第378回 終わりを考える
こんにちは、キャリアコンサルタント高橋です。
最近、「終わり」というワードを意識することが増えてきました。それはいろいろと取り組んできたモノが増えてきたからだと思うのですが、時々、それらが終わってしまう日のことを考えてしまいます。例えば、いつの日かこのコラムも終わる日がやって来ます。勿論、今はその考えはありませんが、どうしても、その「終わり」に対してどう向き合うべきなのかと考えを巡らせてしまいます。そこで、今回は「終わり」について考えてみました。
■終わりを迎える時
何でも良いのですが、何か自分が取り組んでいることがあり、それが終わりを迎える時、それはどのようなタイミングなのでしょう?私は大きく二つに分かれると思っています。
一つは目的や目標を達成した時です。これはその取り組みが成就していますので、それ以上続ける必要性はないはずです。ですので、このような終わり方は私自身納得ができる終わり方だと思っています。
もう一つは目的や目標を達成せず、止まってしまった時です。こちらは止まってしまっているので、言わば志半ばの状態です。ここで問題になるのは、この止まっている理由です。私は止まっている理由には「放棄」と「中断」があると思っています。
止まっている理由が放棄だとしたとしたらでしょうか。放棄とはやろうとすることを投げ出してしまう、諦めててしまうことを意味していますから、これも一つの終わりの形です。それまで取り組んでいる内容にも拠ると思いますが、私としては一番心に引っ掛かる、後悔や未練を持ってしまう終わり方のような気がします。
止まっている理由が中断の場合はどうでしょうか。中断はあくまで再開する意思がある前提での行為なので、私は中断は終わりではないと思うことができます。ただ、再開する意思を持たなければ、それは放棄と何ら変わらないので、中断の場合は明確な再開の意思を持つ必要があると思います。
■終わりを考える
ここまで書いてきて思ったのですが、私にとっての終わりは「自分が納得できるかどうか」その一点にあるような気がします。私は性格上、終わりを明確にしたいタイプなのだと思います。だから、目的や目標を達成した終わり方に納得ができているのだと思います。だとすれば、どのような形であれ、終わりを定義する、つまり、自分にとっての終わり方を決めることが終わりを考える上で大事な事ではないかと思うのです。
終わりの定義は人それぞれ違います。私のように目的や目標を達成することを終わりの定義とする人もいれば、全力で頑張ったらそれでOKという人もいるでしょう。大切なことは終わりを思い描いた上で、その終わりに向かって行動するということなのかもしれません。
「終わりを思い描く」というのは7つの習慣での第2の習慣にあたります。ここでは「ミッションステートメント」という人生の道しるべを作りそれに従って生きる習慣で、私自身も実践しています。しかし、私は普段の一つ一つの行動について、目先のことに捉われた行動をし過ぎているような気もします。ですので、もう少し物事の終わりを明確に思い描いた上で、私自身が受け止められる終わりに向けて行動をしていこうと思います。