地方自治体は、在宅勤務革命に便乗してはいけない
月曜日、たまたまTVを付けると、「もう会社には通わない ~在宅勤務“革命”~」という番組をやっていたので、ぼんやりと眺めた。確かにIT企業で働くエンジニアにとって、この流れは非常に身近なテーマに感じられる。
しかし、この流れに地方自治体も期待を寄せているという話を聞くと、どうにもイワイワと違和感が鎌首を持ち上げて来てしまう。ここから先は、今回の番組の趣旨からは外れた内容なので、番組の批判ではないということを予め断っておく。
また、この違和感は、地方自治体の職員が在宅勤務することに対する違和感でもない。そうではなく、地方創生の旗のもと、人を地方に呼ぼうという文脈の中で在宅勤務というキーワードが語られることへの違和感なのだ。
■違和感の正体
ではなぜ私が、在宅勤務”革命”に自治体が期待を寄せることに違和感を持つかを説明しよう。なぜなら、在宅勤務できる人というのは、どこででも仕事ができる人なのだ。そのような人が、自分が住む場所を選ぶ際の判断基準を考えて欲しい。
親がそこにいる、その町で生まれ育った、という人もいるだろう。そういう人が、故郷に戻って暮らしたい、あるいは親を介護するために戻らざるを得ない、というパターンの需要は、確かに少しはあるだろう。しかし、その町の出身者で、在宅勤務にマッチする職種とスキルを持ち合わせる人が一体何人いて、その内の何人が地元に戻りたいと考えるだろう。
また、その町とまったく縁も所縁もない人が、その町で暮らしたい、その町で働きたいと思うかどうか、という点も考えなければならない。もしそのような魅力がすでにあるのなら、在宅勤務の人に期待を抱く必要もなく、今だって人は集まって来ているはずではなかろうか。
■魅力がなければ人は寄って来ない
そう、魅力だ。何か惹きつけられるものがあるからこそ、人はそこに集まる。そこで暮らそうと思う。
つまるところ、地方に必要なのは、どこでも仕事ができる人を呼び寄せることではない。「ここでしかできない、ここだからできる、だからここで暮らしたい」と考える人を呼び寄せることなのだ。
地方創生の担い手とは、そういう人たちなのだから。