第274回 拘りを考える
こんにちは、キャリアコンサルタント高橋です。
現在、3冊目の本の出版準備を進めています。既に原稿は書き終わり、構成の段階に入っているのですが、ここに来て原稿の書き直しが発生してしまいました。。。これは出版社(編集者さん)からの意向でもあるのですが、私がそうしたいと思ったからでもありました。私がこのように思ったのは、私のある拘りから来ているのですが、こういったことを周りの人にすると「そこまで拘るなんて、すごいですね」といった声をかけていただくことがあります。そういった声に嬉しいと思う反面、少し違和感を感じてしまいます。。。そこで、今回は拘りについて思うことを書きます。
■原稿を書き直す理由
そういえば、2冊目の本(『マンガでやさしくわかるプログラミングの基本』)も確か去年の今頃に全編書き直しをしていました。あの時は編集者さんの意向(編集さん曰く、内容が難しく感じるの書き直してほしい)からでした。今思い返すと期限が差し迫っている中での全編書き直しだったので、いろんなことを考えている余裕がなく、ただがむしゃらに原稿を書いていた記憶しかありませんでした。。。しかし、それは決して嫌だとか、辛いとかそういったネガティブな感覚ではなく、寧ろ、ポジティブな気持ちで取り組んでいたように思います。確かその時も周りの人から「すごいですね」って言われ、違和感を感じていたのを覚えています。
今回もそうですが、原稿を書き直すのは単に私が書き直したいからです。そのきっかけとなる出来事は2冊目は他の人から言われたことでした。しかし、それはあくまできっかけで、私自身が率直に書き直した気持ちが強くなったから書き直しただけなので、何も凄いことをしたとは思っていません。逆に、私の我儘を聞いてもらって申し訳ないといった気持ちの方が強かったです(だからこそ、がむしゃらに原稿を書き直していました)。
では、なぜ原稿を書き直したいのか? それは、読者さんに伝わる本を書きたい欲が私にあるからです。私が本を書く理由は読者さんに本を通して伝えたいことがあるからです。そのために本を書いています。にもかかわらず、原稿を書く手間を惜しんで、読者さんに伝わらない本を書いたのでは、一体何のために本を書いているのかが分かりません。正に本末転倒です。。。
■誰のために原稿を書くのか?
本を書く以上、その内容はすべて読者さんの利になるようにしなければなりません。それは絶対です。そして、私の本をお読みいただいた方が何かのきっかけを掴み、ご自身の道を前に進んでいただく。そんなことを願って原稿を書いています。きっとその行為が私にとって「楽しい」と思えることなのだと思います。だから、私が原稿を書くのは第一には読者さんのためですが、その次に来るのは私自身のために原稿を書いているのだと思います。
■拘りを考える
このように考えると、拘りというのは自分の視点と他者の視点とは随分感覚が違うのだなぁと感じます。他者から見て「すごい」とか「大変」と思うのはその人の尺度(ものさし)で見ているからであって、必ずしも当の本人はそういった尺度では見ていないということなのでしょうね。だから、原稿を書き直すことを私自身は「楽しい」と思っていても、他者か見ると「すごい」「大変」といった見方になるのだと思います。きっと私はそこに違和感を感じていたのだと思います。
だとすると、拘りを持つことは決して悪いことではないのかもしれません。ひょっとしたら私は周りの人から「納得いくまで原稿を書き直す人」と思われているのかもしれません。それって決してマイナスのイメージではないと思います。拘る内容にも拠るかとは思いますが、拘りを持つことは自分のブランドイメージを作ることに一役を買うことに繋がるかもしれませんね。