひとつとしてでなければ、何も身に付かない。せいぜいが「刺激を受け」て、おしまいだ。それでは単に、「オレ、行動してます、ワタシ、頑張ってます」という自己満足、つまりは刺激を求めて繰り返す自慰行為にすぎないではないか。
■正しい自己啓発とは?
もちろん私は、自己啓発自体を否定するつもりはない。 特定の書籍を挙げて批判するつもりもない。そもそも何が正しくて、何が正しくないという判断を一般化するのは不可能なのだ。なぜなら、求めるものはヒトそれぞれ違うのだから。
どんなに評判の悪い本でも、自分の目的を達成するために大いに参考になったのであれば、それはそのヒトにとって正しい自己啓発だったと言える。逆に、どんなに評判の良いものでも、自分の目的に合わないならば、それはそのヒトにとって正しくないものなのだ。
自己啓発の最終的な目的とは、自分が成功することだろう。そして、その成功のイメージはヒトそれぞれ。金持ちを目指すヒトもいれば、地位や名誉に何の価値も見いださないようなヒトもいる。したがって、ゴールはヒトの数だけあるというわけだ。
聡明な読者諸氏ならばもうお分かりだろう。自己啓発症候群の特効薬は、ゴールの明確化だ。まずはあなたがどうなりたいのか、何をしたいのかを具体的に固めることだ。自己啓発本の中には、ゴールの探し方から手取り足取り解説しているものもある。しかし、何冊読んでもゴールが設定できないのなら、そこで何かがおかしいと気づかなければならない。
ゴールは本の中にはない。あなたの中にあるのだ。成功するヒトは、成功を求める前に、ゴールを定めている。次の自己啓発本を手に取るのは、あなたのゴールが定まってからでも遅くはないと思うのだが、いかがだろうか?