元底辺エンジニアが語る、エンジニアとしての生き様、そしてこれからの生き方

生き様050. 斬新で革新的な手法と使い古された伝統的手法と

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パソコン弄るとトラブル起こる、の法則

僕のパソコンが熱に弱い原因が、古いHDDにあるのではないか?と仮説を立てHDDを交換しました。
サブで使っているHDDを交換するだけのはずなのに

  • 2日以上に渡るパソコンを分解しての検証
  • USB接続できるのにSATAで繋ぐと認識できない問題
  • OSの再インストール

と、見事にドツボにハマりました。
3連休が見事に吹き飛びました。

しかし、一番文句を言いたいのは、RAIDがなんの仕事もしてくれなかったことです。
どういうことでしょうか?

ひとまず「RAID組むならオンボードのRAIDは止めとけ」という体験が得られました。
そう遠くない内に作成する、新しいPCではこの経験が生かされるでしょう。


斬新で革新的な手法

まず、こちらのツイートに含まれている動画を見て頂きたい。

これは、『胡椒をウィルスに見立てて水に浮かせている。
そこに石鹸のついた指を入れることで、胡椒が偏ることで「石鹸がウィルスをやっつけた」ことを子供に説明している』という学校の授業の動画だそうです。

この動画は、色々な議論を生みました。
今回はその議論や、動画の是非に触れるつもりはありません。
ただこれを「斬新で革新的な手法だ」と感じたので、その例として紹介させて頂きました。


嫌われる従来型手法

ITの世界では、しばし古いものをひっくるめて【レガシー】と呼ばれ忌み嫌われます。
「レガシーコードをリファクタリングする」という言葉に魅力を感じるエンジニアが増えていることからも、この傾向を感じます。

最近では特に、ウォーターフォール開発辺りが顕著でしょう。
アジャイル開発でなければ、開発にあらず」ぐらいの言い方をしている人もいます。

どうやら、「古いものは、柔軟性がなくてダサくて悪いもの」だ。
そんなレッテルが、一括りにされて貼り付けられ、そして嫌われている様です。

それに対して、僕は大きな声でこう言わなければいけないと思っています。

「その考え方は間違っていますよ」

古い、従来型の手法の中には、伝統的手法と呼べるものが含まれています。
例えば、上に挙げたウォーターフォール開発は、伝統的手法と呼べるでしょう。
長い時間、多くの失敗と成功を重ねて、最適化された手法。
それを伝統的な手法と呼びます。

ぶっちゃけ、昨今多く見るウォーターフォール開発は「なんちゃって」が多いので、
その蓄積されたノウハウが全然生かされてない、ただのゴミクズな場合が多いのですが。


「革新」VS「伝統」の演出

伝統のレベルまで達していない従来的な手法全般について、養護するつもりはありません。
その中には、多くのゴミクズが含まれていますから。
新しいことをバンバン試して、新しい経験を積んでいくべきです。

そうして従来型の手法を改善、もしくは刷新し、画期的手法が生まれることがあります。
そうです。「生まれることがある」レベルです。
そんな簡単に、革新的手法が生まれません。

ですが、たまに突拍子もない閃きを「革新的」と言い張るケースには、閉口します。

そして、そういうケースの多くでは、何故か「伝統的な手法」と対決したがります。
そうして、自らの革新的手法が優れていることを演出するのです。
ですが、僕にはそういう演出の殆どが、チグハグに見えます。


本当に自称:革新的手法が必要か?

突拍子もない閃きに基づいてる様な「自称:革新的な手法」でも、必要とされるケースはあります。
ですが、そういうことは稀です。とても特殊なケースになります。
基本的には、伝統的手法を選んだほうが良い結果を得られます。
何故でしょうか?

答えはシンプルです。
「改善すべき事象」という視点が抜けているからです。

伝統的手法は、問題を改善しながら、もしくは効率化を重ねながら、一歩ずつ進んだ結果です。
そういう意味では、革新的手法も大きく変わりません。
両方とも、その背景には積み重ねられた歴史があるわけです。

そういうことを一切無視して、取って付けたようなアイデアを持ってきたとしましょう。
それが実際に則さないことは、想像に易いでしょう。

たまに、マッチしてしまうことがあること。
閉塞感が強く、ブレイクスルー的なアイデアを必要としている場合に必要とされること。
これらの2つがあるので「特殊なケース」とは書いたわけですが。


一番悪いのは【盲信+思考停止】

ここまでの話をひっくり返しますが、一番悪いのは【盲信+思考停止】です。
『なんちゃって伝統的手法』が多くの場合に陥ってる状態です。

改善すべき問題も放置し、効率化なんて無視して、なんとなくの従来踏襲で進みます。
そうして澱のように重なったナニかを「伝統的手法」だと言い張ります。

頭を抱えたくなりますが、SESの現場に多く見られる環境ではあります。

これに比べたら、発展途上の「従来型手法」の方が比較できないぐらい良い状態です。
だって、停滞していませんから。これから良くなっていくんですから。

『自称:革新的手法』の方が、進もうとするだけまだ可愛げがあるかもしれません。
しかし何故か、こちらも発案直後に【盲信+思考停止】になっている事が多いのですけどね。


今回のまとめ

  • **伝統的手法**と**革新的手法**に大きな優劣はない
  • 積み上げてきたものがあるという背景はどちらも同じ
  • 『なんちゃって伝統的手法』と『自称:革新的手法』は問題外

そもそも、手法として確立できているなら。
つまり、それだけの再現性を持つ形を作れているなら。
僕たち技術者のすべき事は、状況に応じて最適な手法を選ぶことだけです。
どちらかを嫌ったり、蔑んだりすることではないと思います。

以上!


おまけ:地獄絵図

『なんちゃって伝統的手法』 VS 『自称:革新的手法』

ふぁいっ!!




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#ほぼ日ITエンジニアニュース

最近、初めて動画にコメントが付きました。
しかしどうも、スパムっぽい匂いを感じます。
こんな再生回数10回も行かない動画でやっても意味ないのに…


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